かわうそのウソ混じり日記④~シェアハウスで気づいたこと~

4日目。

ふっ、前世以前の私たちよ、今世の私が作り上げる偉業に、指をくわえて見ているがいい。

私は、今シェアハウスに住んでいる。

生活を始めてから、まだ数日だが改めて気づかされたことがある。

めちゃくちゃ基本的だが、みんな仲良くするために集まってるわけじゃなく、それぞれが満足した生活を送るために、お互いの利害を一致させていった結果として、仲良くできたらいいということだ。

無理に笑顔を作って、空気を壊さないように努めたり、時間もやりたい気持ちもそんなにないのに、体と心にムチ打って一緒に何かをしなくてもいい。

ただ、お互いが無理しない範囲で、お互いの幸福度を出来るだけ高められるようにすればいい。

これはある程度社会のどこにおいても云えることだと思うけれど、食事・睡眠・その他諸々の暮らしの中心を他者と共有したことでより考えるきっかけを貰った。

家族という赤の他人よりは信頼できる人たちで「家」という安心できる場所が確かにある。そのため、会社や公共の場所だと、他人のことを気遣おうが気遣わまいが、自分にそこまでの影響はない。だから、比較的無関心や無遠慮になりやすい面もあると思う。(全ての家や人がそうだからというわけではないし、もし安心できない場合、不満を公共の空間でぶちまけていることもある)。

だけど、シェアハウスは違う。やっぱり打算や評価が溢れた社会で日々生きてれば、安心できる空間があって欲しいが、一緒に暮らしているのは、家族ではなく、あくまで他人である。そうなれば、付き合い方、自分の振る舞い方を考えざるを得ないし、可能であれば、可能な範囲で、他の人にも考えてもらえたらと思う。

そして、この考えは公共の場に応用しやすいと思う。サンプル1のあまり当てにならない感想ではあるが、シェアハウスで暮らしている人は、他人の気持ちを考えたり、気遣いをしようとしてくれる気がする。実際出来るかどうかはそこまで問題ではない。そういう態度でいる、そのことが大事なのだ。

ここまでいったら、もう何も疑うことはなく、次の結論が導かれる。
つまり、だから私は誰にも優しい、真摯な紳士なのである。
以上!

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