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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第3回 第2章 今日の日付は 

 さて、それで、今日は何月何日だったっけ? 目が覚める瞬間までたまたま見ていた夢の中で、カリブ海訛りのフランス語を話すイケメン海賊たちと、傾きながら大きく転回中の帆船の狭い甲板上で絶世の北欧美女を巡ってフェンシングをしていたばかりなので、現実世界の日付はにわかには思い出せない。
「ほんこ(=本気)は痛いから止めてね」
 近くの海域ではドレイクの船団が暴れまくって、ポトシからの銀(や、一部は金)を満載したスペイン船を襲っている。奪った敵船の一部は自陣営の船に転用するのだ。エリザベス1世は、カトリックの強国群に囲まれて絶体絶命の切迫した危機に瀕していた人口450万人の小国イングランドの運命、そして結果的に英語の様相をも大きく変えた。サー・フランシス・ウォルシンガムによる情報収集活動は、ヨーロッパ各国だけでなく、ローマ教皇庁やスペイン宮廷にさえ及んでいた。
 財宝を満載したスペイン船団を襲撃する海賊稼業はハバナの要塞に着く前が勝負だ。
 ヘミングウェーがキューバに居を構えるのは何世紀も先のことだ。それはきっとコーヒーを飲みながらキリマンジャロに寄り道していたからじゃろ。キミはもうA Moveable Feast(移動祝祭日)を読んだか? パリに関する巻頭の呼びかけ文が印象的だから、今すぐ調べて覚えておいたら、いつかきっと役に立つ。
 拙者がこの野蛮人どもらから姫を救出いたすっ。あ、まだ頭は夢うつつだっち。どっちが本当の世界なんだ? 有利で楽ちんな方が本物だったらいいな。好きな方を自由に選ばせてくれないだろうか。モンタージュ写真の要領で、その都度好都合な条件ばかり揃えた人間に変身するのである。
 住んでいる場所も、大通公園に面した最新の7億円もしたメゾネットタイプのマンションの大区画で、内部は江戸城の間取りを意識して設計されていて、リビングは80畳もあるんだ畳。8畳間の10倍だど。端から端まで歩く間に吹雪か過労で遭難するかも知れない。天井が肉眼で確認できないほど高いので、時々部屋の中に流れ星が現れては七色に燃えさかりながらタヌキ山の彼方に消えて行く。まあ、ちれい。あちきの瞳みたいざんす。南向きの窓際の半分は様々な植物で一杯である。北海道では露地栽培不能のビワまで実をつけている。横では、各国でナンパ、いや、托鉢をしながらの世界一周旅行中に、居酒屋の皿からはみ出すホッケが、いや、北海道が気に入って、目下階段下の一部斜め天井の小部屋に短期寄宿を決め込んでいる巴里の琵琶法師が、目を閉じ首を傾げて朗誦する。
「祇園精舎の鐘の声〜、べん、べん、べんっ(ああ、その先忘れた。どうしても出てこない)」
「カーン」
 のど自慢の鐘がひとつだけ鳴る。
(おまけどっせ)。
 蔵書はまだ少ないが、自動書架に最大2万冊収納でき、読みたい本や雑誌をスマホで音声検索して、4脚ロボットで室内の好きな場所にとっとこ運んでこさせられる。
「これですかい、旦那」
(違うぞ、バカ者、気をつけろ。ぴしっ、ぴしっ、ぴしっ!)。
 ワインセラーには150本ものワインがひしめいている。赤、白、黄色(黄色?)。第一次世界大戦前に仕込まれた逸品もある。ロンドンに代理人を派遣して衛星糸電話で連絡を取りながらのオークションで手に入れた。100年以上経っている。ということは、瓶とコルクとラベルの外の世界のスペイン風邪、2度にわたる世界大戦、その他の危機の数々を乗り越えた沈黙の勇者たちだ。これらのワインの生産者たちは、それぞれのワインを生産した後、どのような人生を送ったのだろうか。シャンパンも常に2ダースはあって、平均して月に6本ほどのペースで飲んでいる。
 永久號のからすみも10本は常備してある。また行くぞ、台北。総統府前の凱達格蘭大道(ケタガランたいどう)、入園料無料で早朝から開放されている植物園内ではしゃぎまくる笑顔の小学生たち、迪化街の煉瓦の建物群、永康街の明るい雑踏、富錦街の車道を覆う大木の街路樹や気取ったカフェ、101や誠品書店、猫空へ向かう途中で折れ曲がるロープウェー。乾物はずいぶん北海道産があるけど。ああ、誰でもいいから飲みに来い。
