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“遊び“なら何度も出来る権利は保障しようよ

 今の園では外部講師による体育指導があります。“指導“と名がつくと厳しそうに聞こえますが、遊びの延長線上のような活動で多くの子が楽しく参加できています。

 逆に以前働いていた園では、基本的に外部講師がやってきて指導をする活動はほとんどありませんでした。半年に1度くらい、専門家の方がやってきて子どもたちには遊び方を、職員に対しては体育指導のノウハウを教えてもらう程度でした。

 外部講師を招かない。であれば、誰がその役割の担うのか?と言われれば、それは現場の職員でした。

 当時を振り返れば、結構大変なことをしていたなぁと思います。私自身は体育指導にハマったことこともあり、“今日はどうしよう?“と色々と楽しく考えていました。けれどそれが苦手な人だって当然いる。
 だからといって投げ出すことはできない。それも“保育“だよね?と言われるとやらざるを得ない。

 指導というほどでもないけれど、最低限の知識を持って“遊び“として体育を導入する。すると線引きの曖昧さが出てしまい、保育者の負担になっていくと思います。

ぎこちなさを無くしていく


 私が体育遊びを保育に取り入れていた時に常に考えていたのが、
“回数を何度もこなして、動きのぎこちなさを無くしていく“ということでした。

 例えば、バットで素振りをするとします。
初めのうちはバットの握り方、腕の振り方、足の開き方など全てがどこかぎこちない。そのぎこちなさを無くしていくには、結論“何度もやる“以外はありません。
 力を入れた方がいい場面、逆に抜いてもいい場面を身体が覚えるには経験値を増やすしかない。

“回数をたくさんやる“ 
これが私が体育遊びをする上で1番に優先していたことでした。

遊びは何度もやっていいもの

 この視点で他の先生の体育遊びを見ていると、“子どもが待たされる時間が長い“ことが気になるんです。
 
 「1回やったら座って待つよ」

1回だけで何が分かるというのか。
もしかしたらその1回で何かコツを掴みかけているのにそこを止めてしまうのか。
そもそも遊びって飽きるまでやっていいものではないのか

 「終わった子は座って頑張っているお友だちを応援するよ」

これもよく現場で聞かれる言葉。
それが必要な場面もあるけれど、それは今必要なのか
“もう1回やりたい“という子どもたちのやる気を押さえつけている感じがしてならないのです。

私は資格を持っているわけではない

 この記事を体育指導を生業にしている人が見たら鼻で笑われるんでしょう。そういう資格を持っているわけではありませんので。

 けれど指導ではなく、“遊び“という観点で行くのであれば保育者は遊びのプロです。これは自分への戒めとして書きますが、遊びのプロでなければいけないと思います。

 なので、体育“遊び“や運動“遊び“という活動をするのであれば、私は自信を持って私の理論をぶつけます。

 10分間で3回しかやらないでんぐり返しを、私だったら10分間で10回やる方法を持っています。これだけで3倍以上の経験値が出るんですよ?

 運動嫌いを作るのは、運動が好きになる前にろくに経験値を積ませず、嫌なイメージしか持たせないまま運動を終えてしまうからだと思います。

 

できるようになれば

 できるようになれば子どもたちは絶対に楽しいに決まっている。
 これは私が担任させてもらってきた子どもたちの表情を見れば分かりました。

 あんなに跳び箱遊びが嫌いだった子が、卒園前には5段を跳び、「明日もやろう」と伝えてくるんです。(強制は一度もしていません。やらない日だってありました。けれど私はその姿も認めました。)

 これは“遊び“として何度も挑戦する権利を保障した結果だと思っています。

 場所、人員、器具などの要素も絡みますが、その条件下の中で“いかに沢山経験してもらえるか“を考える力は持っておくべきだと思っています。


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