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母は詐欺師

いつもはタイトルなんて考えず、思いついたままに書き出すのだが、
こと、母について書こうと思うと小さな抵抗が起きる。


このブログを始めてから、ちょいちょい匂う「母と確執ある」感。
勢いでそのまま母のことを書きたくなることもある。

その日のうちに書けばよかったのだけど、
彼女に触れるとけっこうヘビーな内容になりそうで、
改めてちゃんと書こうと思ってしまっていた。

なのに、いざ書こうとすると
何から書けばいいのだろう…となる。

気分が乗ってないと無理らしい。
勢いも必要なようだ。

というわけで、
今日は試しにタイトルから決めてみた。

「母は詐欺師」
なかなかなタイトルがふと浮かぶ。

他にもいくつか候補は浮かんだが、
タイトル次第で書き始めの言葉が違った。
内容も変わりそうだと気づいた。

ちょっといい気づき。


最初に母を詐欺師と呼んだのは姉だった。

「ほら、お母さんって、詐欺師じゃない」と、
何気ない会話の中にさらっと、
「ほら、鯖って脂乗ってると美味しいじゃない」
くらいの感じで、

さも世間の常識、当たり前のことをいっているかの如く入れ込んできた。

一瞬、「え?」と目を丸くしたものの、
ここは負けじと笑いを堪えて応戦に出る私。

「そうね。世間じゃ”弘美”と書いて”サギシ”って読むくらいだからね。」
と、
さも当たり前のようにさらっと答える。

「そうそう。新しい読み方よね。辞書にも登録されたんじゃなかったかしら。」
負けじと姉が被せてくる。

「そうね。広辞苑には載ったらしいよ。
”詐欺師”って書いて”ひろみ”って読むっていうのと両方ね。」
私も負けじとまた被せていく。

笑いすぎてどちらかが返せなくなるまでこれをやり続ける。


私たちはよくこんなくだらないラリーをする。

本題からはどんどん外れていくのだけれど、
負けず嫌い姉妹は、こんなところでも勝ちにこだわるのだ。

この勝負、だいたいは私が涙を流しながら笑い転げて終わる。
そして、本題に戻ることはほぼない。


「母は詐欺師」
と言い切ってはいるが、本当に詐欺師なわけではない。
(「いや、詐欺師でしょ」と姉に突っ込まれそうだが)

そして、母を知る多くの人は絶対に母のことを詐欺師とは思わないだろう。
(だって本物の詐欺師じゃないし)

むしろ、明るくて、美人で、優しくて、思いやりのあるとてもいい人。
とでも言ってくれそう。

子供のころ、私は母に憧れていたし、母みたいになりたいと思っていた。
大人になってからもずっと、母のことを尊敬していた。

そんな母が娘たちから詐欺師と呼ばれるまでになったきっかけは、家業の倒産。
それ以降、母は人が変わってしまったかのように私は感じた。

でも、変わってしまったかに見えた母が実は本質で、
成熟していない私が母をいいようにしか見ていなかっただけなのかもしれない。
別に母が変わったわけではないのだろうと今は思う。

子供の頃、父がよく母に言っていた。
「お前は嘘をつく」と。

そう、母は嘘つきなのだ。

「息を吸うように嘘をつく」
という表現がぴったり。

その場を取り繕うためにどんな嘘でもつく。

それに、上手に人の気持ちを操ることができる。
あれはもう尊敬の域だ。

母と関わった人は、
なんだか母を助けたくなり、
母のためにできる限りのことをしてしまう。

彼女は人たらしなのだ。


私が子供の頃、母がお金の工面をしているのを見てきた。
母の妹だったり、親戚だったり、知り合いだったり、
父の仕事関係の人だったこともあった。

大人になって、お金を稼ぐようになった私も当然のように母を助けた。
自分を犠牲にして、母に尽くしてしまった。

助けたといえば聞こえはいいが、お金を工面して渡すというのがほとんど。
本当の意味で母を助けられていたとは思わない。
「糖尿病患者に饅頭を食べさせるようなもの。」
そういって断れるようになるまでたくさんの時間がかかった。

「助けてもらえないかしら?」

母のその言葉は「お金ちょうだい」を意味した。

「どうにかならない?」
「貸してもらえない?」もあったな。

母がお金が必要な時は、どこまでも電話をかけてきた。
職場でも、外出先でも。

私がお金がないときは、
誰かに借りるよう頼まれた。

いついつまでに返すから。と言ったこともあったが、
返済日になって連絡が取れたことはない。
お金を貸すまでは簡単に繋がるのだが。

だからだろうか。
姉は未だに「助けて」を言わない。
助けてもらわなければならない状況を作らない。

助けを求めると、相手が辛くなると思うのではないだろうか。
相手に無理をさせてしまうと思うのではないだろうか。

私がそうだからそう思う。

当時は、母の頼みを断ることは、とても大きな罪のような気がしていた。

母の言葉が、
「お金ちょうだい」だったら、
断ることにあんなに罪悪感を持たなくてすんだのかもしれない。


なぜあんなに母のために生きてしまったのだろう。

私は与えられるだけのお金を母に与えたし、
きっと、それは姉も同じだろう。

私たちは母に必要とされることで、自分の存在を感じていたのかもしれない。


そんな、母のために生きた健気な姉妹は、
数年後にいとも簡単に母に捨てられるのだが。

ポイって。

もう笑うしかない。

長い時間が必要だったが、たくさんの痛みは今は笑いの種になった。

心がヒリヒリする時間をたくさん過ごしたけれど、こうやって文章にすることもできる。

今となっては、母が詐欺師なのはもはやギャグだ。
絶対笑える鉄板ネタ。

車の中の何気ない姉との会話から生まれた「お母さん詐欺師」説。

この日から母は詐欺師とからかわれるようになり、
今では母もそれを否定せず笑うようになった。


「かよちゃんは、お母さんからぽんって生まれているから、
結局はお母さんを許してしまうんだよ。何をされてもお母さんのことが大好きなんだよ。」
まだぜんぜん過去を笑い飛ばせないころ、少し涙ぐんで姉が言った。

許さないと言っていても許している。
大嫌いだと言っても大好き。

そういうものなのだと。


「母は詐欺師」シリーズ、
また書こう。


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