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フリーランスに戻ることに "なった" ので

フリーランスに戻ることになった。

はじめてフリーランスになったのは、今から8年前。26歳のとき。
大学を卒業してまず会社員になって。ホワイトな働き方なんてまだまだ言われていない当時。しかも、リモートという時代でもなかったから、8時始業!からの終電で帰って0時に帰宅!はい、6時起床!8時始業!からの……という日がザラだった。

それでも会社が好きだった。いっしょに働くひとたちが好きだった。お客さんが好きで、何よりも仕事が好きだった。

ただ、3年ほど経ったときに「わたしこのままでいいのかな?もっとやりたいこと無かったっけ?」「働き続けることはできる。でも、30代になったときにこのハードワークを乗り越えられるだろうか?」と自分に問うようになった。問いながらも、しばらくは辞めなくて、辞めなくて、辞めなくて。そうしてある朝、起きてふと「あ、今日だ。辞めるって言おう、今日。」とひらめきが降ってきた。

その日の朝、出社してすぐに上司に伝えた。
「辞めたいんです。」と。

会社員という肩書きから脱して、海を越えて、まずニューヨークへ飛んだ。やりたいことやろう!ずっと行きたかった場所に行ってみよう!という気持ちだった。26歳女、はじめてのニューヨークに降り立つ。
最も印象的だったのは、実は白ではなくグリーンな自由の女神でも、夜に煌めくエンパイア・ステート・ビルディングでも、肉汁したたる大きなハンバーガーでもなく(もちろんそれらも魅力的だったけれど)地下鉄で自由に踊る男と、それを引き止める女だった。

ご存知の方もいるかと思うけれど、ニューヨークの地下鉄はもはや劇場だと思わずにはいられない。ガンガン音楽をかけて歌う、踊る、バイオリンやトランペットを揺れながら演奏する、大きな声で聖書を読む。2014年当時の話だから、アフターコロナで今は変わっているかもしれないけれど。

その日、わたしが座席に座っていると、目の前で男が踊り出した。小型のプレイヤーから流れてくる大音量ミュージック。ダンシング、ダンシング、ブレイクダンシング。ニューヨークってすごいなと圧倒されているうちに駅で停車し、男は満足したように降りていく

……と思ったら、わたしの斜め前に座る女が「待って!」と引き止めるではないか。女は男にこう言った。「あんた、いいダンスだったからチップあげたいのよ!ただ、財布がカバンの下に入っていて取れなくて。ちょっと待ちなさいね。」

驚いた。まず、日本で「地下鉄で大音量の音楽を流しながら、ブレイクダンスを踊る」光景を見たことがない。何より、その踊りが「よかったから、引き留めて、ちゃんと「よかった」と伝える(+チップ)」という光景に驚きを超えて、感動すらした。

目の前のできごとを、自分がいいと思えば、いいと主張していいんだ。地下鉄で踊るなんて常識ハズレだろ?あいつ何やってんの?バカじゃん?と捉えなくてもいいんだ。目の前の事実を、自分の目で見極めていいんだ。と。

ニューヨークの自由と個性に触れて帰国したわたしは、よし!やってみるか!と、フリーランスという未知の世界に飛び込むことに決めた。

あたらしい世界はとても大変だった。
それまでは決まった額が毎月、通帳に入ってくるのが当たり前だった。当たり前すぎて通帳なんてよく見ない月ばかりで、何が天引きされているのかもちゃんと理解していなかった。フリーランスになって「たった1円稼ぐことが、どれほど大変か」を身をもって知った。それは自由で、恐怖だった。

踏ん張って、踏ん張って、しばらくフリーランスをしているうちに、会社員時代にいっしょに仕事をしていた先輩が会社を立ち上げることになり、メディア運営者として入社することになった。また会社員に戻ったわたしはそこから転職もしたけれど、ここ数年はずっと会社員だった。正直、もう戻らないと思っていた。あの、甘やかな顔をした、恐怖には。

なのに、来年からまた、フリーランスに戻ることになった。
26歳のときと違うのは、「決めた」じゃなく「なった」。戻ることに ”なった" のだ。もう戻らないつもりだったけれど、自分でもよく分からないうちに自然な流れでここにいる。それならば、抗わずにやってみようかと思う。

今回は、恐怖と仲良くできるだろうか。
よろしくね、恐怖。お手柔らかに。

いただいたお気持ちはあたらしい本に使わせていただきます。よい言葉にふれて、よい言葉を紡げるように。ありがとうございます。