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挑戦とは

大げさなタイトルを書いてしまい、どうしようと後悔してるかやまです。


一昨日、noteを毎日書くと宣言し、昨日、noteで「スナックかやま」というイベントを開催すると書きました。

色々なことをやっていくうちにありがたい事に「挑戦してるね」という言葉をもらえるようになりましたが、ボクの中では正直ピンとこない部分もありました。ボクの中で挑戦する人は眩しい人という定義があったからです。


そもそも「挑戦」ってなんでしょうか。


世の中を見れば大きな挑戦を繰り返し、挫折を乗り越え、栄光をつかみとる眩しい人たちはたくさんいます。

見ているボク達はその人たちに憧れたり、時に眩しさのあまり拒絶したりすることもあります。


でも本当は、今日まで出来なかった事を明日やってみる。

これは全て挑戦だと思います。だからみんな挑戦を重ねているんです。


明日、今日より早く起きる

おはようと言う

いつもと違う道を行く

ご飯の量を減らす

一駅歩いてみる

気になる事を聞いてみる

ありがとうと言う

助けてと声をあげる


今日まで出来なかったことを明日やってみようと思ったなら、それはその時点で挑戦。ただ、人はそれらを挑戦とは思えません。少なくともボクはそうでした。

なぜなのか。

それは自分の中で勝手に挑戦のハードルを上げてるから。

挑戦のハードルを上げると、挑戦できる人と挑戦できない人に勝手に線引きする。勝手な線引きは自分を楽な方へ追いやってしまう。


本来のボクは「思うだけで何もできない→やらずに後悔する」を繰り返す人でした。今でもその要素はたっぷり残ってます。

だから勝手に挑戦のハードルを上げ、線引きし、挑戦できない人のレッテルを自分で貼ってた。


いろんな人たちと出会い、実際に触れ合い、感じ、ボクはボクなりの答えにたどり着きました。

ボクが思う挑戦とは「声に出す事」。

だからボクはやりたいと思う事を口に出す事にしました。

でも他人に聞かれるのが恥ずかしかったり、恐かったりするので初めは独り言でした。

少しずつ人に聞いてもらうようになり、いつのまにか「挑戦してるね」という言葉をもらえるようになりました。


本当は、みな挑戦している。

なのに勝手に挑戦のハードルを上げ、勝手に挑戦している側と挑戦していない側に線を引き、勝手に自分は挑戦していない人だと思い込んでいる。

そのハードルを、線を、思い込みを取り払うためにボクが思い込んだ挑戦とは「声に出すこと」。

世の中ほとんどの事は勝手な自分の思い込み。だったらどう思い込むか。


大げさなタイトルを書いてしまいましたが、これも挑戦だと思います。

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