「思考のサンドバッグになってもいいよ」
20年来の友人が言ってくれた言葉。
自分の考えを煮詰める過程で、「人に話す」ということが有効であることは往々にしてあるけれど、それは他人の時間を奪う行為でもあり、私はいつもそこまで踏み出すのに勇気がいる。
「高校の休み時間にいつもの友達とする何気ない会話」的な時間が、大人になった今ほとんど皆無である代わりに、メールや電話で遠くの友人とも一瞬で繋がれたりするのは
ありがたくもあり
でも勇気を一絞りする感覚が私にはある。
結論の出ていない思考
取り留めなく浮かんだ考え
思いついたこと
誰かに話せば、きっともう一歩先に進めるであろう事案は、いつも落とし所が決まっておらず
未知の可能性と、考え初めから結論までの一連の思考と会話全てが、無為な時間となるリスクをはらんでいる。
時間が有限であることが身に沁みてからは特に、「何に対して思考を深めるか」「誰に話を振るか」は、重要な選択であり、自他の運命を左右する。
①あ。すごい良さそうな遊びの企画を思いついたぞ!〇〇ちゃんにLINEしよ!
②この件はちょっと〇〇さんに話してみようかな。
③●△□×〇orgsgdliyg△auh;vl/…
言わずもがな問題なのは③的案件である。
ちょっとひっかかっているけれど、さして取り沙汰す必要性も現時点では感じないし、「とりあえず放置」案件。思考の引き出しにそっと仕舞って、タイミングを待っている話題の新芽、というか種?
少しずつピースが集まって、やっと話題として日の目を見る③的案件は、とりあえず外の世界に出すことで発芽と成長が早まることはわかっている。自分のためにも、その案件のためにもそうする方がいいはずだ。下手すると数年引き出しに仕舞いっぱなしで、数年後に「あ、これ7年前のやつだ」って気付くことさえ起きる。
が
それをぶつけられる相手にとっては、まさにサンドバッグとならざるを得ないのだ。
相談
とも違い、
報告
でもない。
悩み
じゃないし、
気付き
でもない。
相手にとっては(その時点の自分にとっても)
??
なのだから。
しかし、特にカテゴライズできない??な話題(の種)が、思わぬ大輪の花を咲かすことがある。まず、「思考のサンドバッグ」ていうぴったりの言葉に出会えたことで、この記事は生まれている。
「サンドバッグになってもいいよ」ってすごくない?
神か仏か
慈愛か人類愛か
善か徳なのか
とにかくありがたい。
ありがとう。
え?いいの?サンドバッグでいいの?
本当に??
3回くらい確認したい気持ちだ。が、厚意は素直に受け取りたい(願望)。
何でお返しするのが良いかなぁ
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