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団体行動やチームマネジメントが極めて苦手な人は組織で生きていけないか?

東証1部上場グループで、マネジメント職の肩書を多数持っていた私だが、団体生活がとてつもなく苦手だと自覚した学生の頃から、組織で働くなんてとんでもない、と思っていた。それはもうはっきりと。

だから、高校を卒業したら自営業をしようと思っていたけど、思い直して大学にも行くことになって選んだのは経営学科だったし、新卒で入った某大手保険会社でも確定申告が必要な歩合給の職種だった。その後、転職した先も、面接で3年で辞めると話した上での採用だった。(なぜ15年もいたのかは、こちらをご参考ください。)

「経営」や「チームマネジメント」をテーマにしたビジネス書を読むと、良しとされている経営者や管理職は、いずれも神がかった聖人君主だ。なんとか目指してみようと毎日努力はしているものの、一度も間違えず対応できる自信はない

飲食店やカフェ、SNSなどでも、経営者や上司の悪口は、日常的に飛び交っている。どれだけ間違えないよう意識しても、どこかのテーブル、どこかのタイムラインで流れるそれを見聞きして、「あー、それ、昨日やっちゃったわ…」などと落ち込む毎日だ。

だから、肩書が増えて、マネジメント対象になるメンバーが増えるたびにひどく怯えていた。人を増やすくらいであれば、システム導入を含め生産性を最大にできる方法に変えるか、それでも足りなければ自分が作業員として業務を請け負わせてほしい、というダメ管理職である。そんな私でも、委任という形ではあるものの組織に所属していられたのは、ようやく自分にとってのコツが見つかったからかもしれない。といっても、メンバーに恵まれているという可能性が高く、何が正解かなんて全くわからないけど。

人間という字は「人の間」と書く

金八先生の名言みたいだが、これは、所属していた会社が運営する介護施設の施設長が、介護疲れで心を病んでしまったご家族様にかけた言葉だ。

「親を介護施設に入れるなんて薄情なことはできない」と無理をして心を患ってしまったご家族様に、「人間という字は『人の間』と書きます。たとえ親であっても適切な間をとらないとお互いに苦しくなる。一度任せていただけませんか」とお伝えし、体験入居していただいたところ、ご家族様の心も回復し、より良いケアができるようになったそうだ。

この話を聞く1年ほど前から、急激に拡大する組織への接し方に激しく悩んでいたのだが、最近になって、私にとっての解決策はこれだったなと思っている。

オフィスにいるのをやめてみた

社内で目の前にいるメンバーの動きを見ながらマネジメントすることに何の成果も見られないどころかマイナスをきたしていたので、ちょうど社外での仕事が増え、さらに海外出張も入ってきたこともあり、思い切って、自分だけ勝手にリモートシステムを組んで、オフィスにいないようにした。幸い、入社以来、労働時間などの経緯で評価されたことはなかったので、オフィスにいないことを咎められたことは一度もなかった。

ただ、トラブルが起こった時に、任せているから知らぬ存ぜぬでは単なる無責任でしかないので、有事対応は全部自分にした。最初は、たいしたことがない案件でも、すぐに有事未遂で上がってきたのだけど、オフィスにいた頃に比べ、初動が遅れるにもかかわらず納期は変わらないので、正直めちゃくちゃしんどかった。

それでも、徐々に変化が見られ、近くにいると「なんで、わざわざ、そんなことするんだろう」「なんで、これ先にやっておかないんだろう」「ほら、やっぱりそうなった」と、本質的な問題ではない些細なことまで気になっていたのだが、冷静に物事が見れるようになり、精神的にも楽になった。また、私が何か言うことがあっても、言われる側のリーダーに自覚があるので、以前よりは少しうまく意思疎通できるようになったと思う。

暗闇の中で見えた光

人それぞれに合った距離を見つけることによって、こんな私にでも組織で働くことができるかもしれないと、ちょびっとだけ思い始めた頃、何を思ったか新たに部署が新設され、まさかの直轄の新卒が配属された。今だから言えることだが、新卒採用には一切関わっておらず話したこともない子だったので、もし自分が潰してしまったら、と思うと怖くて仕方がなくて、基礎教育は他部署のリーダーに託し、逃げるように、彼女が配属された大阪のオフィスには月に2回も入らなかった。

私の手掛ける案件は、社内のどこにも経験者がいなくて、教えてくれる先輩はいない。さらに、私は細かい指示をされるのが超絶苦手なので、ゴールだけを伝える指示しかできない。それでも彼女は、自分で考え、どんなことでも全部自分ごとにしてきた。

これは、上司・部下という形ではなく、チームとしてやっていけるかもしれない

そう思った私は、彼女に、私が教えられる全てのことを伝えたいと思ったのだが、お互いに心地良い距離感をキープすることを最優先し、飲食などのプライベートな接点は一切排除、会食やイベントをセットし、私から伝えるのではなく、クライアントや友人たちから伝えてもらった。特に、その人たちとは「こういうこと言ってほしい」なんて打ち合わせは一切しなかったけど、私が彼女に教えたいことを言ってくれるだろうという予感があって、その人たちは私が思った以上のことを彼女に伝えてくれたし、彼女も私が思った以上にそれを吸収した。

原点に戻って、万人受けすることを放棄

巷ではリモート推進が叫ばれているが、こうして、コロナ禍以前からリモートでマネジメントをしていたので、リモートには向き不向きがあり、結果重視となるリモートはしんどいと感じる人も少なくないのではないかと思う。
それと同じで、ゴールだけ与えられて到達方法は好きにさせてほしいという人もいれば、ゴールまでどうやって到達するか決めてほしいという人もいて当たり前だ。

マネジメント職としては、1人当たりの生産性を評価軸とする管理部門からのスタートだったこともあり、もともと部下の人数をステータスと思っていない

それでも、手掛けていた案件が思ったより進み始め、これまでのように「人と一緒に働くのが苦手なんです。一人で全部できるんで大丈夫です。」と言っていられないくらい人が必要になった。

そこで、社会人生活で初めて、うちでやりたいことの方向性や考え方が合う仲間探しを始めた。ただ、自由に働きたい系の人は戦闘能力も高いので、組織のバランスを考えて少数とし、絶対に周りと比較して優劣を付けない、ということは肝に銘じた。組織には、目標を達成するために役割があり、どの役割が他より優れているということなどないからだ。

組織ってなんか楽しいかも

こうして仲間が増えたのだが、そもそも、案件の特性上、社内にも世の中にも経験者がいないことが多く、学生や新卒、中堅、ベテラン、役員など関係なかった。年収が高い人が責任を取るという自然の摂理はあるけど、正直、上司・部下の概念もない

あるのは、言ったことは何らかの結果がでるまでやってみる、方向転換をする場合は判断材料が出るよう動くかだけだ。役員であろうと、ミーティングで偉そうなことを話すだけで行動を伴わないようことがあれば、二度と信用してもらえないんじゃないかとすら思う。

ちなみに、同じオフィスにいても同じ部屋にはおらず、1回も会わない日もあったし、基本的に会話のベースはチャットだ。毎日、それぞれが違うことをしていて必要な時だけ集う。コロナ禍ということもあるが、ランチですら1回も一緒に行ったことがなかった。笑

それでも想定より進んでいたし、必要な時にどんなフォローが必要かも明確だし、トラブった時の対応もスムーズだった。大げさなミーティングなどしなくても、自然とメンバー感で得意・不得意を認識し、役割分担ができていた。

共通のゴールだけが決まっていて、それぞれのやり方で到達を目指していける組織って、なんか楽しい

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