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なぜカール・ツァイスのレンズが良いのか?-歴史編その2-

前回に引き続き、カール・ツァイスの歴史についてです。わたしが個人的に1番凄いエピソードだと思う「ふたつのカール・ツァイス」。本当にすごい技術者が揃っていたんですね。

ふたつのツァイス

世界の最先端を走る光学機器メーカーとして君臨していたカール・ツァイスですが、1945年の第二次世界大戦におけるドイツの敗戦により、多大な影響を受けます。なんと、ドイツの東西分断により、カール・ツァイス社も2つに分断することになります。

ドイツ東部イエナにあったカール・ツァイスはソ連軍の統治下となります。しかし、アメリカ軍はカール・ツァイスの光学技術がソ連に渡るのを阻止するため、イエナに入り125名の技術者とその家族、そして8万枚の図面を西側へ移し、「カール・ツァイス・オプトン」を設立して光学機器の生産を引き継ぎます。

ソ連側はイエナに残った技術者と共に半官半民の「人民公社カール・ツァイス・イエナ」を設立。東ドイツが誇る光学機器メーカーとして存続します。

この東西に分裂したカール・ツァイスは、その後どちらも有名な一流企業に復活し世界市場で競合するようになったんです。すごい。

そして1971年にはツァイスの名前とロゴの使用について、ロンドン合意が取り交わされています。結局どっちもツァイスを名乗ることになります。

そして月へ

少し時代が前後しますが、1969年カール・ツァイスのカメラレンズはアポロ11号と共に月に行きます。

月面での撮影で使用されたカメラレンズはカール・ツァイスのレンズだったんです。これも品質、技術力の高さを証明するエピソードですよね。

ベルリンの壁崩壊

1990年のドイツ再統一によって、ついにカール・ツァイスも統合への道を歩むことになります。東ドイツにあるカール・ツァイス・イエナは経済の低迷により経営に行き詰まっていました。このことから、1995年、実質的には西側のカール・ツァイス・オプトンが吸収する形で、ついにカール・ツァイスは統合することになります。

21世紀のツァイス

その後もカール・ツァイスは光学機器における多くの分野でリーディングカンパニーとして君臨しています。

GoogleEarthのカメラレンズ、ハリウッド映画で使用されるカメラレンズ、そして、外科用顕微鏡、眼科医療機器の分野でも世界的に発展。

そして2005年にはビジョンケア部門がアメリカのSOLAと合併し、世界をリードする眼鏡レンズメーカーとなります。

まとめ

他のレンズメーカーと比較し、技術力もそうですが、総合力が大きな強みだと思います。

眼科医療機器なども開発しているカール・ツァイスは“眼”に関する多くの多角的な知見があるはずです。これが眼鏡レンズの開発にも大きく貢献しているのでないでしょうか。

そして、ツァイスの最新レンズ”Individual“では、眼鏡装用者の眼鏡のかけ具合を考慮して度数の微調整を行います。実際に装用者が眼鏡をかけた時の目とレンズとの距離、高さ、そして角度などを0.1mm単位で専用の測定機械で測定し、そのデータを基にさまざまな度数補正を行い、最終的なレンズ度数を決定するんです。もちろんこの専用の測定機械もツァイス製です。そしてこの棒大な測定データも、またツァイスの他の眼鏡レンズ開発に活かされているはずです。

技術の幅(光学機器の幅広い分野)と奥行(長い歴史による経験・データ)が他のレンズメーカーとは少し違いますよね。これは他のメーカーが悪いという話ではなく、ツァイスがそういうメーカーであるということです。

やっぱり、書いてると欲しくなりますね。ツァイスレンズ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




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