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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第50回 第41章 タイマン、そして出港 (前半)

第41章 タイマン、そして出港 (前半)

「皆さんそのまま! ゆっくり手を上げてください、港湾警察です。麻薬密輸容疑で捜査します。ここに令状があります」(ウソ)。
 巡洋艦にチョビ髭のネズミが1匹忍び込んでも(「おはよーございます」)全体が揺れることはないが、こっちはうんと軽い6人乗りのクルーザーであった。
「あら、パパ、予定通りね。Du bist aber immer so pünktlich, Vati!” 
 何と、セシリアの父親本人が来てしまったのである。防衛本能が働き、ボクは全身縮み上がった。
「おう、キミか、Joeくんというのは?」という日本語の声が聞こえた。笑顔で右手を私の方に差し出している。上に上げて、左手で脇を隠したりしてはいない。仮にそうなら意図おかし。ゴリラに握手を求められたら(“Hi, I’m Kotetsu.”)、その平ではなく甲の方を掴まなければ強い握力で人間の手は握り潰されてしまうので警戒が必要である、という警告をどこかで読んだことを思い出したが、相手はゴリラには見えなかった。力強い欧米式の握手であった。いっぺんに親近感が湧いた。選挙運動で候補者が盛んに握手戦術を取るのにはちゃんと理由があるのだな。そうした候補者の手の甲の方を握ろうとしたら相手に睨まれるだろうか、それとも両手で胸をドラミングして見せられるだろうか。
「はい、あのう」
「私はデイビッド。セシリアの父です。英国法の事務弁護士その他をしています。エクイティの研究もしています。著書は単著、共著合わせて日本語で4冊、英語で6冊、その他に論文がドイツ語で1本あります。あなたは黒外のドイツ語専攻の方でしたね。地方からよく現役で入れましたね」
(礼儀正しい紳士じゃん。これなら多分殴られないで済みそう)。
 あれえ、どこかで見覚えがあるぞ。だけど、そんなはずはないではないか。初対面だぞ、この男性。これまで一度もセシリアから写真も見せてもらったことはなかったし。
 だが、そうだ、何度もテレビで見たことがあったのだ。何と、高級外車のコマーシャルで見たことのある顔だった! エキストラの方ではない。余裕たっぷりの笑顔でマンハッタンをドライブする場面を、夜の経済ニュースの途中に挟まるコマーシャルで見たことがあった。マジっすか?
 これがセシリアの父親だった。少し前までは両眼とも2.0と視力が良く(6.0まではない)、以前は伊達(某。オレじゃないし)メガネをしていたのだが、2年前から度の軽いメガネが必要になっていた。これがまたドンピシャリの似合い方だった。遠くから見ても目立つイケメンである。しかも、ラフな格好がよう似合いまんねん。ただのジーンズに少し傷んだポロシャツだけである。これがもうモカシンのデッキシューズによく合っている。いくつかに分かれて離れて行く氷山の動きを逆回しにしたように、少しずつ記憶の断片が繋がっていく。この相手は私が高校生のころ狸小路の潰れかけた映画館で友だちと見た映画にも出演していたのだ。すると、この人物は、オックスフォード大学卒業の英国事務弁護士、(日本国内での)外国法事務弁護士、コンサルタント会社経営者を務めているだけでなく、発明家、画家、投資家、作家、大学非常勤講師、等々にさらに加えて、ちょい役ではあっても映画俳優までしていたのか。もう、あたし負けそう。
 当然、船舶免許も取得しているし、さらに超小型の黄色潜水艦の操縦資格まで持っていてもおかしくなかった。イギリスなら十分あり得る話であった。Yellow submarine, yellow submarine. 
「どうして英語ではなくドイツ語を勉強しようと考えたのですか」
(19歳になったばかりの、年少者の、田舎もんの、ビンボーな、無知な、まだ何の専門家にもなっていない、社会の一素材に過ぎないこの馬の骨のオレに、この人生の成功者は敬語を使ってくれる。その謙譲なる姿勢に痺れる。脳の中が、座禅を組まされた後のあんよのようだ)。
「ドイツ車が好きです」
(うーん、悪くないけど、いまいちだな、お前は。もっとマシなことを言え。ヘーゲルやマルクスを原語のまま読んでみたいとか、多和田葉子の奮闘をなぞってみたいとか。そうだ、うちの爺さんがドイツに留学していたからだ。なんでこんな決定的な事実を忘れているんだ、オレは。家族のことは身近過ぎるからだな)。
「今の大学を出た後はどうするつもりですか」
「医師になろうと決意しています」
「それはなぜですか」
「一番人助けになる仕事だからです。恐らく祖父も父もそう考えて医師になったのだと思います。もう二人とも亡くなっています。生きている方の祖父は僧侶をしています。剣道も教えています」
「でも、医学部受験は難関でしょう。ボクは一人娘のセシリアを国内有数に競争率の高い医学部に現役で入れてみて、身に沁みてその難しさは感じていますよ」
「仰せの通りですが、医学部の合格は、受験生本人の決意・猛勉強と家族の協力の問題だと思料致しますです候(キンチョーしちゃった)。東大受験を想定した模試の2科目で全国1位を取ったことがあります」
「それは立派な経歴ですね。健闘を祈りますよ。(大声で)では、諸君、救命胴衣をつけたまへ(また、へ、でっか?)。間もなく出航するぞ。敵は本能寺じゃ、大坂城に火を放て、東照宮に家康顔のスフィンクスを建てろ、ちょんまげを付けるのを忘れるな、五稜郭を空爆せよ、時計台の鐘が鳴る、色丹島沖が朝焼けになる、ラッコたちが波間に仰向けに浮かびながら貝でリズムを取る、カン、カン、カーン」
(もうわやでんがな)。

第41章 タイマン、そして出港(後半) https://note.com/kayatan555/n/n536e6f2110b1 に続く。

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