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移住後にはゴールデンタイムが存在する。その生かし方を考えてみた。

私が米国ポートランド に移住をして今年の夏で2年になる。

暮らしのフィールドを大きく変化させたとき、新たに住む場所は目にするものすべてが新鮮でキラキラと輝くか、あるいは対局の認知として異物として違和感を覚えるかどちらかだ。

匂い、色彩、鳥のさえずりやサイレンなど街の音、風の肌触りなど五感で捉えるすべてのものが変わる場所に、移住したときにゴールデンタイムが生まれる。自分の感性が全開となり、目にするもの、聞くものすべてに呼応するような。

が、そのゴールデンタイムには終わりがある。

移住して1年経って、ポートランド のあるオレゴン州を舞台にした(とはいっても港町のアストリアで、車でも2時間ほど離れている)「グーニーズ」という映画を見た。その時に、もう40年ほど前の映画にも関わらず、映る街並み(主に街路樹と建物と家の内装だろう)をすんなりと受け入れ「外国感」を感じなかった自分がいた。

あぁ、ゴールデンタイムが終わりに近づいている、と思ったのだった。

慣れというのは怖い。最初はあれほど反応した信号機も、ユニークな看板も、街路樹や草花も気に留めなくなるのだから。その土地の旬の野菜がわかりスーパーマーケットで即座に手に取る自分もしかりだ。

寂しくもあり、日常になったという安堵もある。

仕事でも「移住」をテーマに扱っていた私は、このゴールデンタイムの存在にうっすらと気づいていた。だから、というわけではないけど、このゴールデンタイムで自分が知覚したことを大事にしたい、という気持ちを当初から持ち合わせていたところがある。

2年経ち、これから地域にせよ、海外にせよ日本の地域にせよ、もし「移住」する人がもしいたら何か参考になることもあるかと思い(時たま聞かれるし)残しておくことにした。きっと1年後にはこのことも忘れてしまうだろうから。

ゴールデンタイムにやっておきたいこと。

感じたことをひたすら記録する。

五感で感じた新鮮さ、不思議、面白い、といった心が動いたことを記録しておくこと。その時の感動は、本当に忘れてしまう。もっとも大きなものは覚えているかもしれないけど、それは1/10ぐらい。その時、はっとしたことが、その後の暮らしや人生を変える転機ともなり得るから。このnoteもそのひとつの場になる。

(ひとりじゃなかったら、シェアする)

これはひとつめのおまけ。一緒に引っ越した人がいたらそれをシェアするのもおすすめしたい。なかなかできない体験だから。

丸裸で素直に受け入れる。

せっかく既成概念を取り払えるチャンスなのだから、いままでの常識はいったん置いておいて、色眼鏡で見ることなく、素直にその地のあり様を受け入れたいところ。何も知らない、何もできない、それは常套。その前に縛られることなく、無知でいられる期間を楽しみたいところだ。

可能だったら、形にしてみる。何かをつくってみる。

感覚だけど、移住した後に何かを始める人は3年以内にスタートをきっているように思う。地域おこし協力隊の3年という意見もあながち間違ってはいないと感じている。ゴールデンタイムに感じた違和感や気付きと、それまでの経験や常識を融合した時に起こる化学反応が、新しいものを生み出すように思うから。だから、その「あれ?」という直感を何か形にするとしたら、前項の受け入れ期間が完了した、3年ぐらいがちょうどいいと思うのだ。

振り返ると、私もこの冬に起業したわけだが、そのベースとなったのは、2年前の移住で起こった自身の暮らしと意識の変化だった。それがすべてではないけど、最初の起点か、第1ステップに移住はある。

まあ、とはいえまだまだ無知で、知らないこと、驚きも山の様にある(なぜなら、この1年COVID-19という特別な期間だったから)。新鮮な、素直な気持ちはずっと持ち続けていたいものだ。


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