【日記】梅雨晴れの散歩道

平日の朝。多くの人間が会社や学校で机に向かっている中で、私は自宅近くの河川敷をあてもなく歩いていた。日々の引き籠り生活に疲れた私は、陰鬱を晴らすため梅雨の休暇中に訪れた太陽に遭いに行ってみることにした。

河川敷では平日だというのに野球をする少年たちの声が聞こえた。随分と音域が高かったから小中学生だったはずだ。こうも表現が曖昧なのは他人の視線に酷く怯えている私の観察力不足にある。私は常に否定される恐怖に怯え、周りのことを正確に観察できないでいる。幸いなことに、彼ら野球少年と年齢層が高い通行人以外にはしんとした河原だったおかげ度普段よりある程度その恐怖は緩和されていた。

その日の格好は鮮明に覚えている。寝間着姿に伸びきった髪、そして生まれながらの濃い体毛。世間一般の求める清潔感とはかけ離れた格好だった。自転車に乗った中背の男がすれ違う。ほんのりと恐怖を感じた。それは自転車という質量の接近から来る生物本能的な恐怖ではなく、その通行人が私を見てどう思うかという社会的な恐怖であった。次にすれ違ったのは中年の男女数名。これもまた私を側道に追いやるには十分だった。人とすれ違う度背筋を伸ばしながら目を逸らすのも慣れてしまった。

自動車学校が見えてきた。そろそろ免許を取っておいた方が沖縄に帰省した時に楽だろう、そう考えていても体が、頭が動かない。すぐ近くにあるにもかかわらず入港手続きすら済まそうとしない人間、そんな人間が大学にちゃんと通えるはずがない。行動を起こすことに怠惰な人間が、一人暮らしという場所において自らを律して行動を起こすことは不可能なのだろうか。数少ない事例を参照するに、この仮説は正しい。必要最低限以外の行動を取れない人間であるという事実は私をさらに苦しめるには十分すぎた。だが日光というのは恐ろしい。少なくともこの散歩は自分を変えるチャンスになるだろう、などと太陽の熱にやられたのか私は自分の思考がだんだんと能天気になっていくのを自覚した。

河川敷から住宅街へと出る。ちょうどその時ゴミ収集車の陽気な音楽が耳に入った。こちらに近づいてくる存在に恐れをなしながら進む。ああ、ついに出会ってしまった、まともに仕事している人間に。これまでにない拒絶感を抱えながらそのそばを通り抜ける。手すりに摑まりながら移動する収集員をちらりと見る。その表情は視力が悪いせいで見えなかった、そう信じておく。彼らは私に気づかずにせっせと仕事に励んでいた。

車の見える通りに出る。そこは数件の飲食店とアパートが立ち並ぶ小さな通りだった。時たま私を追い越す車があるほかには、人の影が無い。シャッターの多い場所だた。私は安堵した。そこには私の心を乱す人間という存在がほとんどいない。少なくとも数分おきに現れる車以外の人気はない。落ち着きながら歩き始めて暫くして、私はぎょっとした。私が無人と思っていたとある店から店主らしき女性が歩いて出てきたのだ。開店の準備だろうか、時計はもう九時半を回っていた。すれ違った時、私は視線を向けられたような気がした。勘違いであってほしい。私は彼らの目にどう映るのか。怯え切った私はだんだんと足が速くなっているのを感じた。

古き良き懐かしさを感じさせる商店があったのだが、その時どう感じていたか鮮明に思い出すことができない。写真を撮っておこうか、と考えていたのは確かだが、それを実行に移せなかったのはあの店を通り過ぎた時から続く変な緊張にあったのだろう。その緊張が吐き気に変わり始めたのは家につく前のT字路のことだった。目の前に車が数台信号を待っている。歩道はなく、車との距離は十センチを切っていた。これを通り抜けなければならない。一刻も早く家に帰りたかった私は迷惑にならないよう極力車に近づかないように傍を通り抜けようとした。だが失敗した。無理に通り抜けようとした影響で体が車を擦ってしまった。迷惑をかけた、そのことが頭をぐるぐると埋め尽くす。いや、そんなことは今更だ。私は現に大学に行かずに不登校である。これは親に授業料をただ払わせているだけの紛れもない迷惑、親不孝だ。そう考えたとたん、私は息が上がってしまった。決して体力の低下による心肺機能の低下によるものではなかった。目を背け続けていた現実を再認識させられた私は半ば狂乱状態になりながらアパートへと足早に逃げ帰った。途中で見かけた老人があったが、詳しくは覚えていない。

こうして私は長い道のりを踏破した。アパートに入るとぬるい風が私を出迎えた。汗は相変わらずの代謝の悪さからかほとんどかかなかったが、冷汗に類似した何かが背筋を冷やしていた。自動販売機で何か買ってから部屋に戻ろう、そう思った。

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