 眼下の四角い公園の木々の下を散策する密かに幸せそうな人たちを眺めながら、好きな曲を次々に大音声でかけて、一緒に聴いて歌おう。次は桑田だ、ユーミンだ。ラジオは壊れてしまったのか。負けないぞ、夢を諦めないぞ、ときめきを信じるぞ。Oh, the Pacific。泣きたくなったら泣くだけ泣いて、すっくと立ち上がろう。横を見て、真面目な目付きでfall in love. すぐに腰を下ろしてコサック兵たちの猛烈に素早い足突き出しダンスに加わろう。Hey, come on! Allons-y, tout le monde !
 まぶたを閉じて再び夢に潜航していく。あれー、さっきは凶暴な顔つきで拙者と刃を合わせていた相手たちが、一転して、緊張しながらも溌剌とした笑顔で登場してくるウィーンの若々しいデビュタントたちの舞踏会のようにお互いに紳士的な会釈を交わしながら電気カミソリ(「は? シェーバーでございますか?」「ちゃんと日本語で言ってるんですけど」)で顎の剛毛を剃り落としているというのはどういう場面展開だ? 私の腕や手も元の無傷に戻っている。痛みも何もない健康体。慣れないカツラが斜めになっている奴もいる。あれではイギリスに渡って法律家になることはできないし、バッハと並んでハープシコードを演奏することも無理である。ヒンデンブルクを思わせる、上に槍に似た突起のある衛兵の鉄兜が大きすぎて、子どもが大人の帽子を被って目がすっぽり隠れたようになっている元海賊もいる。
「ママー、ぼく見えないよう、暗いよう、怖いよう」
 よほど髭が濃いのか、製材工場で丸太を切断するような音が聞こえる。チーン、バリバリバリ、ジョリジョリーン。ぴたっ。全員一斉に止まってどうする。ああ、これ痛いぞ、髭が刃に挟まってしまった。人生いつ窮地に陥るか分からないな。抜き差しならないとはこのことだ。
 夢の設定が、春先の川岸の氷のようにどんどんずれて行く。この時期の天塩川の水流は冷たい。髭剃り途中、未処理すね毛の風体で男のくせにチュチュを身につけ、隣と手と手を取り合ってカニの横ばいで白鳥の湖を踊る?
「バリッ、ドッボーン!」
「危ない!」
 大変だ、身長が体重に追いついていなかった海賊の一人が、体重に対して十分な厚さのなかった湖面の氷を突き破って、黒々とした冷い水中に首まで落ちてしまった! 昨日はプラス5度まで上がっていたのに、今日の予報最低気温はマイナス32度だ。すぐ穴から救出しないと凍死してしまう。吹雪にさえなってきた。視界は15メートルもなくなっている。高速道路ならとっくに閉鎖になって緊急除雪作業が始まっているころだ。やれやれ、夢の中なのに、なぜアカの他人のためにこんな余計な気を遣ってやらなければならないのか。
 いったん目覚めた後、自分の意思で同じ夢の同じ場面に再び戻ることはできるだろうか。
「では、テイク2行きます」
(この夢のロケーションと俳優たちすごくいいから、テイク50ぐらいまで行ってみたい。そうしているうちに、どこかの映画監督の目に止まってスカウトされないかな)。
 いやあ、戻るのはまず無理だよなあ。仮にできたとしても、どう気付くのか(これは夢に戻ったとき)、そしてどう検証するのか(これは覚醒したとき)。ちょうど映画編集でフィルムを繋ぎ合わせる作業のようなものではないだろうか。知り合いが助教をしている某芸術系大学の映像学科の実習に潜り込んで一度やらせてもらったことがある。この作業は目に悪いったらないが、他で得られない愉悦がある。だが、いくら慎重に編集をしているつもりでも、すぐにまた改善点が見つかるのだ。冷めてしまって、しかも甘さも中途半端でおいしくないココアを手が汚れないようにストローですすりながらラッシュを見ていると、あっという間に数時間が過ぎて行ってしまう。
「このシークエンスは、監督の作ってきた絵コンテの順番の2つ前のシーンに持って行った方が面白そうだ。コワくて言えないけど」
 トイレに行きたくない作業は楽しい作業だ。体を捩りながら耐える。面倒じゃ。「誰か代わりに行ってきてくんろ」
 いつの間にか暗くなってしまった編集室のブラインド越しに、外の大木の幹や枝葉が影絵となって見える。コブシとカツラ、それにアカエゾマツだったはずだ。と言っても、グンデルの音色に合わせてワヤン・クリの人形のように動き出すわけではない。カツラはハート型の葉が面白い。風に揺れ、心も騒ぐ。ドアを押して開けると、両手でハートを作った何人もの笑顔が疲れた私を迎える。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
(大丈夫でせうか、私は?)

