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【潜在意識・ゆめ】母の手

夢はめったに見ないほうだった。
いぜん、夢日記をつけていた時があったが、
月に3、4回みればいいほうだった。

寝る前に枕元に紙とペンを用意しておいて、
目が覚めると忘れないうちに
夢のストーリーと気になった場面の絵、
感情、気づいた事などを書きとめておく。
そんな習慣を続けていた。

今夜は見れるかと期待しながら
眠りにつくのだが、朝起きたとき
夢を覚えていることは少なかった。

その私が珍しいことに、
先週一週間のあいだに3回も夢をみた。


夢を毎回、記録していると気づくことがある。
潜在意識が送ってくる夢は、
今まさに生きているこの現実と
見事なまでにリンクしているという事だ。

私は主役としてそこに居るのか、
それとも脇役としているのか。
私の発言や行動は、能動的なのか、
あるいは受身なのか。
自分は自律的な人なのか、
それとも依存的な人なのか。

私という人はどういう人なのか。
夢はそのことをリアルに伝えている。

私は夢の中で、
いつも誰かや何かに翻弄されていた。
いつも誰かに何か言われて、
私は反応するだけ。
あるいは、何も言い返せなかった。
あるのは悲しみと無力感。 
情けないことに主体性がどこにも無かった。

夢の中の私は、
現実の私そのものだった。
いぜんの私は、
本当にそういう人だった。
潜在意識と現実は完全に対応しているのである。

ところが先週見た3編の夢は
以前とまったく違っていた。
いずれも幸せな夢だった。

3編のなかの1編。
私と母。
現実ではずっと確執のあった母だったのに、
夢の中では
ふつうの母娘のように親密な関係。
私は二十歳ぐらいの娘で、
母はまだ若かった。
私は子供のように母にまとわりつき、
両手で母の手に触れる。
母の手は肉厚で柔らかく、
表面を撫でた感触は意外とざらざらしていた。
洗剤で手荒れしているんだろうかと思う。
母の体温を感じて
私は安心感に包まれている。
母はミルクのような白い肌の色をしていて、
あたりには天使の羽のような
白い羽毛が舞っていた。

こんな幸せな夢は初めてだ。
母が夢に出てきたのも初めてだし。

しかも、もともとの私たちは、
拒絶する母に
受け入れてほしいと願いながら
何もできずに離れている私、
という関係だった。
母の身体に触れた記憶はないのに、
夢の中ではスキンシップしてる。
現実の母はあんなに優しくはないのだけど。


そういえば、あの夢を見てから
母に対する感情は変わったように思う。

何が母と私の関係を変えたのか。
これまで怒りの感情の解放に
取り組んできたからだと思っている。
いくら思考だけを変えようとしても
本質は変わらない。
それより泣いたほうがいいのである。

母の夢は
優しさに包まれたような夢だった。

いぜんのように夢を見たあとに残る
ささくれだった気分はどこにも無かった。

そうなのだ。
私は母に甘えたかった。
ただ受け入れてほしかったのだ。

潜在意識は
私のほんとうの願いはこれだよと
そこのところを、すごく、すごく
強調したかったんだろう。

母への未完了な感情は
夢の中で成就したのである。

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