#3 常連さん誕生。

オープンから半年の間、正スタッフの「ほっしゃん」を軸に、なんとかお店を回していた。仕込みから開店準備、閉店から後片付けのパターンも決まりつつあって、それなりにオペーレーションは出来ていたような気がする。ただそれは、お客さんがそれほど定着しておらず、常に満席という状態でもなかったので、結構時間に余裕があったからだ。
常連さんと言える人もちらほらいたけれど、当時は会話もそんなに弾まなかった。あったとしても、会計時のレジで「いつもありがとうございます」とか「今日はいい天気ですね」とか、当たり障りのない挨拶を交わすだけだった。
この頃は、「飲食部門」としての体裁を整えるのが精一杯で、本来目的としていた姿には全然届いてなかったので、なんとなく自分たちに自信を持てず、自分自身に対して後ろめたさみたいなのがあった。
「飲食」を通じて日銭を稼ぐことが目的となってしまい、カフェのコアとなるはずのデザイン事務所としての機能は全く動かせず、肝心のオフィススペースには資材が大量に放置されたまま。なんとか悪循環を断ち切って、次のステージに移りたかったけれど、実際は何も出来ずにいた。
その最大の問題が、「飲食部門」を完全に任せられる人材がいなかったことだ。自分自身に対する言い訳に捉えられるかもしれないけれど、実際に根深い問題として横たわっていた。
「ほっしゃん」は、それはもう期待以上に頑張ってくれて、早い段階で「飲食部門」としての体裁を作り上げてくれた。ただ彼女も主婦で家庭をもっていたのと、子供を持ちたいという思いもあったので、フルにローテーションに入ってもらうことや、運営・コンセプトについて話し合うことは十分に出来なかった。そういう背景もあって、僕たちはもう一人サブ的な役割を果たすスタッフを臨時に雇用したのだけれど、「ミドリカフェ」としてのコンセプトを理解するには若すぎる子を「バイト」として採用するしかなかった。
今であればSNSなど多様な発信ツールがあるわけだけど、その当時僕は数少ない閲覧者数のホームページ(ブログ)か、掲載文字数が極端に限られている某バイト・求人誌だけだった。「緑豊かな生活提案」をスタッフとともに作っていきたいという僕たちの想いは、しばらく棚上げせざるを得なかったのだ。
それでも「ニューオープニング」と題して、新装オープンしたお店を特集する情報誌からの取材は何件かあったけれど、当然「ぼんやり」としたコンセプトとメニューしか伝えられず、結果どこにでもある「オシャレそうなカフェ」の一つとしてしか紹介されなかった。
とは言え、当時のスタッフでアイデアを話し合い飲食メニューの方向性は決まりつつあったけど、仕入先がまちまちで絞りきれない。近所のスーパーや大手食材メーカーに仕入れを頼らざるを得ない状況が続いていて、「これ」という軸というか「売り」がない状態が続いていた。
いろんなもやもやを抱えながらも、「まだ始まったばかりだから」と自分に言い聞かせ、なんとか前に進もうとした。ただその速度があまりにも遅い感じがしたので、焦りだけが募る一方だった。なんとか突破口を見出せないか…。

ここから先は

5,982字 / 1画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?