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【日記】「アメリカで一番の朝食」を食べたときの話

 
 忘れられない朝食は、と聞かれたら、何と答えるだろうか。どんな光景が浮かぶだろう。私にはある。一つ。なにがなんでも絶対に食べてやるんだと思っている朝食が。

 私はそのころ、アメリカのとある田舎町に留学中で、春休みの長期休暇を利用し南米へ旅行にいこうと思い立った。そうだ、せっかくなら、マチュピチュやウユニ塩湖など、「死ぬまでに見たい絶景」を見ようと。南米へは、日本から行くのではとんでもなくお金がかかる。きっと学生時代を逃したら、もう一生行かないだろうとも思った。えーい、それならいっそ、アメリカにいるうちに行ったらあ! と、思い切って航空機とホテルを予約したわけである。
 ところが、だ。問題はここからだった。南米に旅立つ直前になって、私は重大なミスをしていたことに気がついた。パスポートの残存有効期限が足りないのだ。
 
 しっ、しまったー!
 
 今考えると、予約する前にちゃんと入国条件、調べとけよ! という感じなのだが、あまり海外旅行に行ったことがなかった私は、まさか残存有効期限なる概念(パスポートの有効期限が切れるまで6ヶ月以上ないと、ペルー・ボリビアに入国できない)が存在するだなんて想像もしていなかったのだ。
 パスポートを更新しないと、マチュピチュに行けない。
 もう予約は全部済ませた。大きめのバックパックだって、高山病対策のグッズだって準備した。キャンセルはできない。
 どうしよう!
 もう諦めるしかないのかと半べそをかきながらいろいろと調べまくった結果、パスポートを更新できる施設があることがわかった。仕組みがややこしかったのと、10年以上も前のことなので詳しいことは覚えていないのだが、何はともあれ、更新するためにはシカゴまで行かなくてはならないとのことだった。
 シカゴ。
 シカゴなら近いし行ける!
 バスで5時間くらいだし!
 というわけで、数ヶ月のアメリカ生活ですっかり「近い」の感覚がずれてしまっていた私は友人を誘い、授業のない日を利用して、シカゴまでパスポートの更新をしに行くことにしたのだった。

 
 私が当時住んでいたのは、地平線の彼方までずーっととうもろこし畑が続いているような田舎で、そこからシカゴに行くためにはバスに乗らなくてはならなかった。
 記憶がかなり朧げなのだが、たぶん、深夜バスだったと思う。うん。目が覚めたらシカゴに到着していて、ほのかに白いベールがかかったような、早朝の空気が満ちていた。ダウンタウンにはまだ人もそれほどいなくて、私たちは、寝不足でふわふわとした頭を抱えながらとある場所に向かった。
 そう、それが「ルー・ミッチェルズ(Lou Mitchell’s)」だ。
 レストラン「ルー・ミッチェルズ」は1923年創業の老舗レストランなのだが(そうか、もう100年になるのか!)、私たちがなぜここに行こうと思ったかといえば、「アメリカで一番の朝食」と呼ばれているらしいという話を聞いたからだった。シカゴでも有名なお店で、せっかくバスが早朝に到着するならば、パスポートを更新する前にそこで腹ごしらえをしようじゃないかという話になったのだ。
 
 店内は広く、少しレトロな雰囲気で、「アメリカンダイナー」といった雰囲気だった。皮張りのソファがずらりと並んでいる。私たちは壁際のソファ席に座って、メニュー表に印刷された英語の文字をがんばって追いかけ、オムレツとパンケーキを注文した。
 長距離移動のせいでお腹もぺこぺこだった。どんな朝食がくるんだろうとわくわくしながら待っていると、ついに「アメリカ一番の朝食」が——やってきた。
 
 でっか!!
 
 もう、びっくりした。留学してから半年以上経っていたし、いい加減アメリカの文化には慣れたつもりでいた。アメリカンサイズというものも理解していた。アメリカの「L」サイズは日本ではバケツ。アメリカのマクドナルドで注文をミスるとハンバーガーが4個出てくる。そういうものなのだ。
 だから、きっとこの「ルー・ミッチェルズ」の朝食もかなり量が多いだろうと予想はしていた。覚悟をして頼んだ……のだが、思った以上だった。まず、お皿ではなく、とんでもなく大きいフライパンごと、オムレツが運ばれてきたのだ。
 それは銀色の、おしゃれに言うと「スキレット」というやつなのだろうか。といっても、サイズ感的にはどう見ても、4人家族のおかずを作れるくらいの、立派なフライパンである。それの半分に、きれいな半月型に焼かれた巨大なオムレツと薄切りのポテト、それから、これは記憶が曖昧なのだが、ハムだかかりかりのベーコンだかが添えられていたような気がする。くわえて、これまたでっかいパンケーキも。

 あまりの大きさに私たちは度肝を抜かれたが、それでも疲れた体にエネルギーを補給するように、その最高の朝食を流し込んでいった。
 ふわふわで柔らかいけれど、みちっと濃密な卵の層にナイフを入れ、塩をかけて食べた。私は思うのだが、本当においしいオムレツにはケチャップよりも塩が合う。たしか、オムレツの中に何を入れるか具もいろいろ選べて——マッシュルームとか、トマトとかオニオンとかチーズとか——そのおかげで飽きずにうまいうまいと食べられたような気がする。
 夢中になってオムレツとパンケーキを食べているうちに、窓の外にはじわりと明るい光が滲み、さあ新しい1日がはじまるぞと、私の胸は高揚感で満ちていた。最高の気分だった。何も成し遂げていないのに、パスポートを更新しに来ただけなのに、最高に気持ちがよかった。
 
 結局、そのあと私は無事にパスポートの更新もでき、南米旅行にもいくことができた。バタバタしていたけれど、楽しい思い出だ。
 さて、学生時代にはいろいろなところへ旅をした。いろんな景色を見た。もう一度行きたい、と思う場所もたくさんあるし、それこそマチュピチュのような絶景をまた味わいたいとも思う。
 けれど私にとって、日々のモチベーションになるのは、なんといってもあのシカゴの朝食なのだ。私の顔ぐらいあるような、でっかくてジューシーなジャンボオムレツ。
「あれをもう一度食べるまでは死ねん」と思うくらいの。
 だから、仕事でしんどいことがあったときとか、メンタルやられたときとかは、私はいっつも、あのジャンボオムレツのことを思い出す。ひろーいテーブルの上に並べられたパンケーキと、甘くとろけるメープルシロップのにおいと、かりかりのベーコンが焼ける音と、にがいアメリカンコーヒー。それから、ドアの向こうに見える朝日のまぶしさ。そういう景色を思い出すんだ。そうすると、「絶対こんなとこでへこたれるもんか」と思うのだ。
 そう、私にとっては、「死ぬまでに見たい絶景」より、「死ぬまでに食べたいごはん」なのだ。
 
 シカゴでオムレツが待ってる。私を待ってる。じゅうじゅうと音を鳴らして、私に食べてもらうのを。つらいとき、めげそうなときには、オムレツの声に耳をすませる。するとやつは囁くのだ、「ふわふわ、じゅんわり卵だよ、いいの、食べなくて?」と。
 大丈夫。私はがんばれる。
 お金を稼いで、もう一度シカゴに行って。お腹がぱんぱんになって、ズボンのボタンが弾け飛ぶまでオムレツを食べるんだ。

 




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