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『初めまして地球さん、私オレンジジュースです』第四話串田留衣編「悪役令嬢症状」

愛の望みはただひとつ。愛自身を満たすことです。

『預言者』カリール・ジブラン著 佐久間彪 訳




 虫の知らせ、とは少し違うのかもしれない。でも、昔から最悪なことが起こるときは兆候があった。小学校からの帰り道、ぼとりと鈍い音をたてて足元に雀が落ちてきた。周囲に人影はなく、おそらく空から落ちてきたんだろう。アスファルトの上で雀は暫く痙攣したあと、剥製のように硬直してしまった。怖くなって走って家に帰り、手も洗わずにリビングへ向かった。すると携帯を握りしめたまま呆然と突っ立っている母がいた。「留衣、おじいちゃんが……」そう言って母が泣き崩れた。
 祖母のときもあった。友達とできたばかりのバームクーヘン屋に並んでいると、すぐ前の人が急に倒れた。倒れたのは年配の女性で、恐怖のあまり目を逸らすほど顔が紫色だった。咄嗟に救急車を呼ぶことができず狼狽えていたら、異変に気づいたお店の人が連絡をしてくれた。すっかり食欲が失せ、そのまま帰宅し、暫くすると祖母が入院する病院から電話があった。
 彼とセックスをした日も。兆候はあった。
──で、いま。
 地球さんのSNSルームから退出した途端、するりと手からスマホが滑り落ちた。喋りながら歩いていたので、スマホはコンクリートに直撃。画面に大きなヒビが入ってしまった。
「うわあ」
 機種変更をしてまだ半年も経っていないのにというのに。
「修理代高いよな、絶対。最近何でも値上がりしてるからなーあーさいあくー」
 繁華街なので大きな独り言を発したところで誰も気にする様子はない。これでアパートの近くだったら不審者扱いされていたかもしれない。喧騒もときには役立つ。
「予定外の出費だわ。今日の飲みは控えめにしないと」
 なぜ動揺しているときは独り言が喉を通り抜けてしまうのだろう。抑えがきかなくなる。これは私だけの癖かもしれないけど。
 大通りから一本奥に入る。その境界線にパンプスを踏み入れた途端、油膜の壁を通り抜けた感覚に襲われる。通り抜けると、先程まで鮮明だった視界が一気に七色にぼやける。フィルターをかけて加工しまくった自撮りみたい。輪郭は不鮮明になったはずなのに、なぜかキラキラと輝いてくっきりしたように見える。暫くするとこのキラキラにも慣れるけど、その慣れた気になった視界は決して大通りのときとは別物だと外に出るまでは気づかない。夜の歓楽街独特空気、なんだと思う。
 あやのお店の前まで来ると、店内の賑わいが外まで聞こえてきた。お店はレズビアンバーの中では大きめで、カウンターだけでなくテーブル席もあるが果たして入れるのだろうか。とはいえ、到着時間は伝えてあるし、文の性格から考えて「来て」と言った以上満席で断るなんてことは絶対ないのだろうけど。
 ドアに手をやると、ここの扉こんなに重かったかなと違和感を感じるほどに重量がずしりと伝わってきた。単純に食べていないせいで筋肉量が落ちているからかもしれないけれど、やはり嫌な予感はする。カランとドアに設置されたベルが鳴り、「いらっしゃいませ〜」と甲高く溌剌とした声が笑い声とBGMを連れて私を迎えてくれた。
「留衣ちゃん」真っ先に声をかけてくれたのは、カウンターに立つハリさんだった。ハリさんはこの店のオーナーで、私や文を「私の娘」と呼んでかわいがってくれている。私はスタッフではないうえに、ハリさんの娘さんもここで働いているが私と一〇歳近く離れており、娘と呼ばれるのは少し気が引けるのだけれど。
「文、留衣ちゃん来たよー」ハリさんが華奢な首を右に向ける。文はそちらのテーブル席にいるのだな、と連動して私も顔を向けた。私に気付き、すっと肌肉玉雪の女性が立ち上がる。文だ。体のラインにぴったりと添ったワンピース姿は何も加工しなくても何万も「いいね」がつきそうだ。美しい自慢の彼女であると同時に、隣に立つ私はどう見えているんだろうと内心いつも焦ってしまう。私は文と違って油断するとすぐに太る体質だ。文の美を汚す存在にならないために食事を抜いているのになかなか痩せない。このお店は食事もおいしいのだけど、今日は文につられて食べないように気をつけないと。
