恋愛について語るとき、それは苦しい。
モテるとか、いちゃいちゃデートとか、そういう言葉たちは私にとって月刊ムーと同じポジジョンにある。いや、ムーの方がまだ探せばなんとかなる感がする。
酔っ払った勢いで近所の閉店したからあげ専門店の床を掘ったら、オーパーツくらいは発見できそうな根拠のない自信を私はまだ捨てていないからだ。
なんて、オーパーツはさておき、あまりにも自分と無関係だと理解出来てきたことに人はだんだんとやる気が失われていくものである。
例えば、
幼い頃プリキュアになりたかった子が、大人になってもその夢を叶えるため髪型や体型だけを真似るだけでなく、一瞬で衣装が変わる装置の研究もしているという話を私は聞いたことが──いや、意外といそうだな。
現実の世界での恋愛を諦めているとき、小説の世界なら自分が経験し得ない世界を覗き見させてもらえる。これはありがたい。
で、時々ふと「恋愛とは、好きな人と付き合うとは、いったいどういう世界だろう」と考える時に思い出す言葉がある。
切ない。目の前で、一緒に新年を祝うのは、この主人公の好きな男性ではないのだ。そして相手の男性にとっても。
好きな人と付き合うということの答えではないのに、なぜか答えのような気がしてくる。
いやいや、これでは駄目だ。実際に愛する人と共に過ごせた人の言葉でないと。
愛する人と一緒にいられる人とは、いったいどんな人なんだ!
ここまでの精神力があれば、いつか私も一瞬だけでも私を好きになってくれる人と付き合えるのだろうか。
なんだか、とっても切れる貝印の包丁が並べられた剣山ベッドの上で熟睡する修行みたいな気分だ。
出家するか自○するか、いや、一度くらい目指してみるのもいいだろう。
──いいだろう?
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