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母から娘へ 6/4:君はダルカラへ行きたいか?

 先月20日に千秋楽を無事迎え、私にとってのハレの日が終わり、再びケの日が始まりました。
 これでゆっくりできるかなと思った翌朝6時半、次女・Mちゃんの電話で起こされました。公演中は無理だから、終わったら手伝いに行くねと約束してたのすっかり忘れてた。
 23日は川越、24日は所沢での就労支援セミナー講師で仕事に出かけ、あっという間に日常生活に戻っちゃいました。キャリア・カウンセラーの仕事+ばあば稼業+仕事のない日はピースボートセンター東京のボランティア・ワークという目下の私のライフスタイルです。

 そんな中26−27日の週末に、今年も福島県飯舘村へ「ふくしま再生の会」の田植えに参加してきました。あなたが行ったのは2年前だったっけ?今年の田植えは75人と過去最多の人数で大賑わいでした。中でもかつてないほど演劇関係の人が多かったのは嬉しい。
 昨年に引き続き参加の谷賢一さん(演出家、Dull-Colored Pop、通称ダルカラ主宰)、青年団の制作・太田裕子さんに加え、今年7月のダルカラ公演に出演する役者5名が初参加してくれました。
 村内移動のとき、車に乗せて頂いた東大農学部教授の溝口さんが、小学校時代の劇で間の取り方と人に訴える話し方を学んだ、と演劇の力を力説していたのが印象的でした。
 「ふくしま再生の会」としても、昨年の演出家岩松了さんへの取材協力以降(鶴屋南北戯曲賞受賞の「薄い桃色のかたまり」)、演劇に取り上げてもらうのは大歓迎だそうです。実は私はダルカラの「セシウム・ベリー・ジャム」が福島の原発事故の直後に再演されたのを観ていて、ひどく感激した記憶があります。谷さんは昨年、飯舘の後も3週間各地を取材して、クラウド・ファンディングで資金を集め、この夏いよいよ公演となるそうです。

飯舘から帰った翌日、同行のTさんからメールが届き、谷さんの東京公演をみんなで誘い合わせて見に行こうとご提案頂きました。

196年:夜に昇る太陽」と題されたそのお芝居は、三部作の第一部となるそうです。チラシによると、谷さんは幼少期を福島で過ごし、原発事故はなぜ起きてしまったのか、震災以降ずっと考えてきたそうです。その問いに答えを出すべく2年に渡る取材を経て、福島の歴史を執筆し、今回上演することになったそう。
 1961年は双葉町が原発誘致を決定した年です。あの頃、人々は何を夢見ていたのか。当時の夢であり現在の悲劇の発端でもある1961年を「演劇」つまり人間同士のドラマとして描き出したいとあります。すごく面白そうじゃない?!
 あなたも東北のボランティアへ行ったり、飯舘にも来たりしているし、興味ある? 一緒に行きますか? 公演は7月7-8日に福島・いわき芸術文化交流館アリオス 小劇場で始まって、東京公演は7月21日−8月5日まで@こまばアゴラ劇場だそうですよ。

※写真は再生の会のFacebookの昨年5月の投稿「マキバノハナゾノにて」から拝借いたしました

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