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クリエイティブ・ペアレンツになろう

「世界の大きな転換点でクリエイティブペアレントになろう」

というタイトルの子育ての本の初稿を私が書き終えたのは、2019年の8月頃で、いわゆるコロナ禍がはじまる数ヶ月前でした。


この本は2018年に

「世界の変換点は、子育ての大きな変換点—予測不能な時代の大きな変換点—」

という序章から書き始め、

「急速に世界が変化し、多くの人が大きな変換点に立ち会っていると感じられているのではないでしょうか。周りを見れば、この世紀が始まった頃とは全く違った日常生活が広がっています。」

という言葉をはじまりの言葉としていました。


コロナ禍にある今、私たちはロック・ダウン、ステイホーム、国境封鎖、リモートワークとかつて経験したことがない状況の下で日常生活を送らなければならなくなっていて、この初稿の書き出しからさらに何倍もネジを巻いたような予測不可能な大きな変換点に立たされ、困惑と不安の中でなんとか暮らしています。小中学校が早い段階で封鎖され、リモートワークが要請され、多くを家庭で生活するようになりました。家にいるお子さんとどのように過ごし、学び/勉強をどのようなペースでできるのかと日々葛藤されたのではないでしょうか。学校や塾やクラブに任せていたところが全くできなくなった時、どのようなことを思い、考え、試されたでしょうか。家には子どもだけでなく、仕事場に出ていた親たちも居ます。家族みなで暮らす時間で、多くの人が日常生活をどのようにするのが良いか、そして生き方そのものの価値を再考せずにはいられないと感じられていると思います。当たり前にあったことがあたりまえで無くなり、死を身近に感じる生活となっているのですから。そして元の生活ペースに早くなって欲しいと思っても、コロナ禍前の生活にそのまま戻ることは無いことも皆が実感しているでしょう。私たちは、あたりまえであった日常生活と生き方を考え直す大切な大きな分岐点に立っています。

リモートワークが始まり、不要不急の外出はしないようにと呼びかけられる中、何が不要で不急なのか?何が欠かせないことで何を大切にしていきたいのか?ソーシャルディスタンスを取り、海外に出ることだけで無く、他県に出ることも控え、出来るだけ家で過ごす、人と人との接触を出来るだけ断つという分断、メルケル首相のスピーチにあったように長い時間をかけて獲得してきた自由な往来が難しくなった今、私たちはどのように暮らしを組み替えていけるのでしょうか。これは大きく社会が変換する前に、走り続けてきた人たちがじっくりと自ら見直す大事な時です。これまでになかったライフスタイルをつくり、そのなかでの子どもの育てをひとりひとりが考えて実践してゆくことは、それぞれにとっての大切な変換点になります。コロナ禍は治っても、予測不可能なことはこれからもいくつも起こり得るでしょう。こんなときこそ「クリエイティブ・ペアレント」になる良い機会です。

たとえば、友人は、小学校6年生の娘さんが学校へ登校できない時期に、学校での学びに代わるものは何か?学校が無いからこそ学べることは何か?と、日々考える中で、小さな庭に畑を作り毎朝植物の手入れをし、料理をともに作る、料理を通して生き方を大切にしている人と出会う学びの場、さらに海近くに暮らしているので、海の声を聞けるような体験をトライし、犬を引き取りともに暮らし始めたりしました。また修学旅行が中止ととなり、がっかりしている姿を見て、その代わりに何ができるだろうという思いで、娘さんの友人を数人招いてともに暮らす機会も作りました。もちろん、コロナの影響が薄らいだ時期に出来るだけ安全に配慮した上でのことです。どこまでを「安全」として過ごすかも親の判断によりますが、リスクと活動のバランスも個人のビジョンによります。一つ一つが誰かの判断を仰ぐのでは無く、一つ一つが個人が責任ある判断で行動し暮らしていく。そこに柔軟性と何かを生み出していく感覚、クリエイティブであることがあらわれ、生活を豊かにし、子どもの未来を創っていきます。


