見出し画像

13年が経ちました。

こんばんは。文学サークル「ペンシルビバップ」の川和真之です。

今日は東日本大震災から13年目でした。いまは高校一年生の担任なんですけどね、目の前の彼ら彼女らは15、16歳ですから、もうほんとうに小さいときの出来事です。まもなく震災後に生まれた生徒のみになるのだな、と思うと、月日の流れるのは速いことを実感します。

僕は当時、前職として広島に転勤していて、震災当日は大阪出張中でした。遠方にいたため、なかなか実感は持てなかったものの、石油元売会社に勤務していたからなのか、いや、この会社の特徴なのでしょうね、全国各地から復興支援として現地に入ることになりました。僕も僅か1週間程度ではありますが、3月末くらいから現地入りをしています。

僕自身は大したことをしていないのですが、とても印象的だったことがあります。それは、退職したばかりのベテラン社員とペアを組んだことです。

そう、その人はもう退職をしていました。しかし、自分にはできることがあると、毎日働いていました。給与はもちろんでていません。勤続40年以上、長くその地で働き続けた方でした。一緒に車で移動して、関連会社の方々の様子を伺うことがあったのですが、どこへ言っても歓迎されていました。現在の状況を隠さず語る方々を目の前に、これまでのその方の仕事ぶりを実感しました。

偉そうにすることはなく、かといって謙虚に振る舞うわけでもなく、自然と、当たり前のように仕事をされていました。いま思うと愚問すぎるのですが、どうして働き続けるのか、はっきりではないにしろ、聞いてみたんですよね。そうしたら、こうおっしゃっていました。

まあ、できることがあるならやっておきたいよね、と。

復興支援の期間が終わり、東北の地から離れるバスの中で、この支援事業を取りまとめている管理職の方が、最後に、こう言いました。

「みなさんお疲れ様でした。これで、1ヶ月ほど行った復興支援派遣はいったん終了です。みなさんにお願いがあります。この復興支援で経験したことを、ぜひ職場に戻ったら、共有してください。私たちにできたことは確かに小さなことだったかもしれません。しかし、こうやって一つひとつ仕事をすることで、人の役に立つことができます。仕事とは、人のためにすることです。ぜひ、来週からの仕事も頑張っていきましょう」

ありきたりの言葉かもしれません。しかし、20代そこそこだった僕にとっては大きかった。腑に落ちるとは、まさにこのことでした。仕事をすることの意味を自分なりに掴むことができたのは、この瞬間が初めてでした。就職活動のときに上滑りしていた志望動機とは異なる、実感を伴った認識を、このときやっと僕はできたのです。

いまでは、仕事がとても好きです。転職はしましたが、このときの気持ちが揺らぐことを、あまり想像できないですね。

いまの国語の高校教諭という仕事も好きなんですね。もちろん、文章を書くことを、仕事の一つとしてできたならば、それは大変嬉しいことだし、それを目指してはいますが、一方で、今の仕事もやりきりたいのです。そういう人がいてもいいんじゃないかなって思っています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

明日も負けない心でいきましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?