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占いを最期まで貫き通した占い師とその息子の話

この仕事をしていると、普通に働いていたら出会う機会もない様な色々な職業の方と出会う事がある。その一つ。占い師の方だ。占い師の方の担当をしたのは今までたったの一度きり。あまり、いないんです。

「占い師」の方を担当すると決まったとき、私は勝手に、神秘的な雰囲気なんだろうか?とか、不思議な事を言われたりするんだろうか?とドキドキしてました。
もしかして、自分の中身も見透かされちゃうかも?なんて。

でも、会いに行ったらいたって普通の可愛らしい女性。
それが占い師さんと私の最初の出会い。

その方は、普段お若いお客様とお話ししている為か、年齢よりもずっとずっと若く見えるし、着ている服も、頭に被っているベレー帽もお洒落で素敵だった。
 初めてあった時が自宅兼占い部屋だったので、黒板に書かれた謎の暗号?みたいのとか、物陰からじっと見ている魔女の宅急便に出てくる黒猫のジジそっくりなネコとか、ちょっと違う世界の中に迷い込んだ様でドキドキしたのを記憶している。

担当になったのは、怪我が原因で車椅子生活になったため。
車椅子をレンタルするためにケアマネが必要だった訳です。

実は占い師さんの担当は私が初めての担当ではなくて、私は3人目のケアマネだったんです。前の担当者との引き継ぎで、
「色々難しい人で、希望が多いので対応できないと言ったら担当を外されたんです」
という事だったらしい。
どんな希望を伝えてくるのか。自分は占い師さんと信頼関係が築けるだろうか。
もしかしたら。速攻わたしも外されるかもなぁ。。まあ、その時はその時さ!と呑気に構えながらお会いしたのが冒頭の通り。
第一印象としては、難しいケースには見えないけどな。。。と思った。


この時は、車椅子ではあるけど、まだ占いは続けたいというお話しで、同じく占い師をしている息子さんが介助しながら仕事を続けるということだった。
車椅子生活になると、普通の仕事だと続ける事が難しく色々な課題もクリアしないといけないが、座ってさえいれれば占いはできるので、そういう意味では長くできる仕事で良いですよね。

占いの種類は、ここでいう事はできないけれど、検索すれば沢山出てくるものだった。メジャーな占いらしかったけれど私はあまり占いに詳しくないので、初めて知った占いでした。
占いを覚えて極めても、そこで終わりではなくて、
「ずっと研究し続けるの」
とおっしゃっていたのを覚えている。
占いもどんどん進化するらしい。


若い頃は占いのブームもあったそう。
バブルの頃はそれこそ、デパートなんかで占い師をしていたそうだ。
デパートの一つのフロアが全部占いのフロアになっていて、細かく仕切られたテナントに色々な占い師の方が占いをしていた。
寝る間もないほど大流行りだったらしい。「忙しかったけど、あの時代が1番良かったわよ」
懐かしそうに微笑まれた。

確かにその頃中学生だったわたしも、実は流行りにのってそのデパートで占ってもらった事があった。
とにかくそのデパートには沢山の占いがあって、当時どんな占いをしたのかは覚えていないが、もしかしたらこの方とその頃に出会ってたのかも。。と思うと何とも不思議な気持ちになった。
まさか、あの頃は自分が介護の仕事をするとも思って無かったし、将来占い師さんと再会するとも思わないだろう。
本当、人との出会いは奇跡的だ。

今は事務所で対面占いもするけど、仕事のほとんどはネットを中心に変わってきている。時代は変わったもんだ。でも、今の時代にはピッタリなのだろう。

私は彼女を、本人の希望で本名ではなく、占い師名の若葉さん(仮名)と呼んでいた。

出会ってから数年の間は占いの仕事も順調だったが、
少しずつ若葉さんには物忘れが出てきて占いに支障が出てくる様になった。
占いじたいは昔からやっているので不思議と占えるが、ちょっとした事務処理ができなくなっていて、いつしか占いの現場には息子さんが同席するようになっていた。

この頃から、認知症を本人も感じとっていて、この先こうなったらこうしてほしい、と未来の希望を話す事が増えていたように思う。

最大限にサポートを受けながら占いを続けたが、もうきちんとしたものを提供できないとなって、若葉さんは引退した。
占いの仕事でのお客様は息子さんが引き継ぎする事になった。
でも、やっぱり占いは生活の一部なので、
若葉さんには占いを感じてもらいたい。
毎日息子さんの占いの隣で座って一緒に参加していた日々が続いた。
仕事が終わると若葉さんは息子さんに今日の占いの講評をする。とても不思議な話しだが、認知症を全く感じさせないその姿や発言は若葉さんの占い師としての偉大さを感じさせた。

