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孔子、それは苦しい。

「ある日、孔子が魯の哀公に謁見し、その近くに侍り座っていた。哀公は孔子に桃の実とキビ飯を賜り、食べるようにと勧めた。孔子はまずキビ飯を食べ、それから桃を食べた。それを見て一同はみな口をおおって笑った。哀公が孔子に「キビ飯は食べるのではなく、桃の毛をぬぐうためのものだよ」と言うと、孔子は次のように答えた。わたしもそのことはよく知っているが、キビは五穀のなかで順位がもっとも高く、先祖を祭るときにも最上の供え物である。しかし、桃は六つの木の実のなかで順位が最後にある。君子はいやしい物で尊い物をぬぐうと聞いたことがあるが、その逆は聞いたことがない。五穀のトップであるキビで果実の末席にある桃をぬぐうのは、上をもって下をぬぐうことになる。これは大義に背くことで、わたしにはそうすることができないのだ。」

『中華料理の文化史 』
張競著

 哀公(魯の君主)に招かれた孔子。

 そこで出されたのがキビ飯と桃だった。

(うわ、すっげぇ食い合わせやな。どないな味覚センスやねん)

 と思いつつも、笑顔をつくり

「いただきまーす」

 と、キビ飯から手をつけた。すると、

「いやいやそれ食すためのもんじゃねーし。桃のうぶ毛取るためやし」

 と笑われる。

「えっ、うそっ。そんなん知らんし」

 孔子は皆からマナー知らずだと笑われ、穴がなくても地面をボーリングでどつき回して入りたいわ状態。

 例えるなら、フランス料理のお店でフィンガーボールを出され、「清めの聖水ですな!」と頭から水をかぶるイメージである。

 いや、それはやり過ぎか。

 と、ここまでは私の妄想である。

 本当は、孔子はちゃんとマナーを知っていて、卑しいもので尊いものを拭うとはなにごとだ! と思った故の行動だったのかもしれない。いや、そうなんだろうね。でも、ちょっと苦し紛れの言い訳っぽく感じちゃうよね。

 ちなみに『礼記』や『管子』にも、飯は箸を使わず手で食べるとある(『中華料理の文化史』、『華国風味』より)。もし、孔子の時代に箸を使う文化があればこの話は出てこなかったかもしれない。

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