「案山子」もしくはエアメール
父から一度だけ手紙をもらったことがある。38年近く前のことだ。
父がよこしたのは、エアメール。もはや死語かと思う。インターネットも携帯電話もない時代で、海外への連絡手段は国際電話か、郵便しかなかった。
国際郵便には二つあって、一つは船便、もう一つは航空便。船便は着くのが何ヶ月か先になるので、一般的には航空便で手紙をおくった。エアメールとは航空便のことだ。
私が住んでいたのは、米国東海岸の古都で、多くの日本人留学生が市の中心街に住んでたのと異なり、すこし郊外の、学生が多い住宅地にアパートを借りた。
四階建ての古い集合住宅には、油圧式の、手動で扉を開閉させるエレベーターがあり、エレベーターホールに郵便受けがずらっと並んでいた。
ある日大学から戻ってくると、ポストマンがいて、鍵で一斉に開いた郵便受けに郵便物を投函しよういうところだった。
ポストマンは、「ショーシャンクの空に」に出ているモーガン・フリーマンのようなアフリカ系のオジサンで、
「4Dだけど、手紙あるならちょうだい」
私がお願いすると、フリーマンは左手に持った郵便物の束をトランプをおくるように探してくれた。
「フォーディ〜、ミスター、オカモット〜」
おどけるように発音し、手紙を手渡してくれた。
私はエアメールの宛先の文字を見ただけで目の前が霞んだ。
宛名の文字は、アルファベットを書き慣れていない小学生のような手書きで、誰もがみても下手くそと思うに違いない。
それでもこのアルファベットを書くために辞書を一語いちごひいたかと思うと、封を切る前から涙が溢れてきた。
フリーマンが投函している前で、私はエントランスホールの階段に腰掛けて手紙を読んだ。
fineにしてますか?
fatherは元気です。
yesterdayまではずっとrainでしたが、todayはblue skyです。
父の手紙は、こんな調子で日本語に英単語を混ぜながら二枚ほど続いた。私は読みながら涙が止まらなかった。身体も震えていたのだと思う。
「ミスターオカモット、アーユーオーライト?」
フリーマンが心配してくれた。
「親父からの手紙なんだ。ホームシックになっただけ、問題ないよ」
と私は答えた。
父は中卒だ。福井で貧しい大工の元に昭和13年5人兄弟の長男として生まれた。地方に生まれ育った同世代の多くと同じように、中学を出ると戦後復興の働き手として、集団就職で故郷を離れた。
まずは上野だか池袋のデパートの食堂へ。やがて銀座の寿司屋へ住込みで丁稚に。当てがわれた部屋は押入れだと言う。銀座から職人となって西へ西へ。最終的には、京王線の駅近くに、母方の祖父が開いた飲食店の一つである寿司屋に流れついて、その娘と結婚した。
中卒であっても新聞は、大好きな巨人の讀賣と報知の二紙をとり、隅々まで読んでいたので読み書きに困るようなことはなかったが、書き文字はとても下手くそだった。
何度も怒鳴られ、何度も殴られ、何度も喧嘩したけれど、家族への愛に溢れた人だった。
生きていれば明日で86歳になる。
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