「留衣、来てくれてありがとう」
 手を振る文に笑顔で返そうと思ったが、文のすぐ横に座る女の顔が視界に入り、一気に心臓が凍り付いた。
「やっほー」
 にやけ顔を作り、私に手を振る珠紀クソ女。何であんたがここにいるのよ。
「いやあこの間は私の式で伝説つくってくれてありがとね」
 ありがとうという言葉に対してここまで不敬と言わざるを得ないありがとうを私ははじめて耳にした。
「え? 伝説?」私と珠紀の様子おかしいとすぐに察した文の白い肌は、ほのかに青味を帯びはじめる。
 私がいない間に二人が何を話していたのかわからない。けど、おそらく珠紀は私の親友だか何だか言って、私を呼び出すように頼んだのだろう。文から店に来てとメールが来たのは夕方だった。出勤前の文は、必ず一杯(どころではないけど)飲むので、私と出会った鉄板焼き屋かいつものカフェバーでメッセージを送っているはず。つまり、どちらかに偶然珠紀が現れ、偶然文に話しかけ、共通の知り合いである私の話になった──いやいや、そんなことはまずあり得ない。珠紀はどこかで私と文の繋がりを知ったんだ。でも一体どこで?
「そうそう、伝説よ。まじで留衣すごかったんだから。こっち来て文ちゃんにも聞かせてあげてよ」
 ずっと入口で突っ立っても何もはじまらない。私は仕方なく文と珠紀のいるテーブルへ鉛の足で進んでいく。いつもこのお店に入る度にテンションが上がるのに、今日はヴィヴィアン好きのハリさんのこだわりが詰まったシャンデリアもタータンチェックとロックな写真のコラージュの壁紙も不気味な空気を漂わせて見えた。こんな素敵な空間をここまでぶち壊せるのは、さすが珠紀だわ。ちなみに、ここが人気店なのは、レズビアンバーを求めている人だけでなく、ファッションやアート──ハリさんは有名美大卒で、美術雑誌にコラムを書いたり、美術系YouTubeにも呼ばれたりしている──が好きな人たちも集まるからだ。それにしても、これだけ混雑しているのに四人座れるテーブル席を一人で占領できる珠紀の図太い精神が腹立たしい。店に迷惑だろ。
「あんな話、ここでしたら他のお客さんに迷惑でしょ。酒とメシがまずくなる」おそらく鬼の形相をしているであろう私は答える。文はすっかり全身が青くなっていた。
「えーそんな気遣いできるんだー。だったら私の式であんなことしたらみんなのメシがまずくなることくらい気遣ってくれても良かったのに。それなのにあえてやる留衣、メンタルつよいわーさすがー」
 ここで激昂した私に醜態を晒させるか、忸怩たる思いで精神的にダメージを与えるか、そんな奸計を企てているのだろう。何にしても彼女の顔は勝者の余裕で溢れていた。あら、残念。私が考えていることを教えてあげよっか。私はね、「うわあ、あんたのその顔、転生したら悪役令嬢だったけど元から性格最悪だったのでゲームのシナリオ通りに主人公と王子さまから追放される運命っぽいわ」って思っているんだよ。
「ありがとう」メンタル強いならあんたに勝てるわねと余裕の笑みを浮かべつつ、ラインが崩れないように軽くお尻のお肉を上に滑らせながらソファに腰掛ける。「ほら、文もいい加減座りなよ。周りのお客さんが変に思うよ」
 絶望という文字を背負った顔で、文もよろよろと腰をおろす。
「あれさ、式場の安いワインが悪かったんじゃないかって旦那がフォローしてたわよ、留衣のこと。良いわね、美人は何をしてもから助けてもらえて」「別に助けてなんて頼んでないわよ」
「まあまあ。とりあえずあんなワインじゃ申し訳ないと思ってさ。まともなワインおろしたわ」
 テーブルに置かれたオーパス・ワンを一瞥し、このお店で飲んだらいくらなんだろうと一瞬考えたけど、支払いは私ではないので遠慮なくいただくことにした。
「へーありがと。文、グラスもらっていい?」
「あ、うん。ハリさんワイングラス一つください」
