Kay -ケイ-

平成初期生まれ。自己責任論と冷笑主義の蔓延する空気に、密やかな抵抗を続けます。

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平成初期生まれ。自己責任論と冷笑主義の蔓延する空気に、密やかな抵抗を続けます。

最近の記事

ChatGPTさえ、差別に異議を唱えることを有効な選択肢のひとつとして挙げてくれるし、倫理的にまっとうな返答がかえってくる。現実にそれをしたら、ぼくは周囲の人たちからバッシングされたし、我慢することが中立なのだと諭されたけれど。いかにこの社会が病理的かを示すということなのかな。

    • 「孤高を誇る」タイプのサバイバーとの付き合いづらさ

       外傷体験を受けてきた人のなかには、自分を孤高の存在に据え、どことなく誇らしげな印象を与える人がいる。自分は特別だからというニュアンスが呼吸のたびに漏れ出てくるような触感だ。  誤解なきように言えば、サバイバーのすべてがそうじゃない。僕もまた当事者の一人だ。  自分を語るときや、人の話に耳を傾けているとき、社会問題への構えなど、どんな場面でも、この独特の手触りを残すタイプの人がいて、それが無視できないものであったという体験を綴る。 ****** ※以下の内容には二次加

      • 僕のことを何も知らない人に限って、僕のことを決めつけ、評価し、噂を流す。世の中そんなもんだと思いつつ、モヤモヤとした気持ちが跡形もなく消化できるわけでもない。

        • 「少子化、非婚化が問題だ」― 人の心に土足で踏み込む、気持ちの悪い言葉。身体への暴力。

          ぼくは、ある事情で、お産の現場に何度も立ち会った。 もちろん、妊産婦さんや病院スタッフさんが快諾してくれてのことである。 妊娠って、ものすごく体に負担にかかることだ。 内分泌動態、免疫機能、循環動態、解剖学的状況。母体のいろんな要素が、短期間のうちにダイナミックに変化する。 それは病的な変化でなく、生理的な変化だ。それが霊長類である人類に備わった機能だ。しかし「病気じゃないんだから、ふつうに働いて、ふつうに家事できるだろう」と考えるのはとんだ見当違いだ。生理的変化の過程に

        ChatGPTさえ、差別に異議を唱えることを有効な選択肢のひとつとして挙げてくれるし、倫理的にまっとうな返答がかえってくる。現実にそれをしたら、ぼくは周囲の人たちからバッシングされたし、我慢することが中立なのだと諭されたけれど。いかにこの社会が病理的かを示すということなのかな。

        • 「孤高を誇る」タイプのサバイバーとの付き合いづらさ

        • 僕のことを何も知らない人に限って、僕のことを決めつけ、評価し、噂を流す。世の中そんなもんだと思いつつ、モヤモヤとした気持ちが跡形もなく消化できるわけでもない。

        • 「少子化、非婚化が問題だ」― 人の心に土足で踏み込む、気持ちの悪い言葉。身体への暴力。

          すごそうな人の言葉を鵜呑みにする君は、ダニを運ぶネズミかい

          異なる場所で、異なる友人とおしゃべりして、喧嘩した。 精神疾患、身体障害、ジェンダー、性暴力、人権にかかわること。 今の時代、どうやったって雑談はハードトークになる。身近に社会課題が溢れすぎているから、ゆるふわとした話題だけで何時間ももたない。 それらの話題について、友人たちは同じような偏見を口にした。ぼくだけがおかしいのか、と思っていた。 なんのことはない。TwitterやYoutubeでインフルエンサーが話してることと を、彼らが、さも自分の意見のように話していただけ

          すごそうな人の言葉を鵜呑みにする君は、ダニを運ぶネズミかい

          老人は死ね、女は死ね、子供は産め。 強者が浴びせる言葉は相互矛盾する。それを全身でかわしながら、曲芸飛行で生きていく。 仕事や勉強なんかに身が入るわけない。足元が安全かどうかも覚束ないのだから。この国の生み出す価値がダダ下がるのも当たり前。明日の命をつなぐことさえ不安なのだから。

          老人は死ね、女は死ね、子供は産め。 強者が浴びせる言葉は相互矛盾する。それを全身でかわしながら、曲芸飛行で生きていく。 仕事や勉強なんかに身が入るわけない。足元が安全かどうかも覚束ないのだから。この国の生み出す価値がダダ下がるのも当たり前。明日の命をつなぐことさえ不安なのだから。

          生きてることに負い目を感じてない人のほうが珍しいんじゃないかって思う。 そんな空気の蔓延に異を唱える人を袋叩きにしながら、自分で仕掛けた縄に自分からくぐろうとする人たち。もう、心なんかとっくに死んでいるのかも。心を大切にされて生きることを知らなかったから。もうゾンビなのかも。

          生きてることに負い目を感じてない人のほうが珍しいんじゃないかって思う。 そんな空気の蔓延に異を唱える人を袋叩きにしながら、自分で仕掛けた縄に自分からくぐろうとする人たち。もう、心なんかとっくに死んでいるのかも。心を大切にされて生きることを知らなかったから。もうゾンビなのかも。