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【フリースクール】暑い夏のご挨拶-学校と教育委員会へ

今週は、近隣の各学校と教育委員会へご挨拶回り。小回りがきくのがバイクのメリットだが、赤信号待ちでじりじりと太陽に焼かれていると、車の中で涼しそうにしている人たちが心底うらやましくなる…。

初めて行く場所もあり、道路の渋滞も考慮して、Googleマップが示す時間にさらに30分追加して出発。案の定、約束の時間より大幅に早く到着したので、まずバイクだけ校内にそっと停め、門から少し離れたところで時間が経つのを待つ。遅れるよりずっといいと自分に言い聞かせる。汗がどんどん噴き出してくる。陽射しが痛い。

夏休み中のため、学校はどこもリラックスした雰囲気。そのおかげか、ガチガチに緊張していた心臓が少し緩む(暑さのせいでぼーっとしていたのもあるかもしれない)。それにしても、職員室のドアをノックして開けるのは、なぜあんなに緊張するのだろうか。かつてその部屋の中で働いていた私も、やっぱり緊張する。

自分が中学生だったとき、先生に用があったり鍵が必要だったりで職員室に行く。扉を開けて「バスケットボール部の岩下です。体育館のカギを借りに来ました。」と大きな声で言っても反応が返ってこない。後ろを向いて仕事をしている先生たちが振り向いてくれない。これって結構寂しいもので、いまでもその寂しさが心にチクッと残っている。慣れてくると、適当な挨拶をして、鍵だけ奪っていくようになる。そうなると「どこの部活や、きちんと挨拶せえ」とか注意されてしまう。

教育現場で働くようになって同じような光景を何度も経験した。「誰かが対応するだろう」「振り向いたら自分が対応しないといけない」「いま忙しい」。きっとあの時の先生方もこんな気持ちだったのだろう。実際、とても多忙な職業だ。私は昔の「チクッ」が残っていたため、過剰なほど反応していた。電話にも率先して出て、さながら受付嬢のような自分を楽しんでいた。自分が所属する学年以外の生徒とも会話ができるのは楽しかったし、そういった雑務を積極的にすると、多くの先輩先生から可愛がってもらえた。

大人になってから職員室の扉を開けることが緊張するのは、もちろん子どもの頃とは理由が異なる。というか、真逆だ。大人の来訪となると、扉を開けた瞬間、一斉に視線が集中する。注目されないのも寂しいが、集めすぎも困るだなんて、なんとも自分勝手な人間だ。

扉を開けた時の緊張が、昔の記憶を呼び起こしたため話が長くなってしまった。

挨拶回りには、スクールの内容を記載したリーフレットを持参。相手の貴重な時間を頂戴していると思うと、ついつい早口になったり、伝えたいことを言い忘れてしまう。反省点が多い結果となったが、大満足の仕上がりのリーフレットがそんな私をうまくカバーしてくれていることを切に願う。



不登校の児童・生徒を対象としたフリースクールを大阪の茨木市で始めるにあたり、一言ご挨拶したく、事前に電話で訪問の約束をしてお伺いしました。お忙しいところ、各学校とも教頭先生が丁寧に対応してくださり、貴重なご挨拶の機会をいただけたこと、深く感謝申し上げます。



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