「モンストロマン」2-4

 ジャックは男の首を放って捨てた。血の噴水を浴びたせいで、服はまただめになってしまった。キティに何を言われるのか考えるのが憂鬱だ。
「ジーザス」牧師が神の名を呟く。
「牧師、あなたはどうしてこんなところに?」ジャックは疑問を口にする。
 そもそもどうして彼は殴られていたのか。まだ、理由を知らない。ソーヤの頼みを聞いて介入したが、今は詳しい事情を聞いてみたかった。ジャックは牧師とソーヤの居る方に歩み寄る。
「そんなことより、さっきのは。何なんだ、頭がもげて」牧師の顔は青ざめていた。
「君が動揺してどうする。大人だろう、子供たちが見ている」ジャックは言う。
 周りの子供たちは、怯えてはいたが何も言わなかった。ただこの状況でどうするべきなのか、自分たちの身の振り方を考えている、そのように見えた。
「いや、そうだな。私がこのざまではいけない。そうだ、さっき、あなたは刺されて」
 牧師がこちらの傷を見ようとする。
「手当を……」
「必要ない」
「必要ないことはないだろう。さっきまでナイフが刺さっていたんだ。死んでもおかしくない」牧師は少し怒ったように言う。「とりあえず服を脱ぐんだ、治療をしよう」
 ジャックは説明が面倒で、言われた通りコートとシャツを脱いで、わきに抱えた。牧師はナイフの傷を探そうとして、ジャックの腹を見るが、ただ血の跡が残っているだけで刺し傷はどこにも見つからなかった。
「何がどうなってる?」牧師は文字通り頭を抱えた。
「頑丈な体質なんだ。だから君が気にする必要はない」
「これは奇跡か? 私は、それほど迷心深い方ではないが。こんなものを見せられたら信じるほかあるまい」牧師が胸の前で十字を切る。
「何を信じるって?」ジャックは口もとを歪めた。
「奇跡さ……、苦節二十八年。うまれて初めて、奇跡をみた」
 牧師は首に下げていた十字架を握り、目を閉じて、祈りの言葉を唱え始める。黙って見ていたら、いつまでも続けそうな雰囲気だった。
「楽しそうにしているところ悪いけど、君が殴られていた理由を聞いても?」ジャックは服を着ながら言う。
「ああ、すまない。一人で盛り上がってしまうのは私の悪い癖なんだ」牧師は咳ばらいをする。「理由はこの子たちだ」
「なるほど?」
「私は、この近くの教会に努めている牧師なのだが、教会には孤児院があるんだ。不当に扱われている子供たちを保護するのが仕事と言えば、分かってもらえるかな」牧師はソーヤを見た。
「まあ、立派な仕事だと思うよ。つまりはこの子たちを引き取るために、あの男と交渉して殺されかけたということか。君は呆れた奴だな、どうなるかなんてわかりきったことだろうに。武器も持たずにこんな場所に来たのか」
「武器なんて、持つはずがないだろう。私は牧師だぞ。他人を傷つけることなんて、あってはいけない。それに……、さっきのことで君を責めるつもりはないが──」
「責められるようなことをしてない」ジャックは肩をすくめる。
「何も殺す必要はなかっただろう?」
「あの男はソーヤの妹を、得体のしれない集団に売り渡していた。それで彼に選択を任せてみた」ジャックはソーヤを見る。「そして、彼は僕に殺せと言った。必要かどうかは知らないが、殺す理由はそれで充分だろう」
「理由があれば殺して良いとでも? いや、すまない、君には命を救われたのだったな。礼もまだ言えていなかった。本当にありがとう。命の恩人の名前を聞いても?」
「ジャックだ、恩を着せるつもりはない」
「ミスター・ジャック、名乗るのが遅れたが私はメイチスだ。メイチス・ポッター」
 メイチスは手を差し出し、握手を求めてきた。
「やめておいたほうが良い。血でべっとりだ」ジャックは手のひらを見せる。
「構うものか」
 そう言ってメイチスが手を無理やり握ってきた。顔色は余計に悪くなったようだが、彼は笑顔だった。ジャックは初めて、この牧師に好感を持つ。ここに来た目的からして、彼が悪い男ではないのは確かだろう。
「もうその辺で勘弁してくれないか、恥ずかしい」ジャックは言う。
「ああ、すまない」メイチスの手が離れた。「しかし、あの男が子供を売っていたという話。本当なのか?」
「やつの告白を信じるなら、本当だ」
「『教団』と言っていたな」牧師は眉間にしわを寄せる。
「心当たりが?」
「ない。だが新興のカルトか何かだろう。そういった話であれば、牧師長に聞いてみるのがいいかもしれない。職業柄、他の宗教の噂には敏感なんだ」
「僕はその人に会わせてもらえるのか?」
「もちろんだ」メイチスが頷く。「それに。君には、どのみちついてきてほしかったんだ」
「君一人で子供たちを連れていくのは大変だろうな」
「そういうことで、来てくれるかな?」
 ジャックは溜息を吐いた。調査に来たはずが、状況の変化に流されている。教会までついていけば、新しい情報が得られるという保証はない。しかし、ソーヤとその他の子供たちを放っておくわけにもいかなかった。
「わかった。ただし、牧師長に会うのが条件だ」
「そこは任せてくれ。あと、そうだな」メイチスはジャックの格好を見て言う。「着替えもこちらで用意させてほしい」