 とても私と会話しているとは思えない引き攣った顔で立ち上がる。文にこんな顔、させたくなかった。
「はーい」ハリさんは私たちの空気なんて一切感じ取っていませんという調子で、ワイングラスホルダーからするりと抜き取る。「そっち持っていくわね。みんな、いまのクイズ私が戻ってくるまでに答えを考えておいて」カウンターの客たちにそう言うと、ハリさんがグラスを持って中から出てくる。カウンターは満席なので、普段なら文に取りに来てと頼むはずだ。なのにわざわざ出てくるのは、やはり険悪なムードに気づいているのだろう。さらに、ハリさんは出てくる前に客たちが退屈しないようにクイズを出していた。さすが、いつも店内の状況を見ていないようで完全に把握しているハリさん。客たちはハリさんの思惑通り、「どう思いました?」「待って、混乱してきた。えっと、ドクタースミスは事故で重症の自分の息子を執刀することになったのよね。でも警察は父親は既に亡くなったって」「どいうこと? ってなりますよね」などと盛り上がっていた。
「はい、留衣ちゃん」年齢不詳の美女は深い谷間をがっつり見せたヴィヴィアンのコルセットにパンツ姿でグラスを差し出してきた。四〇歳以上ではあるはずだから、それでこの腰のくびれは芸術的ともいえる。
「ありがとうございます」
「それにしてもびっくりしちゃった。留衣ちゃんが原さんとお知り合いだって」
「原? ああ」珠紀は矢野から原になったんだった。
「ほら、文がよく行くエレルカフェ、あそこのオーナーが原さんのパートナーさんなのよね」
 そうだった。珠紀の相手はレストランだけでなくカフェも経営しているって言っていた。でもまさかエレルカフェがこいつらのものだったなんて。
「そうなのよ。しんって週に一度は自分の店に客として行くんだけど、この間エレルに行ったら留衣を見かけたらしくて。文ちゃんのお店に手を繋いで行く姿を目撃したって言ってて。そんな話聞いたら私も見たくなるじゃん。で、文ちゃんがエレルに来るのを待っていたのよ」
 すごいわ、本当にあんた悪役令嬢だわ。そんな顔ができるのはゲームかアニメのキャラだけだと思っていたわ。
「え……珠紀さん、私との関係は留衣から直接聞いていたって」
「ああ、ごめん、それ勘違いだったわ」
 文の顔が引き攣る。客を相手に喧嘩はしないだろけど、これが外だったら激昂していたのだろうか。私はまだ文が本気で怒った姿を見たことがない。
「自分の結婚式で瑠衣に申し訳ないことをしたから謝罪したいって。このワインも、式のワインが酷すぎたから罪滅ぼしって、言ってましたよね」文の唇が怒りで震える。
 謝罪のために私を呼んだら断るに決まっているから内緒にしろ、きっと珠紀はそのような台詞で唆したに違いない。文は私の性格をよく知っているし、珠紀は初対面の相手に本性を隠すのが天才的にうまい。つり目のくせにものすごく優しそうに見える顔立ちも相俟って、文は信じてしまったのだろう。サプライズ謝罪の架け橋くらいの気持ちで私の登場を待っていたんだと思う。ああ、文に申し訳ない。こんなことに巻き込むなんて。
「そうよ、実際あんな酷いワインを出すなんて、あの式場うちらを舐めているわよね。バカみたいに高かったくせに」
 金を払ったのはあんたじゃないでしょ。珠紀が男に奢ってもらっておいて、まるで自腹を切ったかのように文句を言うのは学生時代からそうだった。私は珠紀のこういうところも嫌い。
「いやあでもさ、意外だわ。合コンするたびに男をお持ち帰りしていたあの留衣が。まさか女に走るなんて」
「お持ち帰りって。私から誘ったことはないわよ。それに男とホテルには行っていたけどやってないわよ」
「やったかやってないかなんて聞いてないんですけど。やだ、留衣ったら彼女さん、、、、の前ではもしかして処女ってことにしてんの?」
「そういう話、やめてもらえる? 確かにあんたの式をぶち壊したのは悪かった。でもさ、だったら私にだけ言えばいいじゃん。なんで文とこの店を巻き込むのよ。もういいわ、とりあえず会計済ませて出ようか」
「べつに出てもいいわよ、もう。あんたの秘密は知っちゃったし」けけけと笑い珠紀はワイングラスを傾ける。
