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ポイ捨てに対する意識の違い

富士山が上に乗っかっているように見えるローソンが、
幕を作って富士山が見えないようにする、というニュースは世界中のメディアを賑わせているようで、生徒さんたちも知っていました。

私が読んだこの記事では、ソーシャルメディアから引用された世界中からの反響として、「ごみが少し増えるのがそんなに問題か」という声が紹介されています。

ごみを落とさない、ポイ捨てしない、というのは、
日本では常識・マナーである以上に、
ごみを残していくのは恥ずかしい、という文化や精神が根付いている気がします。
日本では小学校から毎日掃除の時間があり、教室だけでなく、廊下や靴箱など、みんなが使う場所を掃除する習慣もあります。
そしてそのことに対する嫌悪感などはあまり育たない環境にあると考えられます。

しかし、世界中の人々は、ごみのポイ捨てに関して、同じ意識を抱いているとは限らないのです。

オーストラリアの現地のハイスクールで教えていたとき、
授業で色画用紙などを使ってポスター作りをした後、色紙の切れ端などが落ちていたので、授業の最後に、自分の周りのごみを拾ってごみ箱に捨てるように指示しました。

すると、拾ってくれる生徒がほとんどでしたが、中には、
「これは自分のごみじゃないから拾わない」
「どうしてごみを拾わなければいけないの?あとで掃除の人が掃除するでしょ?」
「自分たちがごみを拾ったら、掃除の人の仕事がなくなるよ?」
と主張して、頑として拾わない生徒もいて、
本当にびっくりしたのを覚えています。

そのハイスクールでは、放課後になると掃除の人が来て、
一つ一つの教室を掃除していました。
子どもが通っているカナダの小学校でも、用務員さんのような人が常時いて、
校内を掃除してくださるのです。

また、以前住んでいたマレーシアでも、家の掃除は週に何回か、メイドさんに依頼するのが普通でした。

このように、ごみは誰かが掃除してくれるもの、という意識で行動している人も、少なからず存在するのです。
それは外国人、日本人問わず、ですけれどね。

誤解を避けるために付け加えると、私が住んだことのある国にももちろん、ごみはゴミ箱に捨てる人がほとんどで、
毎朝散歩する近所の森でも、ごみ袋を持って他人のごみをボランティアで拾っている人もたくさんいます。

オーバーツーリズムによるごみの問題を防ぐためには、
はっきりと、禁止事項を明確に、そしてポジティブなメッセージとして示していくことが必要になってくると思います。

日本では、注意書きがあふれると窮屈だから、とか、
注意しなくてもそんなことしないよね、という和の心で、
あまり注意事項を掲示しない傾向もありますが、
はっきり言わなければ伝わらないこともあるのです。
クールな景観を保つために、みんなで協力しよう!
とポジティブにお願いすることは、
そこを訪れた人たちの意識を高めることにもつながるのではないでしょうか。

ちなみに、カナダ人の夫は、
この富士山を隠す幕を設置した後、
富士山が見えるところによじ登ったり、
入ってはいけない場所に入って写真を撮ろうとする人が出てくると思うよ、
と申しております。

どうなることやら、
富士山ローソンの件、遠くから続報を待つことにいたしましょう。







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