孔子、それは苦しい。
哀公(魯の君主)に招かれた孔子。
そこで出されたのがキビ飯と桃だった。
(うわ、すっげぇ食い合わせやな。どないな味覚センスやねん)
と思いつつも、笑顔をつくり
「いただきまーす」
と、キビ飯から手をつけた。すると、
「いやいやそれ食すためのもんじゃねーし。桃のうぶ毛取るためやし」
と笑われる。
「えっ、うそっ。そんなん知らんし」
孔子は皆からマナー知らずだと笑われ、穴がなくても地面をボーリングでどつき回して入りたいわ状態。
例えるなら、フランス料理のお店でフィンガーボールを出され、「清めの聖水ですな!」と頭から水をかぶるイメージである。
いや、それはやり過ぎか。
と、ここまでは私の妄想である。
本当は、孔子はちゃんとマナーを知っていて、卑しいもので尊いものを拭うとはなにごとだ! と思った故の行動だったのかもしれない。いや、そうなんだろうね。でも、ちょっと苦し紛れの言い訳っぽく感じちゃうよね。
ちなみに『礼記』や『管子』にも、飯は箸を使わず手で食べるとある(『中華料理の文化史』、『華国風味』より)。もし、孔子の時代に箸を使う文化があればこの話は出てこなかったかもしれない。
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