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【小説】ねがいごと

これから毎日小説を書こうと思います。余談ですが、私は一日坊主の常習犯でして、次の日には何かまた別のことを始めては辞め…を繰り返しております。一体いつまで持つか見ものですね。

※ 忙しい時期は期間を決めて休止します。主に期末試験や帰省などですね。


ねがいごと

七月中頃の話である。つい最近まであった雨に代わって、太陽は熱を降らせていた。私が近所の商店街をぶらぶらと歩いていたその時、花屋の路地裏に二三枚の色紙が落ちているのを発見した。興味のまま近づいてみると、それは短冊であった。隣には枯れた笹の葉と、括り付けられた数多のねがいごとがあった。私はそれがつい一昨日商店街で行われた七夕祭りの短冊に似ていることに気づいた。

その短冊はみすぼらしく、汚らしく見えた。私は自分の中から不愉快が湧き上がっていることを自覚した。この短冊に対してではない、この願い事を集めた大人に対してである。それは彼らにとって謂れのない感情であることに異論はないのだが、私は少しばかりの不快感持っていた。

『世界が平和になりますように』

『パン屋さんになれますように』

『ピアノが上手になりますように』

子供たちは思い思いの夢を願いとして短冊に記す。そして親たちはその願いを見て「叶うといいね」などと無責任なことを言う。

そうやって嫌な気持ちになっている時、私はとある記憶を思い出した。ベランダに出ている時にたまたま耳にした近所の婦人たちの会話である。

「うちの子が野球選手になるって言って聞かないのよ。もう2年で受験だって言うのに…」

「あらあら可愛らしいじゃないの、耕助くん頑張り屋さんなんだから気が済むまで続けさせてあげたら?いずれあなたの言っていることにも気づくわよ」

私はその少年のことを知っている。毎朝早くからバットを振り、毎晩投球の練習をしている真面目な野球少年だった。彼はひたむきに自分の夢を追っているが、親は取り合っていないように見えた。私は彼女の発言を聞いて、子供の夢に対して無責任だ、と感じた。

それら無責任は、その願いを本気に捉えていないからこそ来るものだろう。無論、全ての子供が彼のように本気ではないだろう。だが、真摯に、理想へと突き進もうとしている子に対しては、声援ぐらい送っても良いだろう。

―その時私は両親の顔を思い出した。飲み干せぬ屈辱と溜飲が喉にせり上がっているのを感じた。今すぐに吐き出してしまいたい、そう逸る感情を押さえつけながら、私はその場を静かに離れた。

願わくはあの少年が私のようになりませんよう。そんなことを思いながら。

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