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自己紹介と私の子育て


私は、子育てと建築家そしてキュレーターとしての仕事をたえず並行して取り組んできました。私にとっては、このどれもが一つのいのちの世界を、未知な世界を拓くクリエイティブな試みです。一方で、私と同じような仕事についている人、女性の多くが、子どもを持つことと仕事の両立が難しく感じており、その中で子どもを持っている人は大変少数です。わたしたちから一回り、ふた回りあとの世代では子どもを持ち始めていますが、それでも子育てのほとんどが女性の肩に乗っかっていて、その重さに鬱にまでなってしまい、抗鬱剤を飲みながら、という人も少なからずいるようです。しかしリモートワークになっているこんな時だからこそ、仕事を焦ってするのでは無く、もう一度両親で取り組んでいくことを話し合いながら少しづつ自らの考えを試していけるようにできたら良いと思います。少々大変でも子育てが仕事を、生き方を豊かにしてくれることを実感する時が来るでしょう。特に女性にとっての出産は、本当に特別な命の体験です。それをそばでともにする男性にとっても世界が変わる経験です。AIやAGI化が進む中、社会や会社のペースに囚われ過ぎることではなく、命の世界が人としての可能性の最重要点になっていくでしょう。そのなかでは、この命を繋いでいく生き物としての経験と、さらに急変する世界に対して柔軟なクリエイティブマインドを持って自らの世界を築いていくことが大切になります。

急速に変化し予測不能な時代に、寿命は百年となりつつあります。それゆえに学び続けることが求められます。クリエイティブ・ペアレントになっていくことは、広く社会の変動を見る中で、命を基本にした学びを続けることす。AI化が進みスマートシティ構想も始まる中で、人々にとって、生き物にとって、地球にとって豊かな地平を開いていけるかは、命の学びをクリエイティブ・マインドを持って具体化していくことでしょう。

私には二人の息子がいます。長男はインターナショナル・プレナーサリー・スクールから、日本の幼稚園から高校まで私立の一貫校に通い、浪人期間を経てアメリカ東海岸のリベラルアーツ・カレッジで学び、卒業後はオックスフォード大学大学院へ進み修士を修了しました。次男はモンテッソーリ幼稚園から国立大学付属の小学校・中学校に通い、私立大学付属高校のSSH(スーパーサイエンス・ハイスクール)クラスで学び、そのまま系列の大学へ進みましたが、3年生でアメリカ西海岸のリベラルアーツ・カレッジに編入しました。次男が生まれる時の夫との話し合で、長男と次男は、異なる道を歩ませ、長男と同じ道を進むことで次男がいつまでも弟とならないようにすることを決めました。この決断は、夫が二人兄弟の次男であった経験によることも大きいです。長男は、ニューヨークの病院で生まれました。次男はアメリカでの出産も当初は考えていましたが、日本で自宅出産しました。このように出産でさえ全く異なる体験で、違う視点を養うこととなりました。

息子二人のこれまでの経歴を並べると、もしかして私たちが経済的に恵まれた人たちではないかと思われるかもしれませんが、全くそうではなく、日本の平均的収入の共働きの家庭です。仕事は出来る範囲で続けてきました。子育ての大変さよりも子育てで学ぶことで自らが広がり生きる道が多層になり、それが豊かさだと感じています。ただ一つ一ついのちを育むことを大切に思い、自分たちなりに考えて進んできた道です。

こうしたわたしの子育てのビジョンには長男を授かる前に経験したことも大きく影響しています。89年ベルリンの壁が壊れた時やその後数年に渡り東欧や旧ソビエトの現地を体験する機会があり、このことは“大きな転換点で世界を構築する”試みを思考する大きなきっかけとなりました。その中でも、特に心に残ったのは、少し前までは政治犯として投獄されていた劇作家で革命後にチェコ・スロバキアの文化大臣になった人と会って話した時のことです。

「毎日ここで人々に会って話を聞いているのだが、人々は今までの体制が壊れたことで新しい理想の社会に誰かがしてくれると思っている。自分たちで一つ一つ作っていくとは思っていない。それは、自ら何かするというような教育を受けていないからだ。そのような教育をどのように始めていけるのか。それが一番の課題だ」

と彼は語りました。教育がいかに大切かを私は深く心に留めました。この言葉が折触れて思い返されます。

それからしばらくして長男を身ごもり、ニューヨークに移り住みました。ニューヨークであったがゆえに、日本の慣習に縛られることなく、出産や子育てが一つ一つ自ら手探りで考えるところから始められたのは大きなことでした。一つ一つが世界の扉を開くような機会でした。


コロナ禍という全く予想不可能な状況で、大きな世界の変換期において、この本で伝えようとしている「クリエイティブ・ペアレンツ」という生き方を通して、私は、仕事を持つ男女が子どもを持つことが負担ではなく、自ら新たに多層で豊かな地平を開いていける、とても楽しみなことであることが少しでも伝わり、子育てという未開の地に乗り出して、未来を共にクリエイトしていけるきっかけとなることを願っています。


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