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「メンやば本かじり」番外編

 番外編である。

 今日、五月五日は文豪中島敦の生まれた日だ。

 ま、それとは関係なく、私のメンタルがただれておる。

 よって、関係ないけど無理矢理こじつけて、中島敦生誕祭にのっかりたいという、かなり短絡的な発想だ。

 とはいえ、中島敦の作品はすきである。

 とくに『悟浄出世』が。

そのころ流沙河の河底に栖んでおった妖怪の総数およそ一万三千、なかで、渠ばかり心弱きはなかった。

『悟浄出世』中島 敦著

 彼が微かな声で呟いているのである。「俺はばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使だ」とか。

同上

 悟浄、めっちゃメンタルやばいな。なんだか仲間に思えてくるわ。

 自己否定ばかりをし、心の弱い悟浄。だが、彼はただうじうじ独り言で自分をいじめるだけではなく、きちんと行動するのだ。

最初に悟浄が訪ねたのは、黒卵道人とて、そのころ最も高名な幻術の大家であった。(…)悟浄はこの道人に三月仕えた。幻術などどうでもいいのだが、幻術を能くするくらいなら真人であろうし、真人なら宇宙の大道を会得していて、渠の病を癒すべき智慧をも知っていようと思われたからだ。

同上

 自分は罹患しているからもう駄目だ、ではなく、治療方法を自ら探しにいける力を待っているのだ。この時点で、すでに悟浄は私よりも立派だ。

 だが

悟浄の求めるような無用の思索の相手をしてくれるものは誰一人としておらなんだ。結局、ばかにされ哂いものになった揚句、悟浄は三星洞を追出された。

同上

 悟浄おおおお。ぶわって涙出たわ!

次に悟浄が行ったのは、沙虹隠士のところだった。

同上

 この子、つよい!(『ボボボーボ・ボーボボ』ビュティ)

 え、めっちゃすごいやん。ばかでも駄目でもまったくないどころか、忍耐強く、行動力もあって、しかも非常に思慮深い。むしろ尊敬するところだらけですよ、悟浄さん。

 嘲笑する奴らの話なんてまともに聞いてあげる必要はないでっせ。

 ──あれ。

 あっそうか。自己否定をしているときって、周囲の声にとらわれすぎている、もしくは、周囲をまったく受け入れていない、というかなり極端な状況になっている気がする。

自分は、そんな世界の意味を云々するほどたいした生きものでないことを、渠は、卑下感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じるようになった。そして、そんな生意気をいう前に、とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。躊躇する前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗に帰したっていいのだ。

同上

 自分は駄目だとか、良いとか、決められるほど、私はこの世界のことも、自分のことすらも、わかっていないのだ。

 みんなが私をばかにするからばかなのだと決めるには判断材料を待っておらず、みんなの言葉なんて聞く必要ないと決めるにも──。

 そうか。だったら、ぐだぐだ愚痴ばかり言ってないで、ちょっとでも判断材料を集めていくか。

 やっぱりいいな、中島敦の作品は。


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