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100分de名著ブックス「ハムレット」読んでみた

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「100分で名著」にはまってるのは何度か書いていましたが、今回はシェイクスピアの「ハムレット」に挑戦してみました。

1ー1.私とシェイクスピア

シェイクスピアの本、読んだことはありません。シェイクスピアのことは若干知っているかな?というぐらいです。というのも、初めて海外へ行ったのが高校生のときでしたが、そのときに滞在していたのがStratford-upon-Avonでした。
シェイクスピアのことを何も知らない、作品を1本も読んだことがない私がシェイクスピアの生家を見に行ってました。

そういったことをふと思い出して、「あーこれ読んでみようかな」と思ったのがこの本を読んでみようと思ったきっかけです。

1-2.私とハムレット

シェイクスピアの作品を読んだことがないので、もちろんハムレットも知りません。
よく舞台になっているとか、「To be, or not to be.」というセリフは知っていますが、それ以上のことは一切知りません。「なんかよくわかんないことにぐだぐだ悩んでるイミフな奴」って感じ。
「To be, or not to be(生きるべきか、死ぬべきか).」の一言だけでそんなdisり具合をして申し訳ないなと思うのですが、でも自分が望んでこの世に生を受けてきたわけでもないし、なんなら自ら命を絶つのもよくないから死ぬまで生きないといけないと思うのに、そんなところで悩むって・・という感じでした。

2.「ハムレット」のあらすじ

なんか…文字にしたものを読んでると「なんなんだこのストーリーは」と感じました。
でもたぶんシェークスピアってこんな作品が多い気がします。

ハムレットはデンマーク国王の王子。
父であるデンマーク国王が他界し、その弟のクローディアスが前国王の妃(ガートルード)と結婚して次の国王夫妻となる。
自分の父親の死後、母親がすぐに他の男と結婚して悩むハムレットのもとに
父親の亡霊が現れて「自分は弟に毒殺されたのだ」と語る。

狂気を装って周りを油断させ、復讐の機会を伺うハムレットだが、自分が見た父親の亡霊が本当にそうなのか証拠がほしいと思う。
人としてどう生きるのが正しいか悩むハムレットは、悩むあまり恋人オフィーリアに「尼寺へ行け」と突き放す。

証拠を見つけたハムレットは、祈りを捧げているクローディアスを見つけて殺そうとするが思うところがあり殺害するのをやめる。
その後、ハムレットは母がすぐに再婚したことを責め立て、そして部屋の影に隠れていたオフィーリアの父親であるポローニアスを刺し殺す。そのせいでオフィーリアは発狂して、最期は水死する。

大事な家族2人を亡くして激怒したオフィーリアの兄レアティーズは、ハムレットと剣術試合に挑む。
国王とレアティーズは結託して毒を塗った剣でハムレットを刺そうとするが、王妃は誤って毒の入ったワインを飲んで死ぬ。そして、毒を塗った剣で傷ついたレアティーズは国王の悪事を暴露して死ぬ。
ハムレットは国王に余った毒入りのワインを飲ませて死に、ハムレットも剣に塗られた毒が回って死亡する。

3.今回読んだ本

4.読んだ感想

「ハムレット」は単なる復讐の話かと思っていたのですが、いろんな意味や背景が含まれた作品と知りました。
個人的にポイントだったのは「自我」「実は哲学的なお話」「宗教」「本当のハムレット像」でしょうか。

自我について

「ハムレット」が描かれたのは1603年。1600年頃は中世と近代の狭間で「自我」についても2つの考え方があったそうです。
中世の「自我」は「常に神様と受動的に生きている」、近代の「自我」は「自分ひとりで能動的に生きている」というものだそうです。
昔、何かで「我思う故に我在り」という言葉を聞いて、全然意味がわからず、そこで調べようともしなかったのですが、この対比の言葉(神の照覧あるが故に我在るなり)の意味を知ってやっと腑に落ちました。

●中世の自我
 「神の照覧あるが故に我在るなり」(ニコラウス・クザーヌス)
●近代の自我
 「我思う故に我在り」(ルネ・デカルト)

