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『はじめまして地球さん、私オレンジジュースです』第一話「場違いは間違いじゃない」岩月寧々編

【あらすじ】
食べることについて悩む寧々は、同じく食べることへの悩みやこだわりをもつ人たちと音声SNSにて「シンガーの会」というトークルームで会話を楽しんでいた。だが、ルーム内に酔った女性が闖入したことをきっかけに、寧々の考えや人間関係に変化が生じる。
彼氏から浮気をされ、さらに浮気相手が幼馴染の親友だったことから人を愛することを諦めていた寧々は、いままで避けてきたタイプの人と接することでようやく自分と向き合えるようになっていくが……。



 気づかないわけなだろ 目の前に俺と萌音もねが歩いていたんだぞ あのさ 寧々ねねのそういう善人面 俺正直すげぇ気持ち悪かったんだよ ずっと

 ちがう ほんとうに気がつかなかったの あのね聞いてほし……

 もういい これ以上話したくない 恨まれながら友達のふりするのが苦しいって 萌音泣いてたんだぞ




 シンガー、だけど歌手ではない。
 シンガー違いだ。
 私たちの音声SNSのルーム名を冠するシンガーは、『動物の解放』『なぜヴィーガンか?』の著書で有名な哲学者ピーター・シンガーのことだ。なので「シンガーの会」で熱唱する人なんて一人もいない。ましてや酔っ払いだなんて。
「さんじゅ〜ごさいなんてこなくていいわ〜さんじゅ〜ごさいになるまでに〜天国? 地獄? どっちでもいい〜わたしを蹴り落として〜いえーい、ありがとー」
 拍手。
 私とショットさんkomaさんともぐぐみさん、それからゆうせいさんも拍手をした。喪服で拍手をするくらいの密やかで鎮痛な拍手。やって良いのか悪いのか。とりあえず、ぱちぱちぱち。あとのメンバーは音声がオフだったので反応はわからないが、まあ同じような心境だったのではないだろうか。
「どもども、うわあやべーやつ来た拍手ありがとござまーす」
 わかっているんだ。自分が場違いな存在だってわかっているなら出ていけばいいのに──と私が私の中で毒を吐く。この酔っ払いさんは、こんな歌を歌うのだから三五歳以下なのだろう。悪かったわね、あなたがなりたくない三五歳を二年も前に経験しましたよ。その言葉が脳裡を過った瞬間、熱くなった頭を慌てて瞬間冷却する。大丈夫、口には出していない。嫌味なんて吐いたら、ルームのみんなを不快にさせてしまう。酔っ払いにマジレスするなんて大人気ない。せっかく作りあげた憩いの場をこんなことで変な雰囲気にしたくない。やっと見つけた自分のことが話せる、仲間。
 友人と呼ぶには少し烏滸がましい気がするのに、友人にすら話していないことが話せる、私のトークルームに集まってくれる人たち──。
 まずはベジタリアンで筋トレ好きのショットさん、三一歳。英会話教室で講師をしており、ベースの性格は真面目なのに笑いのセンスが抜群で、場の空気を盛り上げるのがとてもうまい。さらに、彼とはオフ会で何度か会っているが、いつも清潔感のある服装で好感が持てる。元彼と別れて以来、恋愛通信障害が継続中の私でさえそう思えるということは、当然他の人たちも思うわけで。なので、恋人はおそらくいるだろう。私の予想では同棲しているか、もしくは指輪をしていないだけで結婚しているか。なぜなら、このルームに参加するときはいつも夜のジョギング中だからだ。同居人への気遣いなのだと思われる。ちなみに、ショットさんが菜食主義になったのは、彼が大ファンの格闘家が菜食主義だったから。
