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自分インタビュー vol.2 久島佳代のこと


―1人で生きて行くということではなく、一番の理解者は自分であるといいのかなと思っていて、きっと誰にでもいるもう1人の自分を無かったことにせず、見ていくことで自分の見え方も変わってくるのかなと思っている―

▶︎前回の続きをお願いします。
「はい。話すことまだありますかね?(笑)」
▶︎ありますよ!(笑)前回のお話は自己愛みたいなところで終わっていましたが、久島さんの中には外を生きる自分と、中で自分に問う自分がいるという感じでお話ししていましたが、そういった感覚は小さな頃からあった感じなのでしょうか。
「そうですね。いつからという明確なものはわからないですが、小さな頃からありましたね」
▶︎あまりその感覚ってわかる人とわからない人がいると思うのですが、どんな感じかお話を聞かせていただいてもいいですか?
「私はずっとこの感覚というか、心の自分と相談して生きてきた感じです。本当の自分の気持ちと、時に外に出てしまう自分の心地よくない行動に葛藤しながら過ごしていた感じというか、自分って本当は良い人なのになかなかそれが外に出ないから、心の自分と会議しながら過ごしている感じというか」
▶︎こういうことって人に話したことありますか?
「他の人もそうやって生きていると思っていたので、言ったことはなかったです。でも、高校の頃「なんでこんなことを人に言ったり、やったりするんだろう。みんなの中には自分を止めてくれる中の人はいないのか」とすごく思う時期があって、短大に行った頃、中学校からの友人と話していた時に「かよちゃんって二重人格?」って結構衝撃なことを言われたことがあったんです(笑)」
▶︎「急にその言葉を伝えられると本人としては衝撃ですよね(笑)
「そうなんです。でも、そのお陰でまた調べたりもして、でも内容を見ているとそれとはまた違う感覚なんだよなーって思って、そこで他の人には自分が悪いことをしてしまいそうな時に、自分を止めてくれる人がいないまたは、聞かないフリをしているのかもしれないと気がついたんです」
▶︎自分を自分で止めるって、俯瞰していないと結構難しいですよね。自分も余計なこと言ってしまったり、してしまったりしちゃいます。
「そうですね。人間だからしちゃいますよね。私も全然あるんです。でも、その友人に「かよちゃんはいつも自分を客観視している」と言われて、その時に自分を俯瞰して見ているというか、自分を見守りつつもちょっと監視しているような自分がいるということに気がついたんです。だから、人が傷つくようなことを私がすると俯瞰して見ている私が私を過ごく叱ります。これだけ聞くとホラーですよね(笑)

―綺麗な自分だけを見ようとすると、本当の自分が見えなくなる。本当はどちらもあっていいし、綺麗に生きようとしなくてもいいと思います。いろんな自分をわかっているかわかっていないかで大きく違うかなと思っているー
▶︎でもこれって、どの時代も大切なんだろうけどSNSが普及している今の時代、もっと大切になっていくかもしれませんね。
「そうかもしれないですね。これって結局はこの言葉を外に出すか、出さないか、行動をすぐするか、時間をあけてするか、そもそも行動自体をするのか、しないのか、全ては自分で考えてやっていくしかなくて、決めていかないといけない。そこがわからないとどうしても自分の意見をただただ外に出すことが権利だと思われちゃうかなって思っています」
▶︎自分にもグサグサきますね〜!!(笑)これってSNSだけじゃなくて対面でも同じですね。
「ですね(笑)私も常にやっちまったー!と思いながら過ごしています。対話も同じですよね。もちろん自分の意見は大切だけど、出すか出さないか、どんな言葉を選ぶか選ばないかは自分にかかっている。怖いなって思う(笑)
▶︎そんな試されながら生きている人ってあまりいない気がする(笑)そういう生き方って苦しくないですか?
「うーん。ずっとこの生き方だから苦しいと感じたことはあまりないかも。どちらかというと、私は嫌な自分をその場しのぎで肯定したり、見ないようにする方がよっぽど苦しかったなって思っているんですよね。
▶︎その場しのぎの肯定とは例えばどんな感じですか。
「例えば…感情が出過ぎちゃって言葉を選ばずに外の世界に出してしまったとして、本当はこういう伝え方したいわけじゃなかったのに。と思う自分の本当の気持ちを見ないフリして、それでも自分の大切な意見だから出したっていいという部分を肯定するとか。こういうことって、クセになると違和感なくその思考になっていってしまうなって思っているんです。それは自分の本心じゃないからそこを肯定してしまうと、結局は本当の自分を否定することになる。
▶︎私にもそういうことありすぎる…!!!!感情出ちゃうし、見ないようにすることもある。(笑)
「私も出ます。イラっともしちゃうし、言葉が強く出ちゃうこともあります。でも、これって自分を責めながら生きてねって言いたいわけではなくて、私はその凸凹すら愛おしいなと思っている。否定して生きて欲しいわけではないんです。だからといってなんでもいいわけではないでしょ?という中でそれでもどうやってその自分と向き合うか、受け止めていくかを考えている姿はとても愛おしいと思っちゃう。自分も含めて完璧はつまらないなーって思っちゃっているんです(笑)」

