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かわうその川流れ日記⑨~都会で感じたこと・値札の功罪~

9日目。

8日目からシリーズ名を変更したが、特段深い意味はない。ただ、河童の川流れや、日記ということで、ゆく河の流れは絶えずしてうんちゃらかんちゃらにかけた、洒落洒落かつ、ゆったり感のあるタイトルにした方が自分の気分も上がるかなと思った限りである。

というわけで本文。

都会で思ったこと続き。

もう一つ心苦しく感じたことが、値札で溢れていることだ。辺りを見渡せば、服飾店・飲食店・インテリアショップ・・・。あらゆるジャンルの店に囲まれている。その中のほとんどに目に見える数字としての価値が当てられている。

このことから、心に蟠りを抱く理由はざっと2つ。

1つ目は、その値段を気軽には支払えない自分の居場所がないように感じることだ。別に店員さんや、周囲がそう考えているとは思わないが、経済的に強い立場ではない、自分がちょっぴり惨めで、ここに居るべきではない存在のように感じてくる。

2つ目は、値札をつけることの是非を考えてしまうことだ。値札が付いているものに囲まれていると、逆に値札が付いていないものの方が不自然に思え、ついそれらがいくらかなのかを考えてしまいそうになる。そうなると、感情とか人との関係とか、そもそも人そのものとか、命とかについてどうやって価値を算定すればいいんだろう、評価することなんてできるんだろうかと頭がぐちゃぐちゃになってくる。

資本主義の弊害だとかどうちゃらこうちゃらについて、自分は詳しいことを分からないから言えないし、自意識過剰感強めなのは認識しているため、文句をつける道理もないが、少なくとも肌にはぴったりとは合わないし、ぺったりと値札を貼り付けるのも貼り付けられるのも御免かなぁと思う次第である。

都会シリーズもう少し続く。

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