 次はkomaさん。子供の頃から太らないことが悩み、なんて言えるほどに華奢な体躯の持ち主だったが、三年前に双子を出産して以来体質に変化が。一五八センチ、三八キロだった彼女は、いまは五五キロ。とはいってもBMIの数値は標準だし、オフ会で会っているが私からすると理想的な体型だ。だが、それでも彼女にとっていまの姿は許せないらしい。産後から現在に至るまで、極端なダイエットと過食を繰り返している。基本的には明るい性格で思ったことは九割がた口にしてしまうタイプだが、残りの一割が繊細で闇が深すぎて、いつも別れ際に大丈夫かなとやや沈んで見える彼女の背を見送ることになる。 
 もぐぐみさんは、心の中でいつも女神さまと呼んでいる私より三つ年上の四〇歳。家族経営である豆腐店の一人娘として生まれた彼女は、奨学金で大学に進学し、小学生から貯めておいたお年玉とバイト代でアメリカへ留学。両親の願いとしては企業に勤めてもらいたかったようだが、留学中に周囲の影響でベジタリアンになり、豆腐の素晴らしさを再認識。帰国後親の反対を押し切って跡を継ぐことにした。行動派のもぐぐみさんは父方の叔父から支援を受け、足りない分はクラウドファンディングで資金を集め、古い店舗を現代美術館のような建物に改築。さらに、ラベルや包装紙のデザインを一新。メニューも豆腐や厚揚げだけでなく豆乳によるスイーツなども考案した。豆乳餅は、いまでは有名雑誌の高級オンラインショップで上位にランクし続ける人気商品となっている。と、ここまでもぐぐみさんについて詳しく話してきたが、彼女自身は仕事や自分の話はほとんどしない。いつも聞き役に徹し、的確なアドヴァイスをくれる、よって私の女神さまというわけ。そんなわけで、上記の情報はすべて本人の口から聞いたわけではなく、ネットで得たもの。ネットには彼女の経歴やインタヴューがずらりと並ぶが、彼女が苦手な態度や思想、そういった彼女と接するために必要な情報はどこにもない。そして、何度も会って話しているのに、私はまだ彼女の不満を聞いたこともないし、素振りすら見たことがない。
 いまマイクオンになっている最後の一人は、ゆうせいさん。彼はこのルーム内でおそらく最年少であろう現役大学生だ。小学生の頃好きだった男の子の家にお泊まりした際、親から使用を禁止されていたタブレットで友達が動画検索をしていると、二〇世紀の猟奇殺人犯ゲオルグ・グロスマンが鶏と性交するのを再現した悪趣味で実に陳腐な動画が出てきたそうだ。以後、彼は鶏肉を食べられなくなった。ただ、そんな過去を持っていても知的好奇心はいまでも旺盛なのは、立派だと思う。彼はもぐぐみさんを慕っており、一応このルームのホストは私なのだが、私にはほとんど絡んでこない。まあ彼に慕ってもらえる要素が私には何もないので詮無いことだけど。私には彼が最も関心のあるBLの知識がほとんどない。この間やっと、彼が以前激推しと言っていた中国BLアニメを概要をネットで偶然目にしたくらいだ。もぐぐみさんは、もともと好きなのか、ゆうせいさんのために見てあげているのか、次回までには必ずチェックしているというのに。
 私のルームの固定メンバーはこんなところだ。彼らとは三ヶ月に一度くらいの頻度で開催されるオフ会でも会っている。私の本名──岩月いわつきという苗字は珍しいため、小学校時代につけられたあだ名をSNSでは使用している──さえ知らない人もいるだろうが、いま一番私が必要としている人たちだ。あとのメンバーは、入れ替わりがあったり、半年に一度程度の参加者もいるが、とにかく全員に共通しているのは「食」に関するマイノリティーだということ。これは、ルームの説明部分にもきちんと書いてある。ただ、この酔っ払いさんは読んでいないだろうけど。
「えっと、OJさん。紛らわしいルーム名ですみません。このシンガーは歌手という意味ではなく、ピーター・シンガーという哲学者の名前からとっていまして」自分が出せる最大限の寛容な声で私は酔っ払いさんに対応する。
「あー違います違います」
 違います? ルームの説明をホストである私がしているのに、違います、だと。
「OJって書いてオレンジジュースっていいまーす、いえーい」呂律の回らない声がスピーカーを通してむっとした酒の匂いまで運んできそうだ。
