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「むかむかっとむちゃくちゃになった」

幸田文『おとうと』新潮文庫

幸田文は、原稿をガリガリ音のするほど強い筆圧で書いていたんじゃないかと思う。端正できりりとしていて、あかるくて、怒るときは全身で怒ってはげしい。「むかむかっとむちゃくちゃになった」とか「にゅうと強くなった」とか、どれだけ怒ってるのかと思う。幸田作品を読むときは、頭じゃなくて体幹を使って読んでいる気がする。

「…弟は傘なしで濡れている。腰のポケットへ手をつっこみ、上体をいくらか倒して、がむしゃらに歩いて行くのだが、その後ろ姿には、ねえさんに追いつかれちゃやりきれないと書いてある。げんはそれがなぜだか承知している。弟は腹を立てているし癇癪を納めかねているし、そして情けなさを我慢して濡れて歩いているのだ。だからそんなみじめったらしい気持ちや格好を、いっそほっといてもらいたいのだ。なまじっか姉になど優しくしてもらいたくないのだ。腹立ちっぽいものは必ずきかん気屋なのだ、きかん気のくせに弱虫にきまっている。」

不良といわれてしまう弟は弟なりにしんどく、姉もつらい。家族は互いに思いあっているのにゴツゴツぶつかりあって全然かみあわない。悲しいけれど、なんだかおかしくもある。

裏表紙のあらすじには「事実をふまえて、不良少年とよばれ若くして亡くなった弟への深い愛惜の情をこめた看病と終焉の記録。」とある。
こう書いてあるのだから最後は死だとわかっているのだけれど、やめられずにぐいぐい読んでしまった。面白い、といってはいけないかもしれないけれど、やっぱり面白いのだと思う。全然めそめそしていなくて、読むとかえって体の芯にギアが入る。
読み終えたのは父が亡くなってすぐだったのだけれど、昔も今も変わらず、いいお医者さんや看護師さんというのはこんな感じなんだなあと思った。

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