見出し画像

3.11、佐々木朗希、ウクライナ戦争、トルコシリア大地震。今、できることは・・・

東日本大震災で父親と祖父母を失った佐々木朗希は、毎年、3.11には想いを語っているそうです。

そして、この記事でグッときました。

改めて3.11当時を思い起こそうと動画を観ました。


「3.11を風化させない」

よく聞く言葉です。でも、残念ながら実際のところは風化しつつあります。

あの当時、日本全体を包んだ悲しみや不安も、思いやりの熱気や情熱も、死というものを身近に感じたものも、残念ながら薄れてしまっています。

人間は忘れる生き物だからしょうがないところもありますよね。

ただ、「人は忘れる生き物」だからこそです。
忘れる生き物だからこそ、ずっと覚えている事だったり、何年何十年と時代を越えて覚えている事・伝えていく事・受け継がれていく事には、ものすごい大きな意味と価値があるだと思います。

戦争や原爆の話もそうですし、もしかしたら「早起きは三文の徳」「継続は力なり」のようなことわざもそうかも知れません。

時代を越えて伝えていく事・受け継がれていく事。それには大きな意味や価値があります。

3.11を風化させないよう、今、我々ができることは何でしょう?

大掛かりなこと・凄いことは、要らないと思います。

ただ、大事なことは普段の日常のなかで「想像すること」と「関心を持つこと」の2つ。小さなことですが、この2つが大事かと思ってます。

「想像すること」。例えば、相手の方の言葉、文章やメッセージの文字、そうした言葉の裏にある相手の想いや心情を想像することで、相手が本当に抱えている悩みだったり、不安や心配ごとだったり、気持ちのすれ違いやストレスだったり、逆に嬉しさや楽しさ、喜びであったり、そうした事を想像することが思いやりとなり、優しさとなり、温かい社会となり、平和となるんじゃないかと思います。

「関心を持つこと」。そうした想像するアンテナを色々なところに、いつも持っていること。つまり、小さな出来事、周りの人や遠くにいる人に関心を持つことで、想像する世界・範囲が広がっていきます。

今なら、トルコシリア大地震への関心や想像もそうです。

ウクライナ戦争もそうです。

他にも、国連人道問題調整事務所によると、2022年2月には、エチオピア、ケニア、ソマリアで1300万人以上が深刻な飢餓に直面しているそうです。

ソマリアでは「3年連続雨季に雨が降らなかったことで、作物が壊滅的な打撃を受け、異常なほど家畜の死亡が増えている。水と牧草地が不足し、家族は家を追われ、対立が激化している」と、人口の約4割(600万人)が深刻な飢餓に陥っているそうです。

イエメンの人道的な危機はさらに悪化し、最低限の食料ニーズを満たすことができない人々の数は、過去最多の1900万人に達する恐れがあるとユニセフや国連食糧農業機関は警告しているそうです。

そうした事に関心を持つこと。そして、想像すること。

勿論、そうした震災や戦争や飢餓である必要ありません。
普段の生活の中で、電車で妊婦さんやお年寄りに席を譲るも、目が見えない人が困っていそうな時もそうです。

子どもの世界では、いじめが無くなりません。いじめが無くならない背景や要因は色々あると思いますが、その1つがいじめを見て見ぬふりをする周りの人間が1つあると思います。要は、関心を持たないこと。関心を持たず、いじめられている子の気持ちを想像しない。

というか日常の中で、「おはよう」とか「ありがとう」とか「相談なんだけ…」とか「お願いがあるんだけど…」とか、そういった普段のやり取りに対して、返事をすること・関心を持つことが、はじめの一歩かと思います。

そうした人に真摯に誠実に対応すること。そうした、はじめの一歩が、日々の心地よい暮らしや平和な社会に繋がるのではないでしょうか。

昔から、「人間にとって一番残酷なことは、存在を無視されること」と言います。

人間は、誰にも必要とされず、誰にも一瞥もされず、社会における存在もアイデンティティも無いような状況が一番不幸です。

だから、お互い関心を持ち合いたいですし、相手の事を想像をする。

そういう意味では、お願いをされたり、頼りにされたりすることって幸せなことです。

こうしたお願いされること・頼りにされることに、感謝の気持ちをいつも忘れずに、誠実に丁寧に、日々を大事に過ごしていきたいものですね。

また、とりとめのない文章となってしまいました。
東日本大震災から12年。今、3.11に想うことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?