「あ、ああ。それは失礼しました、オレンジジュースさん」人の話を遮ってまで訂正すること? あなたの名前なんてどうでもいいわ、という言葉が喉から這い出てこないように無理矢理嚥下する。「えっと、ちょっとだけここのルームの説明をしてもいいですか?」
「知ってる知ってる」
 は? 今度は知っている? 何この人。
「ピーター・シンガーでしょ。知ってるわよ、それくらい。私が知らないと思って説明はじめようとしていたでしょ」
 そうです、御名答。
「『なぜヴィーガンか?』の人でしょ、すっげえタイムリーあはっははは」
 あーいちいち笑わないで。いらいらするから。
「今日結婚した友達から借りたわ。確か鞄の中に入ってるし。ほら、あったあった」
 おそらく鞄から本を取り出したのだろうが、このSNSは音声特化型なので動画は見れない。
「でね、聞いてよ。今日さ、結婚式だったんだけど。そのヴィーガン本借りた子が主役ってわけ。でさ、ワインが飲み放題だったの。やっすい赤ワインだけど、がぶ飲みしてやったわ。でもあいつらが悪いんだよ。だって飲み放題だからどんどん飲んじゃってくださいとか言うから。まあ言われなくても飲むけどさ」
 いやいや聞きたくないよ、と心の中でもつっこみを入れる暇がないほど、彼女は捲し立てる。
「でさあ、飲み過ぎた勢いでげろってやったの。新郎新婦のテーブルの上で! あははははは」
 あまりのことに私の思考が停止して、さて、どのくらい経ったのだろう。気がつくと、私ともぐぐみさん以外はマイクオフになっていた。おそらくみんな自分の音声マイクだけでなく、スピーカーも消音かもしくは携帯から離れたのではないか。
「何か、あったんですか?」
「え?」私とほぼ同時に酔っ払いさんも声をあげる。
 まさかもぐぐみさん、この酔っ払いの話を真面目に聞いてあげるつもり? どこまで女神さまなの。もぐぐみさんの広量な心に今日も私は感動すると共に、自分の狭隘な心を反省する。

 そもそも、この音声特化型SNSをはじめることになったのも、もぐぐみさんの心遣いがあってこそだ。
 私はもともと文章をメインとしたSNSしか使用していなかった。投稿内容は推しバンドの情報がメインで、もぐぐみさんとはこの頃からのお付き合いなので──ああ、もう八年になるのか。私はそのバンドのヴォーカルの声に惚れ、彼を含めたメンバーの顔には一切興味がないという他の人からすると異色のファンだったが、もぐぐみさんもドラマーの技術レベルの高さに惚れており、私たちはメンバーの容姿には興味をまったく示さないという部分で意気投合した。とはいっても、新譜が出たらお互い感想を言い合うとかライブやラジオの出演情報をSNS内で共有したりと、あの頃はまだその程度だった。だが三年前、彼氏に浮気をされ、私の心は壊滅状態だった。あの頃、朝から晩まで仕事が忙しく、帰宅するまでは何とか凌いでいた。だが、ベッドに入り瞼を閉じると彼と萌音の顔が浮かび、そこから先は自分を制御することが不可能だった。いらいらして叫んでしまったり、起き上がってベランダへ走ったこともあった。当然、ベランダから落ちることはなく、叫ぶのは近所迷惑になるのですぐにやめ、そうして私は大量の食事が睡眠薬になることに気づいた。深夜、パスタを四〇〇グラム茹で、レトルトのカルボナーラソースに冷凍の唐揚げを五、六個、仕上げにとろけるチーズかバターをトッピング。これを完食したあとに、片手では持てないほどの大きなボックス入りティラミスをスプーンで掘っては流し込む。そのうち胃が苦しくなり、ソファに倒れてそのまま眠りこける、なんて生活を繰り返していた。深夜に投稿するSNSは「タヒにたい」「誰かと会話したい」「もう無理だ」「誰か私の話を聞いて」、こんな言葉ばかり。でもすぐに消す。それから、過食症の人たちの投稿にいいねしまくって、やった仲間だ仲間だと自分も菓子パンを何個も頬張り、泣き崩れる。もちろんそのいいねも消す。どうせ深夜なのでフォロワーにはバレていないと思っていた。話しを聞いてほしいのに、男と別れたくらいでぐちぐち言う面倒くさい人間だと思われるのが嫌だったのだ。だが、ある日、もぐぐみさんがダイレクトメッセージを送ってきた。はじめてのことだった。
