春分の日、断食明けでした
人生で初めての断食を敢行しました。
一週間かけて、はじめの三日はお粥を日毎に少しずつ薄くしていって、中の一日は水だけ、あとの三日はお粥を日毎に濃くしていきました。
一週間ぐらい食べなくても死なへんわ、と思っていましたが、予想以上のキツさでした。
断食は、ただ空腹を我慢することではありませんでした。
最後の二日くらいになると、体力が落ちて、立ちくらみがして、肉体はかくじつに死に向かっている、という感覚がありました。
断食とは、死を体験する、ことなんだと思いました。私の感想です。
断食明けの春分の日、空っぽの冷蔵庫を補充するため買い物に出かけました。
たった一週間の断食なのに脂肪がおちて、力が入らない身体でふらふらしながら歩きました。
肉や野菜、パンでいっぱいのバッグを下げての帰り道、息切れがしてへたりこんでしましました。バッグから買ったばかりのチョコレートを一欠片、口に入れて着付け薬のかわりにしました。そして、もういちど立ち上がって歩き出しました。
断食していたあいだ、精神活動は衰えませんでした。通常運転、という感じでした。
なぜ、断食を?
ヨガの本なんかを読んでいたら、月に一日はプチ断食をすると良い、と書いてあるし、断食道場で本格的な断食をすると、免疫力が上がってガンも治癒した、との報告もあって、いつか断食してみるつもりではいました。
修験道の行でも断食しますね。大阿闍梨、とか。大阿闍梨になる行に入る前に、行者は自分の葬式を済ませるそうです。つまり死を覚悟してから、行に入るわけです。四十日間でしたか、すいません、よく覚えていませんが、行を終えるとすぐに救急車に乗って病院にいくといいます。命を落とした人もいたかもしれません…。
修験道は生と死の境目まで行きますね。死に瀕すると再生のスイッチが入る、という、人の身体に備わっている不思議なシステムに、私は興味が尽きないのです。
断食して落ちた脂肪といっしょに、これからの人生には持っていけない余分なものが、ぜんぶ抜け落ちているといいなと思います。
まだ身体に力は戻ってきていませんが、肌は前よりきれいになったみたいです。
なぜか、この時期に断食する気になったのです。
占星術では春分は宇宙の元旦といいます。新しいスタートの前に断食はピッタリのイベントなのでした。
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