私自身は占いはいい事は信じて、あまり良くない事は信じない調子のいいタイプ。
朝にめざましTVの占いをみて、ちょっと喜んでみたり、残念がったりしながら会社の準備をしたりする、その程度だ。

担当した時にちょっと苦労したのは、例えば訪問に伺う時に、「よき日」「避けた方がいい日」があるらしく、その日程調整に苦労した。また、認知症が進行してきた時にデイに通おうとなった際にも、方角とかのこだわりがあり、なかなか条件に合うサービスに苦労した。
若葉さんの状態に合う事業所に加えて方角とか立地とかの希望条件まで加味して探す。これも占いのいっかんなのかはわからないけれども、こだわりの強い若葉さんの状態に合った事業者探しにはかなりの時間がかかった。

占いを、どこまで合わせるか、というのは悩ましいところだった。しかし、その事態が守られなければ、若葉さんの気持ちは良くない状況になり、気持ちから体調不良を起こしてしまう。この頃は私自身もどうしたら良いかと沢山悩みながら仕事をしていた。若葉さんとこれでもか、というくらい色々な事をお話した。


若葉さんとの付き合いは結果的に10年近くにもなっていた。

3人目の担当として続いたのは、恐らくこの占いというお仕事と希望を、影響のない範囲で受け入れてきたからだと自分では思っている。

若葉さんは大往生だった。
占い的に本当なのかどうかもわからないが、息子さんのおっしゃったお歳まで長生きをした。

どんどん寝たきりになっていく過程で、幸せだなと思ったのは、いい事業者の方に出会えた事と、いい先生に出会えた事だ。
それまでの10年間で、残念ながら事業者からお断りされたり、病院からお断りされたり、若葉さんのこだわりが発揮し過ぎて、なかなか定着がしなかった。
若葉さんの気持ちもわかるが、事業所や病院の言い分もわからないでも無かった。

長い付き合いの中で、若葉さんや息子さんもそこまで横柄だった訳でもない。ただ、占いという職業をバカにされたり、特別視される事が起こると途端に拒否が始まる。
残念ながら幾つかそういう事があった。

そんな事を繰り返すうちに、
若葉さん達を尊重してくれる事業者や医師に出会う事ができた。
特に医師に関しては、若葉さん親子の治療のこだわりが強く苦労したと思うが、治療については、色々な専門の方に相談しながら、治療と希望を上手く繋いでくれた。
大きな病院にも、1人の患者の為に時間を割いてくれる医師もいる事に非常に感銘を受けたし感謝した。
この事で、1人で悩んでいた私自身も救われる事になった。

色々な希望のある中で、最大限に専門職の許す範囲で、若葉さんは自分らしく生き抜く事ができたと思う。
若葉さんと出会えて、私はこの仕事をしていく上でとても勉強になった。
私自身、占いという世界で働いた事がないが、例えば宗教なんかもそうであるけれども、その人の価値観であったり大切にしているもの、生活感は人それぞれで、それを支援者の勝手な解釈で否定してはいけない。
私は途中、何度も何度もこれでいいのだろうかと悩んだ事もあったが、若葉さんの最期を若葉さんらしく迎えれた事は大きかったと思う。

若葉さんは、もともとは地方の出身者であるけれど、京都に旅行に行った際に、かなり有名な占い師さんに、占い師になった方が良いと言われ、占い師になったそうだ。
ご主人に早く先立たれ、女でひとつで占いで息子さんを育てあげた。
息子さんは子どもの頃、お母さんが占い師という事で、からかわれたり、いじめられたりしたそうだ。でも、慈悲深くスジの通った若菜さんは息子をいつも優しく広い心で接してくれて、息子さんは、そんなお母さんが大好きで、早く大人になって、自分がお母さんを守ってあげたいと思っていたそうだ。

今は息子さんは、お母さんの遺した占いをして毎日多くの方に希望や勇気を与えて続けている。
いつかサラッと聞かれた私の誕生日で占いをしてくれたらしく、自分の未来に起こりうる話をされた事がある。その時にアドバイスされた事は、密かに守っている。
今でも私は調子良く占いを楽しんでいるが、若葉さんから言われた事は、当たる当たらないという次元もこえて、若葉さんからの人生のエールを受け取った気持ちで私は大切にしているのだ。

若葉さんがお亡くなりになって、息子さんとの繋がりも切れてしまったが、コロナ禍で占いはどうなっているのかなと心配し先日ホームページを覗いてみたが、息子さんは頑張っているようだったので安心した。

若葉さんと息子さんは自分達の権利を守りながら必死に生きて、自分の仕事に誇りをもっていた。
どんな仕事でも、どんな人でも、その人らしい生活の支援を繋いでいきたい。

若葉さんに出会えて良かった。
ありがとう。若葉さん。

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