先生の教え「かけがえのない、私たち」《前》
雲の切れ間から顔を出した、一昨日の満月。
2022年度末の最後の満月でした。強い浄化パワーが、わたしの中の旧い体制を押し流していくようです。
ちょうど一昨日、満月のその日、嬉しいお知らせがありました。故郷の岡山県倉敷市からでした。高校時代の美術の恩師の近影が、クラスメイトのラインで送られてきたのでした。
私のこころが故郷に向かうようになったすべての始まりは、昨年暮れにみた夢の中にありました。夢でお世話になった美術の先生に再会したことでした。この再会にひらめきを得て、ネットで先生を探し当てました。そうしたら、なんと先生は一昨年、卒寿(90歳)になっていました。
気がついたら40年の歳月が流れていたのです。私は浦島状態というか、故郷のことはお留守になっていて、すっかり忘れていたのでした。頭の片隅のどこかに一点ぐらいあっただけでした。
すぐに先生に電話をしました。昔のような声の張りは失なわれていて、さすがにお年を感じましたが、私のことをよく覚えていて、嬉しそうに私の名前を呼んでくれました。
大学進学と共に故郷を離れて、ずっと捨て置かれたままになっていた古い記憶がいっぺんに巻き戻されて、思春期の新鮮な息吹がよみがえってきました。
夢をきっかけに、私のこころは長い旅路をへて故郷に帰ったのでした。旅のあいだに、大阪で仕事して、京都で結婚して、石垣島をめぐり、いまやっと着地点を見つけたような深い安堵感に包まれています。
先生の近影はちょうど一昨日の満月の日にクラスメイトが撮影したものでした。はっとしました。かなりなお爺さまになっていました。当たり前といえば当たり前ですが、隔世の感がありました。
先生の写真の下には、「来年2月、高梁市の成羽美術館で開催される先生の個展のために、教え子たちがアトリエの片付けをしに来ていました」と書かれていました。
先生は教員生活60年、91歳の今も現役の画家として活躍しています。来年の個展にむけて教え子たちが協力するとは、先生の人望の篤さと美術への情熱をものがたるお話です。私はほっとしました。まだ、お元気でいてくれる。
しかし、いつまでも私たちの側にいてくれる訳ではないのだからと心にきざみ、すごく貴重な今という時間をたいせつに噛み締めながら私はこれからしばらくは生きていくのでしょう。
お互いに、この世に肉体をもって存在している間にもう一度つながれたことを、奇跡のように思っているのです。
先生がお元気なうちに私が故郷の地を踏めますように。
メイク・ア・ウィッシュ!
満月の夜に願ったのでした。
前編おわり
後編はこちら
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