 メイチスが子供たちを集めて声をかけると、みな素直についてきた。いままで自分たちに命令していた『パパ』を失い、この先どう生きれば良いのか分からない。そんな彼らに対して、少しはマシな場所を提供するという、牧師を信じる以外に道を見いだすことができないのかもしれなかった。
 目立たないように裏道を通って教会に向かう途中、ジャックはソーヤに話しかけた。
「後悔していないか?」
「していません。これから先どうなったとしても、あれ以上は悪くならないでしょうから」
 教会までは、それほど時間はかからなかった。体感十分程度しか経っていない。
 鉄柵の門で囲われた敷地の中に、一般的なイメージとは違った、長方形の木造建築が建っている。壁には蔦がはっており、相当に年季が入っているのが分かる。
「すごい建物だね。幽霊が出そうだ」ジャックが言う。
「戦前の学校を直して使っているんだ。金があれば、もっと見栄えも良くなるんだけどね、残念なことに、ここいらの人間は皆、信仰に欠けている」
「自分の金を寄進する余裕がある人間。そんな奴、ここにはいないだろうね」
 錆びついた門をジャックが開ける。砂で固められた道を、少し行くと、建物のドアを開けて男が出てきた。男はこちらを見て駆け寄ってくる。
「メイチス、その方は? 怪我をしているようだが」男が言う。
「彼はジャック。私の役目を助けてくれました。怪我をしているように見えますが、服が汚れているだけです」メイチスがこちらを紹介してくれた。「そして、ジャック。こちらが牧師長だ」
「その血、詳しくは聞きませんが、大変な目にあったのでしょう。メイチスを助けていただき感謝いたします」牧師長がお辞儀をした。
「礼には及ばない。それよりも、あなたに聞きたいことがある」
「私にですか? それは構いませんが、まずは服を変えたほうがよろしいでしょう」牧師長はそう言った後でメイチスの方を向く。「メイチス、彼の着替えを用意して差し上げなさい。子供たちは私が中に案内します」
「わかりました」メイチスが頷く。「よし、ジャック。私についてきてくれ」
 ジャックは言われるままメイチスの後に続いた。建物の中に入る前、最後に子供たちのほうを見る。ソーヤが牧師長に、一言何か言ったようだが聞き取れなかった。彼らのことは、ひとまず施設の人間に任せるほかないだろう。まずは自分の用事が最優先だ。
 ドアを通ると、中は長い廊下が続いていて。等間隔に横開きの引き戸がついていた。
「変わった建物だね」
「元は学校だと言ったろう? あれは全部教室に繋がっているんだ」
 いくつかの教室を素通りして、廊下の最奥まで行くと、他とは違う造りの洋式ドアがあった。
「ここは?」
「私が普段使っている部屋だ、着替えもここにある」
 ドアを開けて中に入る。メイチスが壁のスイッチを操作すると電気がついた。白い蛍光灯の灯りが部屋を照らす。まず壁一面の本棚が目についた。中身は、ざっと見ただけでも、ほとんどが宗教関連の書籍であることがわかる。英語、ジパン語、スペイン語、様々な翻訳の聖書に加えてラテン語の原典に近いものまでが並んでいた。
「これ全部君の?」ジャックは本棚を指差す。
「まさか! ほとんどは牧師長の私物だよ。置き場所が無くてここに避難させているだけさ」
「いつの時代も、司祭は財宝を持っている……、か」ジャックは小さく呟く。
「今なんて? まあ、いい。少し待っていてくれ。予備の着替えを出すから」
 メイチスが着替えを探して、クローゼットを漁っているあいだ。ジャックは本棚から一冊、写真集を見つけて取り出した。タイトルは「海のサーガ」。
「写真集は君のだろう? 海が好きなんだな」ページを捲りながらジャックは言う。
「海そのものじゃなくて、その向こうにある故郷に思いを馳せる時間が好きなんだ」メイチスはこちらを見ずに答える。
「ほとんどがバルト海の写真だな……、ということは北欧の出身?」ジャックは尋ねる。
「そうだ。子供の時の話だがデンマークにいたよ」
「ふうん、確かに向こうの訛りがあるね」
「あなたも向こうの出身かい?」
「本当に昔のことだけどね」ジャックは写真集を棚に戻した。
「昔って……、私より若く見えるが、いったいいくつなんだ? 二十代だろう?」
「桁が二つ足りない」
 メイチスは笑いながらこちらを向いた。手には衣類があった。
「ジョークにしたって、もう少し捻ったほうが良さそうだ。まあ、それはそれとして、試してみてくれないか」
 メイチスに手渡されたスーツのズボンと、カッターシャツを着る。シャツはなんとかボタンが閉まったが、ズボンの方は丈が足りなかった。膝の下がほとんど出ている。
「一番大きいサイズのものを用意したはずなんだけど……、これじゃあ子供の服みたいだ」
「これで良いよ、着れれば贅沢は言わない」
「いや、それじゃあんまりだろう。私のガウンを貸すよ」
 メイチスは再びクロゼットに近づくと、ガウンを取り出した。それは牧師が礼拝のときに着る、丈の長いものだった。
「僕の友達が見たら笑うだろうな。『牧師に転職か?』ってね」

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