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アンナ・アップルトンの冒険 第四回(最終回)

  八 トビィ、気がつく

「新聞ー! 新聞ー! 連続殺人の容疑者が捕まったよう!」
 新聞売りが、道行く人に声を張り上げている。
「一部ください」
「あいよ!」
 トビィは新聞を一部買った。アンナにお使いを頼まれたのだ。第一面に、連続殺人事件の容疑者が捕まった、と大きく出ている。記者に答えているギブンス警部の写真付きで。
 容疑者はショーン・ウォルター。三人の被害者と顔見知りで、前科持ち。まあ、こそどろぐらいなら、下町には珍しくない。
 それより重要だったのは、新聞では触れていなかったが、三人の勤めていた酒場に足しげく通っていて、三人と共通に親しかったのは彼くらいだった、ということだ。
 アンナが気付いたのは、これだった。
 トビィ達はそのことを伝えようと、スコットランドヤードへ出向いたのだった。もしかしたら、真犯人を見つけたのかもしれない。アンナだけではなく、トビィもそう感じて、胸がドキドキと高鳴って仕方なかった。
 最初、オフィスに入ってきたトビィ達を見て、警部は顔をしかめた。
「なんだ、お前達か。まだ、探偵ごっこを続けとるのか。あれだけショッキングな現場を見たってのに、ホントに図太い神経しとるな」
「警部さん、これ見てください」
「ん?」
 いつもなら、いやみに対して軽妙な切り返しを見せるアンナが、真剣な顔でまっすぐ机に向かってきて、手帳を広げたのを見て、警部はすぐに様子が違うことに気が付いた。アンナは手帳のページをめくりながら、自分が気付いた、三人に共通して親しかった人物、ショーン・ウォルターについて話した。
 三人は別々の酒場に勤めていたけれど、ショーン・ウォルターは、どの酒場にもひんぱんに顔を出していた事。見るからに色男という評判で、三人によくちょっかいを出し、相手もまんざらではなかった事。さらに、どうやらプライベートでも、付き合いがあったらしい事……。
「ふむ……なるほどな……顔は変装だとして、体格は一致しとるな……」
 子供の素人探偵が事件に首を突っ込むのを嫌っている警部だったが、ただ、トビィ達が熱心に聞き込みを続けているのは認めていた。だからその内容も信用してくれたのだ。少なくともこいつを当たってみる価値はありそうだ、とうなずいてくれた。
「ただし、お前さんたちは連れていかんぞ」
 警部は断言した。アンナは抗議の声を上げる。
「ええっ? 何で?」
「なんでもへったくれもあるかい。もしかしたら、真犯人かもしれんのだぞ。しかも、残忍な連続殺人犯だ。そんな危ないやつかもしれんのに、子供を連れて行けるわけないだろう。お前さん達も、あの事件現場を見ただろう?」
「そんなの大丈夫! 犯人逮捕の瞬間を見逃すなんて……もが?」
 トビィは慌ててアンナにしがみついて、口をふさいだ。警部の言うとおりだ。そんな所に、アンナを行かせるわけにはいかない。
「分かりました、警部。後はよろしくお願いします。それでは、どうも、おじゃましましたー」
「もが、もがー!」
 腕の中でモゴモゴと抗議するのを無視して、トビィはアンナを、スコットランドヤードから引っ張り出した。
「ぷはー! ……ひどいわ! 何てことするの、トビィ! せっかくここまでがんばったのに、犯人がつかまるところを見なかったら、意味ないじゃないの!」
 道に出てトビィがようやく手を離すと、アンナはぷんすか怒り出した。
「それに、みんなの見てる前で、抱きついてこんなに手荒に扱うなんて、レディに対するふるまいじゃないわよ、まったくもう……」
「すいません、お嬢様。でも……」
「なあに? もしかして、怖くなっちゃったの?」
「ええ、まあ……」
「しょうがないわねえ」
 アンナはまだ不満げだったが、これ以上トビィをいじめてはかわいそうだと思ったようで、そこでしぶしぶあきらめてくれた。トビィとしては、とにかくアンナを危ない現場に近づけたくなかったわけで、まあ、いくじなしと思われるぐらいはたいしたことじゃない。