―わかること、わかってもらうことって時に残酷だなと思っていて、残酷な一面と、土台を作る大切な一面の両方の側面を見ながらどこをわかっていくのかいつも自分に問いかけながら過ごしている―
▶︎「本心じゃないところを肯定すると、本当の自分を否定することになる」ってところをもう少し掘り下げて聞いてみたいなと思うのですが、そこら辺はどんな感じですか?
「なんだろう。わかりやすい言葉を使うと「自己肯定感」ってありますけど、そもそも自分の違和感を肯定するということは自己肯定感は上がらないのではないかって思っているんです」
▶︎自分の違和感を肯定するとは例えばどんな感じですか
「例えばですけど、授業中、自分の意見を「言わなかった」のか、「言えなかった」のかって全然違うと思うんです。これは言えることがいいとか、言えないことが悪いとかの話ではなく、「自分の意見が言いたかったのに言えなかった」として、それをちょっと聞こえの良い理由をつけて「言わなかった」に自分で持っていくと、そこで本心とのズレが出てきてしまうんです。それを自分や周りの人が受け止めるとそのズレは本人の中に蓄積されていく。自分の違和感を肯定するということは、実際は自分を否定していることになると思っているんです。
▶︎それって、違和感を肯定することで本心を無かったことにする感じですかね。
「結局はそうなるかもしれないですね。上書きするみたいな、蓋をするイメージもあります。実際は「言えない」でも「言わない」でもどちらでもよくて、大切なのは言いたかったのか、言わなくてもよかったのか、言いたくなかったのか、その他なのかそこはなんでもいいんですけど、自分が自分の本当の気持ちをわかっているのかってところが大切なんじゃないかって思ってるんです。聞こえのいい理由つけて本心を無くすと変なことになっちゃうなって」

ー自分も大切なようにあなたも大切にしたいと思っていて、人のことを考えると自分を犠牲にしていると思われがちだけど、人のことも大切にしたいと言う気持ちをポジティヴに使いたいと思っているー
▶︎そのやり取りを久島さんは1人と言うかもう1人の久島さんとやってきているんですね。それって自分だと難しい人もいそうですよね。
「難しいかもしれないですね。でも、「自問自答」という言葉があるから、無意識でやっている人もいるかもしれないですね。私は生きて行く上でここが本当に大切だと思っているので、子どもたちと関わる時に私がもう1人の自分にやってもらっていることを子どもたちにしているんだと思います。
▶︎久島さんに取って「考える」ということがすごく大切なことなんでしょうね
「そうだと思います。やっぱり考えて、感じて、どうするのかを自分で決めて、そうやって自分の中の世界と外の世界を調整していく人が増えたら少しでも豊かな人が増えるのではないかって思っています。またその人と出会った誰かもその人の豊かさをもらって、その豊かさがまた繋がっていい循環になるのではないかと、結構本気で思っています(笑)だから、自分の気持ちをまずは自分が知る、わかることが一番大切で、その気持ちをわかってからどうしていくか、どうしていきたいのかを考えていけばいい。本当の気持ちをわからないとどうしていきたいのかもわからないと思うので、そこは時間がかかってもいいかなって思っている…なんか今回ちょっと真面目ですね(笑)
▶︎いいんですいいんです!でも、一発ギャグとか入れておきます?(笑)
「いや、持ちギャグとかないです(笑)」
▶︎「ホンマツテントウムシ」とか入れておかないでいいですか(笑)
「あれ持ちギャグじゃないですから。ただの口癖です。何ならハンバートハンバートの曲のタイトルを気に入って使ってるだけですから(笑)」
▶︎ホンマツテントウムシ今後も使っていきましょう!(笑)では、一発ギャグはないとのことなので、また次回も楽しみにしています!
「謎のプレッシャーかけないで下さい(笑)こんなスパンで出してしまうと、話すこともすぐ底をつきそうですが…でもまた楽しみにしています!ありがとうございました」

インタビュアー:久島佳代 インタビュイー:久島佳代

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