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私達の事を軽蔑しますか?と聞いてきた夫婦の話

そのご夫婦とは短い期間のお付き合いだったと思う。

最初に病院から依頼が入ったのが
ちょうど今みたいに暑い夏で
古い団地の中の生い茂った木のそばに一軒家があり、蝉の鳴き声が空を覆い尽くすような、青空に太陽が燦々と注ぎ続けていた、そんな暑い日だった。

暑さから逃れた奥のひっそりとしたお部屋にご主人は横になっていて、
本を読んで残された日々を過ごしたい。
そう私に言った。

奥さまは、ただご主人の横で
優しく微笑んでいる。
凄く穏やかなご夫婦だな、と思った事を記憶している。

お身体の状態的に、色々なサービスの導入は考えられたが、お二人はそれを望まなかった。
それは依頼を受けた時からすでに病院からも聞いていて、
できるだけ人の手を借りないで生活したいという想いが強いようだった。

唯一お風呂に入る為に、椅子が欲しかったらしく、この椅子を、専門的にはシャワーチェアと呼ばれる背もたれや肘付きのついた椅子を購入する為に私は呼ばれたのだ。

福祉用具の購入だけでは、私たちの仕事では働いた対価が入ってこない。
とてもおかしな話だけれど、残念ながら今の介護保険の仕組みではそうなっている。
つまり、ただ働き。サービスである。

もちろんそんなケースばかりでは
経営は成り立たない。
でも、たまに来るそんなケースも断らない様にしている。
必要な人に必要な介護は届けたいという想いがあるからだ。

とはいえ、看取りという状態で
シャワーチェアを売ったら
これっきり。というのは心配だったので、いつでも連絡もらえれば、という会話をして家を後にした。
穏やかだけど、必要以上の話をしない。
これ以上踏み込んで欲しくない、そっとしておいて欲しい。
そんな感じがした。

もう連絡は来ないかも。
そう思っていた矢先、奥さまから連絡が入った。
ご主人が本を読むのが大変になってきたので、読書補助スタンドが欲しいという。
この数日で、本を長い時間持ちながら読む事がしんどくなってきた様だ。

その会話を聞いていた向かいに座ってる同僚がニコニコしながら、「なかなかサービスに繋がりませんね」と私に言う。

やはりまだまだ暑さは続く。
蝉の声は以前に増して強く鳴り響く。

ドアを開けた奥さまは少しやつれているように見えた。

「眠れていますか?」

私の問いかけに奥様の手が止まった。
「えぇ、なんとか。。」
眠れていないのだな、と思った。

どうしたものかなと思った。
ずっと入院中から支援を受けたがらない理由が何かあるのだろうと思ってはいたけど
このままでは奥様が潰れてしまうな、とも思った。

最初から、何か違和感があった。
それが何かわからないけど、
その何かが顔を出してくれない限り
受け入れてもらえない気がした。

ご主人は、変化していく身体を前にしても
穏やかだった。
毎日窓から見える庭を眺めて鳥や雲が流れて行くのを見ていると、幸せだなと思うとお話してくれた。


それから連絡が1週間なかった。
どうしてるかな、と思い妻に電話をしてみた。

「もし良かったら来ていただけませんか?」妻からの救いを受け取った初めての瞬間だった。

それからは、忙しかった。
拒否を続けていた訪問診療や訪問看護の手配をして、電動のベットを入れたりご主人も介護をされる奥様のどちらの負担も軽くなるような環境を整えた。

変わらずご主人は誰が来ても穏やかでじわりじわりと迫り来る死への恐怖や不安を見せない、そんな人だった。
一方の奥様も大切な人がいなくなってしまうその日が来るのを静かに向かい入れる、そんな人だった。

ご主人のお焼香に訪れたのは
もうすっかり空が高く残暑というのか、秋の始まりというか、そんな境目の季節だったと思う。
庭先につがいのトンボが通り過ぎていき
コスモスが背丈を伸ばしていた。

奥様はシクシクと泣いた。
初めて奥様が私に見せた感情だった。


そして話してくれた。
お二人の事。

お二人はそれぞれに家庭があったが
それぞれの事情で、二人で生きていく事を決め、数年前に一緒に暮らし始めた。
暮らしてすぐにご主人の病気がわかり、入退院を繰り返し
結果として二人が一緒に生活した時間はわずかなものだった。

「私達のこと、軽蔑しますか?」
泣きながら妻が私に聞いてきた。

私達の仕事は、当然その人を知るために必要となる情報は得なければならない。
その情報を分析して提案していく。
しかし、私は不要な情報はもらわない。
その不要な情報が、仕事をしていく上で判断を鈍らす事になるからだ。
だから、どんな夫婦の形であれ、そんな事は関係ないのだ。

帰りの車はまだまだ暑さを残してムッとして未だにあるのかという手動の窓を回しながらハンドルを握った。

何となくずっと感じていた違和感はこれだったのか。
夫婦、というより恋人同士の様だった。
何か傷を抱えているように思った。
罪の意識をもっていたのだろう。
誰かに助けを求めたり、幸せになる事にどこか遠慮してる。そんな夫婦だった。

プライベートの私だったら、きっと否定的な意見を言うかもしれない。

でも、人には色々な事情がある。
長く生きていれば
どうしようもないことも起こる。
そこから逃れようと思っても逃れられないそんな事も人生には起こる。
人のご縁とは不思議なものだということもわかってる。何も言うまいと思う。何も言えないと思う。


「軽蔑しません」
一言だけ言った。
これ以上もこれ以下も無いと思った。
これだけで十分伝わると思った。


ワァっと妻が泣いて
しばらくの間、私はご主人が眺めていた庭を見ていた。

誰かの許しを乞いたかったのだろうか。
それで救われるなら。


玄関を出るとき、妻は泣き止んで
「いつでもお電話くださいね」と私の言葉に微笑んでくれた。

短いお付き合いだった。
私がこの2人に出会えた事は何かの意味をもつのだろうか。
あの主人のいなくなったお宅で奥様はこの先も生きていかねばならない。
どうか幸あれ。
そんな事を思いながら後にした。

なぜか無性に旦那の声が聞きたくなって電話した。
「今日の夕飯何食べたい?」
「唐揚げ!」
なんだかホッとした。

また明日から新しい人との出会いが待ってる。明日もいい日でありますように。

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