「私が文を愛しているのは秘密でも何でもないけど」いや、正直に告白すると文のファンには付き合っていることを内緒にしているし、何だったらお店の中で付き合っている話をしたことすらない。それは文のファンが不快な思いをすることをおそれたからで、その恐れの矛先が文に向けられるのを絶対に避けたかったからだ。なので言葉にしたあと、我に返って周りの反応を気にしてしまった。その態度が珠紀には「レズビアンであることを公言してしまい、周囲の目が気になっている」ように映ったのだろう。ライバルの恥部を探り当てた悪役令嬢は嬉々として言い放つ。
「愛してるって。やだ、こんな公衆の面前で女に向かって愛してるって。ウケるんですけど。留衣、あんたそれ親の前でも言えるの?」
 ここがレズビアンバーだとわかってその発言をしているのか、この女。いやわかっていてもするか。差別的な人は、当事者たちに囲まれていると自覚していたとしても自分の意見は社会全体を味方にしているという勝手な思い込みで平気で言ってのける。学生時代、合コンで中華料理屋へ行ったときの記憶が甦る。参加していた男子の一人が「中国人ってパクリばっかりするだろ。ほら見てこのオイスターソースのコロッケって。コロッケは日本人が発明したんだぜ。なのに平気で中華料理って出してくる、やべえよな」
 やべえのはお前だ、とまでは言わなかったもののコロッケはもともともフランス料理であることは教えてやったと思う。間違った情報でマウントを取った気になっていた彼は必死に話題を変えてそれでもなおその店で馬鹿げた話を続けてきたので、ブチ切れて帰ったけど。帰り際に店員さんに謝罪し「同じ日本人として恥ずかしい」と言うとレジの女性は「この世界には良い人と悪い人がいます。あの人とあなたを同じなんてそもそも思っていません。みんな違います」とものすごく正しい意見を冷静に返されたことが印象的だった。きっとああいう態度に慣れているんだろうと思うと、一層胸が痛かった。あの一件があってから私は、差別者がいっそう嫌いになった。そういえば、男は理性的、女は感情的という女性軽視が強い人間である後輩の福田君は、彼の自宅付近のコンビニの店員さんがインドの人でその人があまり器用ではないらしく「インド人って不器用だよな」と言い放っていた。「一四億人もいたら器用な人もそうでない人もいるでしょ」と私が言うと、「いや、そもそもインド人は適当な気質で、日本人みたいに細かな作業に向いていないんだよ。あれは国民性だよ」と断言してきた。私が「日本人でも不器用な人はいるけど。それに、そのインド人って括りの中で男女は分けないの?」と意地悪で聞いたらみたら、「インド人って言ってるんだから男とか女とか関係ないよ。インド人はみんな一緒」と突然ここでは男女の隔たりがなくなるのだからあやうく大爆笑するところだった。
 偏見や差別は簡単にはなくせないものだし、自分も気づいていないだけできっと偏見を持っている部分もあるのだろう。とはいえ、なくすなんて無理なんだと簡単に諦めたくない。
「母には誰かと付き合っている話なんて今までしたことないし。でも聞かれたら言うわよ。ってか、そもそもうちの親の無関心さは珠紀も知っているでしょ」
「ええーそうだったっけ? でもさすがにレズは留衣のお母さんもショックでしよ」
「おもしろい人ね、原さんって」
 傍らに立ち黙って聞いていたハリさんがテーブルにあったワインボトルを片手で握りしめ、ドンっと珠紀の前に置く。その迫力に圧倒され、珠紀だけでなく、店内も一瞬しんと静まり返る。
「ワイン、私も一杯もらって、いい?」極上の営業スマイルでハリさんはワイングラスをずいっと突き出す。
「あ、は、はい」ハリさんのこの笑顔の迫力にすっかり圧された珠紀は素直にワインを注ぐ。
「ねえ原さん、エレルカフェの客って大抵ここら辺のビアンバーかゲイバーで働く子たちばっかじゃない。それなのにLGBTQを受け入れない人がオーナーのパートナーなんて、そんな馬鹿げた話、ないわよ、ね」
「は、はい」
