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蒙古襲来と先送り

「戦争の日本中世史ー下剋上は本当にあったか」を読んでいます。

今回は私が興味深い、へぇと思った部分を備忘録のつもりで書き留めておきます。

p23~
鎌倉幕府は今日とに使者を派遣し、朝廷に国書(皇帝フビライの詔書)を提出した。幕府は朝廷に外交権があると考えたのである。
朝廷では二月六日から連日評議を行い、モンゴルに対して返書を出さないことに決めた。ー中略ー
なぜ無視することにしたのかは、色々推測出されているが、要は日本人お得意の先送りということだろう。
公家たちはモンゴルを「蒙古国賊徒」と見下しており、積極的に国交を結ぼうとは全く考えていなかった。だが、はっきりと断るのも角が立つので、見なかったことにしてやり過ごそうとしたと思われる。

蒙古襲来は国交交渉が決裂した結果、起こった出来事だと思っていましたが、どうやら判断を先送りにしていた過程があるみたいですね。
これが事実がどうかはさておき、当時の人々にとってはまだ見ぬ蒙古襲来というものに対して具体的なイメージが湧かなかったのでしょう。
想像しえないものに対しては危機感が湧かない。
では黒船のときは具体的な(視覚的)情報があったがゆえに危機感を募らせたのでしょうか?


分からないがゆえに先送りにする、角を立てたくないから見なかったことにする、という姿勢や態度は現代的な視点からしても興味深いです。



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