 以下の説明は読み飛ばして、すぐに次の章に進んでいただいて結構です。 
 すでにお気づきのように、「ぼく」「私」「拙者」など、人称代名詞は統一していません。ここから先も不統一のまま書きます。その理由を書いておきます。

 日本語では、「I」に対して「私」「わたし」「ワタシ」「わたくし」「あたし」「あたい」「あちき」「僕」「ぼく」「ボク」「俺」「おれ」「オレ」「わし」「おいら」「拙者」「小生」「身共」「麿」等々、「you」に対しても「あなた」「貴方」「君」「きみ」「キミ」「あんた」「お前」「おまえ」「貴殿」「貴様」「ジブン」等々に至るまで多くの表現があります。ここに書いただけで一人称が19種類、二人称が11種類あり、両者を掛けると、実に209通りもの組み合わせが生まれてしまいます。他の人称も加わるので、バリエーションはさらに多彩になります。我々は、そのような世界的に見ても稀な言語空間の中に生きています。
 日本語話者の我々は、現に多様に存在しているこれらの代名詞を自分と相手との関係その他に応じて脳の中で柔軟に使い分けて思考しており、それらを口頭ないし文字の形で発言し記述する段階においても、その細分化された表現を使用する方が自然で、心理的にもよりしっくりします。
 これに対して、二人称の代名詞は英語でもかつてはthouとyouの2種類ありましたが、そのうちに前者は廃れてしまいyouひとつしか残っていません。一方、フランス語、ドイツ語、ロシア語などでは、現在も、tuとvous、duとSie、тыとвыのように二人称に限っては人称代名詞が2つずつありますが、他の人称についてはそれぞれ単独の語しか存在していません。
 英語の「I」と日本語の上記の様々な一人称代名詞は完全に同義とは限りません。想像してみてください。お好きなマンガやドラマの登場人物たちが、自分のことを日本語版で「私は」と呼んでいたとしたら、最初からその表現が使われている場合を除いて、それらの作品自体が成り立たなくなるのではないでしょうか。
 また、正書法もためらわずに逸脱し、お上品とは到底言いがたい俗っぽい表現、方言ないし方言風の言い回しも頻繁に使用します。日本語の豊かな特性を大いに発揮させてください。そこんとこ(*^^)/。

 へば、次の章に移ります。

第3章 6月中旬の美瑛 https://note.com/kayatan555/n/n9d8d18ddf0f1 に続く。(全175章まであります)。

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