──音声SNSってもうはじめられていますか? 文字でなく、声で会話する方が本音を言えそうだな、なんて思いつつまだ私はアプリをダウンロードしただけで終わっているのですが。もしはじめられているなら、ルームに参加をさせてもらえたらな、と思っております。ご興味がない内容でしたらご放念ください。
 あのときの私は精神的に弱っていたので判断力も鈍り、もぐぐみさんがなぜか自分の仲間だと思い込んでしまった。きっと彼女も何か悩んでいて誰かと話したがっているに違いない、そんな妄想に取り憑かれ、慌ててアプリをダウンロードした。ネットでトークルームのはじめ方を検索し、必死で設定すると、すぐにもぐぐみさんにメッセージを返した。
──ルーム作りました。話しませんか?
 どれだけ必死なんだよ、といまの私なら冷静にツッコミをいれるが、あのときの私にはその必死さがなければいまここにはいなかっただろう。それに、私にとって相手の声を聞くことは大きな意味があった。音声SNSでなければ、もぐぐみさんをはじめ他の人たちとオフ会なんて絶対しなかった。
 あとで気づくのだが、もちろんこのときもぐぐみさんが私を誘ってきたのは、私を心配してのことだった。

「はじめましての方に込み入ったことをお聞きするのも失礼かと思いますが、そこまでのことをされるには何かあったのかな、と。お話を遮ってすみません、不快でしたらマイクをオフにします」相変わらずの穏やかな口調でもぐぐみさん。
「あ、待って。喋って! じゃない、私の話を聞いて!」オレンジジュースさんはわずかに酔いが醒めたのか、先ほどより声が若く少し頼りなさそうなものになっていた。
「マイク、オンのままで大丈夫ですか?」すぐにもぐぐみさんが対応する。
「大丈夫。だから、聞いて。あのさ、私さ、結婚式に呼ばれて行ってきたの。で、式はとっくに終わっていまはそのあと飲み直した帰り」
「はい」画面越しに笑顔まで透けて見えそうな、優しいもぐぐみさんの声。
「でね、新婦はいちおう私の友達なわけ。大学時代の子なんだけど、あんま好きじゃなかったの、当時から。でもまあお互いに合コンは好きだからあの頃はだいたい一緒でさ。でさ、いっつもあの女、私のこと僻んでいたのよ。私ばっかりイケメンをお持ち帰りするって。いや、相手の男が勝手に誘ってくるだけなんだから、こっちからしたら知らんけどって話なの、わかる?」
「そうですね。そもそも合コンだったら、誰かは選ばれて、誰かは選ばれないという図式は想定内のはずですね」
「でしょ! おねーさんわかってるー。でさあ、とりあえず卒業したあとも飲み会には行っていたの。ま、ほとんどは向こうが人数合わせで私を呼んでいたんだけど。で、呼んだくせにまた嫉妬して。だったら呼ぶなよって話じゃん。でさ、アラサーが近くなってきたらどっちが先に結婚するか勝負だからとか言い出してきて、さすがに無理ってなって既読スルーしてたの。で、正直私は珠紀たまきのことなんて忘れてたの。他に楽しいこといっぱいあるし。そしたら数年ぶりに連絡がきたと思ったら結婚します、でしょ。で、絶対式に来てって。こっちがフリーだってわかったらやたらテンション上がっててさ。でね、あいつの男がレストランを経営してて、芸能人も来るらしくて。式自体には参加できないけど、控室に何とかっていう俳優が挨拶に来てるからおいでとかメッセージが来てさ。式場に着くのがぎりだから無理って返信したのに、タクシー代払うから急いで来てとか強引で。もう何が何でも自慢したいわけなのよね。で、私がくやしーってなるのを見たいわけよ、珠紀は。私もやさしーから本当にタクシー乗って行ってやったわよ。正直実際会っても誰? って感じだったけど。私芸能人きょーみないし。そこまでは良かったんだけど、その日、珠紀の男とも初対面で。そしたらそいつがきっもい奴でさ。私を見て『美人じゃん、◯◯に似てる』とか言いながら胸ばっか見ててさ。キモいよね。なのに珠紀は旦那じゃなくて私にマジギレしてきたの。意味わかんないでしょ。結婚式にそんな胸を強調した服を着てくるなんて非常識だとか」