 こうして二人は大仕事を終え、屋敷へと戻ったのだった。
 トビィが買い求めた新聞には、その後の顛末が載っていた。
 前科持ちだった、ショーン・ウォルター。やっていたのは、こそ泥、ゆすり、たかりなど。下町にはよくいる小悪党だった。さる情報(もちろん、トビィ達のこと)を元に、そのウォルターについて調べてみたところ、最近妙に羽振りがいいと、うわさが立っていた。そこで警部が出向いて、本人に話を聞こうとすると、突然警官を突き飛ばして逃げ出したんだそうだ。
 追いかけ、捕まえて問いつめてみれば、どうにも言い分が怪しくて、事件当日のアリバイもない。そこで、殺人事件の容疑者として逮捕に踏み切った、と警部は語っている。
 これで他の証拠がそろえば、アンナのにらんだ通り、共通の顔見知りであるショーン・ウォルターが犯人で一件落着。大手柄だ。トビィもアンナのボディーガードとして神経すり減らす事もなくなって、ほっとできる。
「やあ、君はトビィ君だね。アップルトン嬢の助手の」
 新聞スタンドから立ち去ろうとすると、そこに探偵のハートリーがやってきた。
「おはようございます、ハートリーさん」
「おはよう。お使いかい? ご苦労様」
 ハートリーも新聞を買い、その一面をとんとんと指差して、言った。
「今、ギブンス警部と会ってきたんだが、こいつに目星をつけたのは君達なんだって?」
 トビィはうなずいた。
「ええ。お嬢様が、ひげ面の大男は変装した姿なんじゃないのかと気付いて、被害者三人に共通の顔見知りがいないか、調べたんです」
「変装っていうのはいい点に気付いたね。僕も犯人は変装してたと思うんだ。色々不審な点があったんでね」
 本職の探偵のハートリーもそう考えていた、ということを聞いて、トビィは嬉しくなった。素人探偵のトビィ達も、まんざらではないということだ。
「ショーン・ウォルターは犯人だと思いますか?」
 トビィはハートリーに聞いてみた。
「うーん」
 ハートリーはうなった。
「僕は違う線を追っているんだけど、証拠がそろってないんで、まだどっちとも言えないね。取り調べの様子を警部から聞いた感じじゃ、ウォルターは、かなり怪しいことは確かだけど……ただ……うん、僕は彼が犯人じゃないと、思ってる」
「本当ですか?」
「うん、まあ、まだ百パーセント確実とは言い切れないけど、たぶん違うね」
 その言葉を聞いて、トビィはがっかりした。
 やはり、まだ、犯人には遠いのだろうか。そうなると、トビィはまだ、アンナの助手兼ボディーカードとして、気苦労が絶えない日々が続くわけだ。
 トビィの落ちこんだ気分を察して、まだどちらかは分からないよ、とハートリーはなぐさめてくれた。
 ハートリーと別れ、新聞を抱えて、トビィは屋敷に戻った。アンナがお待ちかねだ。でもこの話をしたら、お嬢様はいやな顔するんだろうなあ。そんなことを考えながら、家に入ろうとしたところ。
 子供に呼び止められた。年はトビィと同じぐらいの、身なりからすぐ分かる、下町の子だ。
「この家の人かい?」
「うん、ここの召使いだよ」
「俺、この手紙を届けるように言われたんだけど、アンナお嬢さんっているかい? 探偵の」
「え、う、うん。いるよ」
「じゃ、これ、渡しといて。頼んだぜ」
 手紙を渡された。封筒には、あて名にアンナの名前が書いてあるだけで、差出人の名前はない。おかしな手紙だ。アンナのことを、探偵と言っていたのも、不思議だった。
 その手紙をアンナに、新聞といっしょに渡した。その時に、ハートリーはウォルターを犯人とは思っていないそうだ、と告げると、やっぱりアンナはむっとした顔になった。
「なによ、ウォルターが犯人じゃないですって? きっと、私達が先に見つけたもんだから、しっとしているのよ。いやな奴よね、まったく……」
 そう言いながら手紙の封を開けたアンナは、その中身を読んで、もっと難しい顔になった。
「お嬢様?」
「読んで」