近代的自我は「自分が能動的に生きている」ため、周りとの関係が希薄で不安を感じるときもある一方、中世的自我は「神様が中心になっている」ため、周りとの関係が希薄になっても「でも神様と繋がっているから大丈夫」と思えるという違いがあるそうです。
最初意味がわからなかったのは「自分が悲しいから天も悲しんでいて、雨が降るんだ」という考えです。ここからも中世では「神様と自分が繋がっている」と考える人がいたのがわかります。

私は昔はいろいろ迷いもしたものの、ここ最近は「自分でどう頑張っても自分の力が及ばないものがこの世に存在する」と思っているからか、あまり迷いがありません。なので、個人的には中世的自我に近いのではないかと思います。
別に信心深いというわけではないのですが、小さい頃から聖書を読んでいたりしたせいでそう思えるようになったのかもしれません。

実は哲学的なお話

「ハムレット」の前半は「父の仇をうつ」という簡単な話だったのですが、ハムレットは仇をうつことをきっかけにいろいろ考え、努力し、結局「人事を尽くして天命を待つ」的な話になります。
(詳細は「ハムレット」を読んでください)
この「人事を尽くして天命を待つ」という心境になるというところもさっきの「自我」、そして「悟りを開く」話につながるのではないかと思います。

宗教について

この「ハムレット」が書かれた1603年は実は宗教面でも大きな変化がありました。
この時代は中世と近代の狭間だったとさきほど書きましたが、宗教面ではカトリックとプロテスタントの狭間でもありました。
英国国教会は1534年にイギリスで始まったプロテスタントの一派です。(どうやらプロテスタントに属するか属さないか微妙なところみたいですが)
もとはローマ・カトリック教会だったのですが、当時の国王であるヘンリー8世が王妃と離婚したかったのに教会が認めてくれず、独立して作られたのが英国国教会。
息子のエドワード6世はそれを引き継いでプロテスタントで国を治めていくものの、次の女王であるメアリー1世はカトリック大国のスペイン国王と結婚してカトリックで国を治めながらプロテスタント狩りを行います。
そして、メアリー1世の次は妹のエリザベス1世がプロテスタントで国を統治しつつ、今度はカトリック狩りを始めます。

このような混沌とした宗教色が作品にも現れているようで、「父親の亡霊を見た」というくだりは偶像崇拝をOKとするカトリック、「父親の亡霊は悪魔が見せた幻影だ」というくだりでは偶像崇拝NGのプロテスタントの要素が入っていると書かれています。

本当のハムレット像

ハムレットは「繊細・知的・アンニュイな青年」と認識されているようですが、実はそうでもないようです。
まずは見た目。惑うことが多いと思われるハムレットは細いイメージがあるものの、実はマッチョだったようです。ストーリーの中にも「隆々とした筋肉が」と書かれている部分があるのに・・・です。
中世、ヘラクレスは強靭な肉体とすぐれた知識の持ち主とされていて、ハムレットはそれこそ自分をヘラクレスと思いこみ、「優れた偉業を成し遂げたヘラクレスに自分はなるんだ」という自負があったのではないかと書かれていました。
最初は母親が他の男とすぐに再婚したことに悩んでいたハムレットが、父親の亡霊を見てから「復讐しよう」という気持ちの変化が見えます。
そして、そのあと、復讐という強い気持ちがまた変化し、「自分が何を頑張っても雀は落ちてくる(=自然の摂理は変わらない)。では、最善を尽くしてあとは天に任せよう」という「悟り」の境地に入ります。
みんなに「うじうじ考えてるだけのやつ」と誤解されていたハムレットですが、実はストーリーの中でこんなに変化を遂げる人物で、とても興味がわきました。

余談ですがフロイトはハムレットのことをオディプス・コンプレックスと分析していたそうで、想像は勝手とはいえ思わず笑ってしまいました。
(オディプス・コンプレックスとは父親を殺して母親と一緒になりたいと思う少年の潜在的な欲求のことのようです)

5.まとめ

私はおもしろいと思ったポイントは上記4つですが、まとめてみると以下になります。

・「ハムレット」は復讐劇ではなく哲学、時代、宗教などが詰まった作品
・主人公のハムレットは誤解を受けているキャラクター
・難しそうだけど読んでみる価値はありそう

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