「それは言い掛かりですね。強調しているかいないかは、オレンジジュースさんが決めることですね」絶妙なタイミングでもぐぐみさんが同調する。
「でしょでしょ、おねさん話わかる人で助かるわー」
「いえいえ。部分的な話に対しての私の勝手な意見なので」
「おねーさん、おもしろ、気に入ったわ。ねえねえ、このルームって毎週? 毎日? ランダム?」
「隔週金曜日の二一時スタートです」
「えーじゃあ次は来月? そっかあ。じゃあ、また次回も遊びに来るわ」
「あ、待ってください。少しだけ説明を。ここは食について考えるルームでして。もし食の話題がお嫌でしたら……」
「はあ? 説明とかいらないし。おねーさんに会いに来るだけなんだけど」
「そうですか。では、ここは地球さんのルームなので私に会いに来るだけなら、ご遠慮ください」ここはぴしゃりと返すもぐぐみさん。さすが。
「地球? ああー?」
 ひっくとしゃっくりの不快な高音が響く。暫しの沈黙──おそらく私のアイコンの下に出ている私のハンドルネーム「地球」という文字を酔った目で凝視しているのだろう。
「あーあははははは、何これ、名前が地球って。主語でっか!」
 突然ネットのページがクラッシュして画面が真っ白になる感覚、あれが一番近いかも。もう私の頭の中には白しかなかった。
「うざ」低い声がごそっと溢れる。
 再び長い沈黙がルーム内を支配する。静寂が尾を引くなか、冷静にあの低い声は私だったのではと気づき、途端に鼓動が加速する。
 やばいやばいやばいやばいやばい。でも、待って。冷静に。もしかしたらみんなには聞こえていなかったかも。いやいや、もぐぐみさんは確実に聞いているはず。どうしよう、どう思ったのだろう、すごく、怖い。
「地球さん、そろそろルームのクローズ時間ですし、次回もオレンジジュースさんに来てもらって、そこで改めてルームの説明と自己紹介をするというのでどうでしょう。次はノンアルでお願いしますね、オレンジジュースさん」
 女神! もぐぐみさんはきっと「強くてニューゲーム」でこの世界に転生してきた異世界チート女神だわ。
「ほっんと、酔っ払いですんません。次回はノンアルで来ます。おねさーん、次回もよろでーす。あ、駅だー駅に着いたわートイレ行くからじゃーねー」
 ほのかに反省している風味ではあるが、やはり私を馬鹿にしている感が否めない。だが、ここでキレてはいけない。私は善人面なんかじゃなくて、もぐぐみさんのように本物の善人になるんだ。だから、先ほどの「うざ」発言はなかったことにできるくらいの大人な対応をしなければ。
「また次回もお願いしますオレンジジュースさん」もぐぐみさんとまではいかないが、穏やかな口調で悪くない返事ではないだろうか。よし、よくやった私。どうだ、酔っ払いめ。大人とはこういうものだ。三五歳になることを嫌がっている子供のあなたとは違うのよ。
「おうええええええ」
 え? ま?
 ジャーッと水が流れる音がする。周りの騒々しさからすると、駅のトイレだろうか。なんて冷静に考える前に、私はルームを強制終了させていた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


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