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身体の声を聞く 自分を守るために


 先日のこと。

 モヤッとして、どうしても気になることがあった。

 それは、あるセミナーを受講しようかどうか検討していたときのことだ。

 私は向学のために、ときどき気になったセミナーは受けてみることにしている。

 こんかい検討中のセミナーは、いまの私にとってかなり、どストライクな内容だった。

 もしかしたら今後の私のスキルをアップするのみならず、セッションの中核を占めることになるかもしれない、と思われた。

 受けたい!

 ただし、高額なのだ。

 どうしよう。迷う。気持ちは10段階で6ぐらい受講したい方向に傾いている。

 思い切って個別相談会に出てみた。

 そこでセミナー講師のビジネスパートナーという人から、コンサルをみっちり2時間ちかく受けた。

 個別相談会はいってみれぱ個別の商談会みたいなものである。

 そのビジネスパートナーという人は、相談会をおとずれた顧客の私と、まずコンサルで信頼関係をきずく。

 それから商品の購入を迷っている顧客の背中を押すクロージングという手法をつかって、

「この講座を受講されたら、こんな幸せな未来が待っていますよ」

 と売り込みをかけてくる。

 説明会は、そこまでは滞りなく流れた。


 が、モヤッとしたのは、この後である。

 私が煮え切らず、購入をためらっていると、その人は一転、威圧的な口調に変わった。

「いまのままでは、半年後、一年後はどうなっていると思いますか」

 このときすでに、人の良い私は相手を信じ切って自分の悩みを話してしまった後で、いわば私は弱みを握られたかっこうだ。

 そのとき、私は崖っぷちに追い込まれた気分になって、恐怖を感じていた。

 主導権を完全に相手に握られている。 

 みぞおちがモヤッとして、なんとも言えないイヤな感じがする。

 私はしまった、と後悔に似た気持ちになった。 

 悩みを話さなければよかった。

 

 あなたも今までに、こんな場面、ありませんでしたか? セールスマンに迫られたこと。


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 人が商品を購入するときのモチベーションは、「快を得たい」と「不快を避けたい」の二つに集約されるという。

 相手はこれまでいくつもの商談を成立させてきたマーケティングのプロかどうか知らないが、

「この商品を購入すると幸せになれます」

「この商品を購入しなかったら幸せになれませんよ」

の二つのトークを使い分けて、顧客の心を巧みにコントロールしてくるやり手のようだった。

 このとき私は、不安を煽られると、人はモノを買うのだということを知った。

 不安を煽られると、相手のいいなりになってしまう。

 そのカラクリを悟った私はすっかり白けてしまった。

 そして、このセミナー受講の件は、すっぱり白紙に戻すことにした。


 と同時に、このモヤッとした感覚と同じ感覚を、いぜんにも感じた、あることを思い出した。

 それは、母が入信していた新興宗教の会場でのことだった。

 母は、父に先立たれた喪失感から会場に通うようになった。父は61歳で亡くなり、そのとき母は7歳年下の54歳。

 母が気がかりな私は、千人規模を収容する会場で母とならんで、壇上の教祖なる人の講話を聞いた。

 そのとき、教祖の発したある一言にモヤッとした。

「会場を離れた人は、落ちていきます」

 ナニ? 落ちていくって?

 思わず自分が崖から落ちていくところを想像して一瞬、身震いしたが、そんな虚言には巻き込まれなかった。

 ヤツの狙いは、

「きみたちは力を奪われた無力で情けない存在である、だから助けてあげる」

と洗脳しようてしているだけでないか。

 なんだ、不安を煽って離れられなくさせる、こんなやり方。マインドコントロールやん。

 教祖はピラミッド型の組織の頂点にいる。

 支配者は、こちらの力を奪って来ようとする。

 そういうことか。

 私はいっぺんに冷めてしまって、こんな所、二度とくるもんかと誓うのだけど、周りを見回すと、みんな熱心に聞き入っている。


 もうこれ以上、教団のことには触れないが、弱っている人は、かんたんに依存させられるんだろうな、と思う。


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 で、何が言いたいかというと、そのモヤッとした感覚のことである。

 モヤッとした感覚は身体からの重要なメッセージが含まれている、ということ。

 モヤッとした時、あとで冷静になってよくよく振り返ってみると、大切にされていない、ということに気づく。

 モヤッとするのは、「大切にされていませんよ。このまま進むと不吉です」という身体からの重要なお知らせなのだ。

 アタマはどんなに打ち消しても、身体は違和感をキャッチして、私たちを守ってくれる。

 ただし、身体の感覚が鈍ってなければ。


 身体の感覚が鈍っていると、無防備な状態になって、自分を守ることができません。

 身体の感覚が麻痺している人は、害のある人とない人の見分けがつきません。

 感覚が麻痺しているから、ウソが見抜けない。

 信じやすくて、権威に弱い。

 信じてはいけない人を信じて、ついていってイタい目に遭ったり。

 自分より他人を優先したり。

 優しくて都合のいい人になっている。

 あなたは、そんなところがありませんか。

 私はありました。


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 ところで、身体の感覚が麻痺するのは原因があります。幼少期の親子関係に端を発しています。

 親から愛されなかたり、安心感をもらえなかった子供は、親を怒らせないように、見捨てられないように生きていこうとする戦略をたてます。もちろん無意識にです。

 そして、自分の感覚を閉じて、周りの感覚を拾うようになります。

 つまり、周りにとっての快適な環境、周りとってのいい人、に自らなろうとするのです。

 そうすることで周りから受けいれられようとするのです。

 受け入れてもらうために、いい人になる。苦しい選択ですよね。子供時代にこんな決断をしていたなんて。切なくなります。

 自分を守ることについては、今日はこのへんにして、べつの機会にお話ししますね。



 日本は察する文化だから、じつは有りもしない他人の目をおそれることは、ふつうにあります。


「この商品を買わなければ幸せになりません」と言われたから買ったり、教団の教祖にひれ伏したりするのは、よほど自分に自信がない人か、心身が弱っている人ばかり、とは限らないのです。

 ふだんから少しでも、人から嫌われたくない、人からどう思われているか気になる人は、気をつけたほうがいいかもしれません。

 モヤッとしたら、いったん立ち止まって、身体の声に耳を傾けましょう。

 くれぐれも、他人に主導権を明け渡さないようにしましょう。


 ともあれ身体は、いつも一緒にいてくれて、黙ってあなたを守ってくれているのです。

 身体はあなたの一番の味方なのです。


 この記事が誰かの役に立ちますように。


 最後まで読んでくれて、ありがとうございました。



#エッセイ

#身体感覚 #ソマティック心理学


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