「ありがとう。じゃ、私お会計計算してくるわね」ぐいっとワインを一気に飲み干し、ほほほと映画に出てきそうな貴族の笑い声をあげハリさんはカウンターに戻って行く。
「みんなお待たせー、答えは出た?」ハリさんは空のグラスを流しに置き、飲んでなきゃやってられないとばかりに自分でサーバーからビールを注ぎ、また飲んでいた。
「わかった、搬送された息子はドクタースミスの実の子じゃなかったんだ」
「それってスミスが義父ってこと?」
「そう、だから同乗していた父親はすでに死亡が確認されているけど、それは実父だったってこと。これなら、父親は死亡していてもスミスは義父なんだから息子のオペを執刀できる」
「え、私はドクタースミスって女性なんだと思った。だって、車が事故を起こして運転手だった父親は即死、息子は重体だったわけでしょ。で、運ばれてきた子を見てドクタースミスは自分の息子だって言ったってことは、母親かなって」
「えっ!」
「そっか! ドクタースミスって聞いたらなぜか男だと思い込んじゃった」
 誰にでも思い込みや偏見はある。でも人と接することで、私たちはそれが思い込みや偏見であることを知り、自分の世界に対する視野の狭さを認識する。これを繰り返して「世界」を知っていくんだ。
「文」
 私が名前を呼ぶと、自責の念でまともに私の顔を見れないといったふうに俯いたまま体をこちらに向けてきた。
「そんな顔させて、ごめん。文は珠紀を連れてきたことを自分のせいだと思っているでしょ。でも、そもそもこれは私の責任で、むしろ私が文に迷惑をかけたことだから。本当にごめんなさい」
 深々と頭を下げると、慌てて文は椅子からおりて私の前に膝をつき、私の手を握りしめてきた。
「やめて瑠衣。私がもっとちゃんと考えて行動しておけば良かったことなの」「いや、文は悪くない、絶対」「私のせいなの」「違う、私のせい」
「はいはいはい、文ちゃんここお店なの忘れてない? 原さんほったらかしにするつもり?」いつの間にか私たちの前でハリさんは仁王立ちをしていた。彼女の手には会計票。「なにせ今月の最高金額を叩き出してくれたすんばらしいお客さまよー。みんなーここのきゃわわな女子は、すぐ近くのエレルカフェのオーナーさまよ」
「あ、いや、私じゃなくて旦那が」めずらしく珠紀が押されている。
「すっごいおしゃれだし、あそこのミルクシェーキ、まじで『パルプフィクション』ばりのばえる見た目だし味も最高だから」
「まじ?」
「今度行ってみようかな」
「ハリさん、すぐ近くってどこらへん?」
「ほほほ、今後ともよろしくね、原さん」すうっと会計を珠紀に渡す。
「はあ、なんか宣伝してもらってすみません」悪役令嬢はどこへやら、すっかりしおらしい態度に。がしかし、金額を見た珠紀の目は普段の二倍以上に大きくなっていた。
「いいのよ、いいのよ、ここらへんのお店は繋がりが強いから。今日原さんが来てくれたこと、他のお店の子たちにも宣伝してあげるから!」
 はい、ハリさんの圧勝。ハリさんの店に対する愛も、従業員への愛も珠紀なんかが勝てるわけがない。私も文に対する愛を、ここまで強く育てていきたい。
「ほら、文ちゃん立って」ハリさんが手を差し伸べる。
「うん。ハリさん、ごめんなさい」
「いや文ちゃん違うでしょ、謝るなら原さんと留衣ちゃんに。あなた、ずっと接客してなかったでしょ」
「ハリさん厳しい」カウンターの女性が声をあげる。
「文ちゃん、ハリさんだってビール飲んだくれていたんだから気にしないで」
 隣のテーブル席のお客さんも、陽気な声で文に助け舟を出す。
「文ちゃんは愛されてるわね〜。でも、ごめんなさいは大事よ」ハリさんはウィンクをし、ぷりんと上を向いたお尻を振りながらカウンターへ戻っていった。
 その後、文が深々と頭をさげるとすっかりしらけた珠紀は一人店を出た。おそらく周囲に私と文の関係は言いふらすだろう。文に迷惑がかかりませんように、そして何かあってもハリさんのように対象できる私でありますように、心の中でそう強く祈った。

#創作大賞2024
#恋愛小説部門

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