やさしい世界

ご飯を食べるとき、お笑い番組を観ている。

きっかけは「笑いたい」だった。

一人暮らしで、
家で仕事をしていると、一日誰とも話をしていない。
なんて日もある。

今となっては、
にゃんこたちとの日々は笑いが絶えず、
笑わないという日はないし、
にゃんこに話しかけるので、しゃべらないという日もない。

必要ないと言えば、必要ないのかもしれないのだけれど、
「ご飯+番組」が、なんだか習慣化していて、、、

というより、
ご飯の時にiPadを開くのがセットのようになっている。

正直、この悪習慣はやめたい。


もう何かで孤独を埋める必要はないのだから。



最初はドラマだった。
今考えれば違法アップロードの「半沢直樹」

週に一度の「半沢直樹」にちょっと救われていた。

そのころは一人暮らしではなくて、
スコットランドでハウスシェアだったから常に誰かが家にいた。

それに、コミュニティで働いていたから、
いろんな人が周りにいたし、
ランチもディナーも”コミュニティセンター”という
食堂みたいなところで食べていたから、
常に周りに人はいたし、
一人でいるってほとんどなかった。

でも、
私は集団が苦手で、
場に馴染めなくて、
人とのコミュニケーションを取るのもうまくできなくて、

だから、人の輪の中にいても
いつも孤独を感じていた。

居る場所に違和感を感じていた。という方が正しいかもしれない。

自分が居ていい気がしない。


「私、英語があんまりしゃべれないから。」

いつもそう言っていた。

だからシェアもうまくできないし、
みんなともあんまり馴染めないし、
みんなに理解してもらえないし、、、

「英語がしゃべれないから」を、私が孤独な理由にしていた。

幼さっていつまでつきまとうんだろう。

あの時の私の孤独の理由は、
「英語がしゃべれないから」ではなくて、
人に心を開けないから。

人を信用できないから。

人が怖いから。

私を理解してくれる人だけを受け入れて、
自分からは近づかない。

本当は孤独なんて感じたくないのに、
孤独を選んでいた。


私は、”東京”に住んでいることが苦しくて、
日本から逃げ出した。

”日本社会”に適応するのが苦しくて、
私にやさしい場所に行きたかった。
絶対に戻りたくなかった。

日本は私にとって苦しい場所だったから。

でもある日、
「私、なんて自分にやさしくないことをしているんだろう。」
そう思ったら、涙が止まらなくなった。

日本が苦しくて、やさしい場所にきたはずなのに。

怪我をして病院に行って、
医者や看護師の話していることがあんまり理解できなくて、
待合室でもどうすればいいのかあんまりわかんなくて、

なんにもわからない不安と、
「私、”私”になんてことしているんだろう。」と申し訳なくて
ずっと涙が止まらなかった。

「帰ろう。」
スコットランドで暮らしていくことを辞めようと決めた。

私、北の果てまで逃げないとわかんなかったんだな。
逃げても無駄だってことに。


今でも、
集団は苦手。
人も怖い。

仕事をする上で、
それなりの”社会性”はやれるから、
そんな風に見られることはあまりなく、
人ともそこそこうまくやれる。

だけど、
自分をさらけ出しているとは言えないし、
自分の内側に入れこむ人はかなり限定されている。

”身内”ってうまい言葉だなと思う。
私の自身の内側に入れる人のことなんだな。

それは、血のつながりとかではなく。


スコットランドにいた私と、
日本にいる私と、
側から見ると何も変わりない。

にこにこしていて、
人から悪い印象は持たれなくて、(と思う。)
ちょっと華やかなとこもあったりして、
お人好しで、
けっこうなめられがち。

なんら変わりない。

でも、
私は私にやさしくなった。


今、世界は私にとってやさしい場所。

この世界は優しい。

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