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婚活していた時のはなし

私は基本的には恋愛結婚派です。

見合い結婚というのはどうもピンとこなくて、よく知らない人と結婚を決める人のことが分かりませんでした。

私にとって結婚は恋愛の延長にあるもので、相手と距離が縮まって結婚にいたるのは、会話を重ねてお互いのコトを少しずつ知り合いながら理解したその積み重ねの先にある、と考えていました。

相手を知り理解するプロセスを抜きにして生涯のパートナーを決めるなんてあり得ないことでした。


しかし最近は私が恋愛至上主義で、結婚を軽視していたかもしれないと考えが変わってきました。

という訳でもない、いや、あるのかも知れませんが、私がちょっとだけ婚活していた時のことを思い出しました。


私が婚活していたというより、婚活中の男性と会ってみた、と言うほうが正しいです。

私はもともと結婚に夢をもっていなかったし、結婚は絶対にするべきもの、とも思っていませんでした。

その時に会ってみた三人の男性がいました。

一人は天涯孤独な人で五十歳ぐらい、私のことを「貴婦人のようだ」と褒めちぎり、高級ワインを飲みながらうんちくを傾けて、「私と結婚したら毎日こんな生活ができますよ」「バッグ一つだけで来てください。入籍しますから」、必死感が漂う感じでした。

二人目はバツ一、先妻とのあいだに子供一人、石垣に移住する少し前の京都時代に出会った人で、石垣に住むようになってから、その人に「死んで石垣の星にならんと帰っておいで」とラブコールをもらったので、お正月に帰省したときに会ってみてよく話を聞いてみたら、もしかしたら経歴を詐称しているのでは?見栄をはって大風呂敷広げていたのかも。


最後の一人はバツ一、子供は居るのかどうか分からない、仕事も趣味も充実していると話していた、「君にお小遣いをあげましょう」と言ってぽんと封筒を手渡された、数えてみたら三十万円入っていて、「貰わないわ」とすぐ返したら、「君って良い人だね。いぜん結婚したかった人に五百万円つかったけど、逃げられたんだ」、この人病んでいると思った、あとから聞いた話によると精神病質の家系の人だったみたい。

みんな、仕事はちゃんとやっているようで、とにかく結婚したいという熱意は伝わってきたけど、三人とも共通して感じたことは、何か与えなければ無条件では愛されないと思っている淋しい人だということでした。

そのとき会った人たちは、まさにその時の私の心情を反映していたと思います。

そこで学んだことは、淋しいときは淋しい人しか来ない、ということでした。


やはり結婚は幸せなときにしたほうがいい。

結婚したら幸せになるのではなくて、幸せだから結婚する、そうありたいと思います。



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