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丁寧な暮らしなんてクソくらえ。と思う私もいる話

ある時期から、ほとんどコンビニ飯で育った。

毎晩、「好きなものを買ってきていいよ」と、500円を渡される。

夕暮れ時に4つ下の妹と一緒にコンビニへ行く。セブンイレブンの「ミルクフランス」とか「お好み焼きパン」とかを好んで買っていた。

中学生になると、放課後は塾に通いはじめた。夜はリプトンのあまーい紅茶の500mlパックと菓子パンをセットで買うのがお決まりだった。

ちょっと贅沢したい時は、ロッテリアのハンバーガーを買って、シャカシャカポテトをキメてやった。あとは牛丼と「ほっかほっか亭」にもお世話になっていた。

たまに父が料理をしてくれた。焼きそばか、野菜炒めか、冷凍餃子だ。

マルミヤのソース焼きそば。美味しかった。

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結婚してから、相手方のご実家へ伺ったとき、朝ごはんに驚愕した。

物語に出てくるような、「THE 朝ごはん」が出てきたのだ。お味噌汁、白いご飯、おかずたち...。

すごい!と驚いていたら。な、なんと晩ご飯も手作りだった。

お嫁が来たから張り切って作ってくださったのだろうか?
いいえ。これが義実家の「日常」で、お義母さんは、朝ごはんも、お昼ご飯も、晩ご飯も、だいたい手作りするのだという。

そんなお家が本当にあるなんて。びっくりである。

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家庭の事情というのは、本当に千差万別だ。

できれば、手作りのご飯を食べたい、食べさせたい。そうは言っても、現実の様々な問題が壁となり、手作りなんて出来ない家もある。食べものがあるだけでありがたいという家も。

スーパーに行けば、カップラーメンは100円で買える。でも、無農薬の野菜は100円では買えない。

母は、病気になるまでお皿の一枚も父に洗わせたことはなかったそうだ。母が病を患い、皿の一枚も洗ったことのなかった父が頑張って作ってくれたのがマルミヤのソース焼きそばだ。現場仕事の帰りに買って帰ってきてくれたのが松屋の牛丼だし、ほっかほか亭の弁当だ。

「好きなものを買ってきていいよ」と渡した500円に、どんな想いがのっていたのか。私には分からない。分からないけど、そのお金で買ったコンビニの菓子パンを、私は美味しいと思って食べていた。

「美味しい」と思って食べていた私は、「可哀そうな子供」だったのか?

そんな家庭に「子供にコンビニ弁当だなんて!即席麺だなんて!もっと丁寧に暮らしなさいよ!」と訴えるのは正しいことなのか?

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私は今、色んな経験を経て、生活をもっと大切にしたいなと思っている。自分にとっても、地球にとっても、善い暮らしを探求したい。消費の在り方を、ちょっとでも良い方に見直したい。

けれど、こうして主張することが、誰かを傷つけるんじゃないか。と、時々考えてしまう。なんなら、昔の自分がちょっと傷ついている気もする。少し悲しくなる時がある。

「丁寧な暮らし」を目の前にすると、「そんなの嘘っぱちだよ」とウンザリしてしまう時もある。エシカルエシカルうるせー!と思ってしまう時もある。

正しさは、正しいだけで既に暴力だ。

だから、正しいと思うことを主張する時、本当は人を殴るくらいの勇気が必要だ。正しさの使い方には、とても気をつけないといけない。

それでも、「気づいてしまった人間」は、その勇気を持って、優しさも持って、自分が正しいと思う行動を取らなくちゃいけない。

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そんな矛盾を抱えながら、私はやっぱり暮らしを大事にしたいな、という気持ちがあるから、生活共同体を作ろうとしている。

どんな風になるのか、私もまだよく分かっていない。けれど、優しい集まりになったらいいなと思う。

矛盾が描くグラデーションを許し合いながら、もがく。様々な体験を通して、自分が「善い」と思える態度を探していく。

そんなコミュニティにしたいな。

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