 手紙を渡された。手紙はあのジェシカの友人、サリーからのものだった。ジェシカを助けようとしていた人だ。

 アンナベル・アップルトン様
 警察の方から、あなたのお話を聞き、お手紙を書きました。実は、私は犯人について、とある事情から警察に話していない事実があるのです。できればそれをお話ししたいと思いますので、内密にお越しいただけないでしょうか。私の仕事の都合がありますので、できれば夜半過ぎに来ていただけると幸いです。
 サリー・グレンジャー

「どう思う?」
 トビィは、うーん、と考えこんだ。
「これだけだと、何の話かはさっぱり分かりませんけど、ただ下町の人は、けっこう警察に知られたくない過去とか、やっかい事とかを抱えている人が多いので、そういう事情かも知れませんね」
「犯人について、本当に、何か知ってるかもってこと?」
「かも知れません」
「じゃ、やっぱり、ショーン・ウォルターは無関係なの? あれだけがんばって調べたのに……。でも、真犯人に近づけるなら、それの方がいいわね」
「行くんですか?」
「当然でしょう? 夜半過ぎね。こっそり抜け出すわよ。そうなると、うちの馬車、使えないわね。別のを手配しといて」
「うへえ」
 大変な夜になりそうだ。
 夜中過ぎ、同室のトムを起こさないようにこっそりとベッドを抜け出して、トビィは部屋を出た。
 足音をたてないよう気をつけながら寝室まで行くと、アンナももう準備を済ませて待っていた。聞き込みに辺りをうろつくわけではないし、顔を汚すのなんのと、屋敷の中を動き回るわけにもいかないので、変装はなし。ここに手紙をよこしたという事は、相手もトビィ達の正体を知っているわけだし。
 ただし、アンナは、探偵の「正装」だ。男物のズボン、夜は少し冷えるのでジャケットの上からコートをはおり、きちっと帽子もかぶっている。こんな時にも、とトビィは思ったが、考え直してみると、スカートよりズボンの方が、抜け出すのには好都合だ。
「当然、そのつもりで、ちゃんと考えたのよ」
 アンナは、任せておいてと、得意げな顔でささやいた。
 二人はそうっと忍び足で階段を下り、応接間の窓から外へと出た。正面の扉には鍵がかかっているからだ。
 まずトビィが外へ出て、次いでアンナが出てくるのを手伝った。当然考えたと自信満々のアンナだったが、ズボンはもくろみどおりとして、コートがじゃまだった。
「お嬢様、早く。大丈夫ですよ、ちゃんと支えますから」
「違うのよ、コートがどこかに引っかかって……あっ!」
 バランスを崩したアンナを、トビィは支えようとした。けれど、あわてていたので、支えようと伸ばした手は空をつかむ。
 落っこちそうなアンナを、腕の中に捕まえ損ねて顔で受け止めたトビィの格好は、とても華麗な脱出行とは言えないものだった。
 家の馬車を人知れず使うのは難しいので、昼間のうちにこっそり辻馬車にわたりをつけて、通りの向うに待たせてあった。こんな夜中に子供が二人でやってきたので、御者は驚いたようだった。しかも、こんな立派な屋敷の立ち並ぶウエストエンドから、下町のイーストエンドへ行くのだから、さらに驚きだ。
 しかし二人は何も言わず、馬車に乗りこんだ。人目を気にしながら、トビィ達は、サリー・グレンジャーの住むあの下宿屋に着いた。
 特に、夜中でも街を見まわっている警官には、気を付けた。警察に知らせたくないからトビィ達を呼んだわけで、ここで見られてしまったらだいなしだ。
 そっと扉をノックすると、トビィ達の到着を待っていたようだ。すぐに扉が開いて、中からサリーが顔をのぞかせた。
「あなたがアップルトンさん? こんな遅くに、わざわざごめんなさい。あなたは、あの時、世話をしてくれた子ね?」
「助手のトビィです」
「あの時はありがとう。でも困ったわ。実はあまり人に知られたくない話なの。友達の個人的なことだから。できれば、どちらか一人にだけ話したいんだけど」
「いいですよ。じゃ、私が。トビィ、悪いけど外で待ってて。パトロールの警官に見られたらだめよ」
「はい、お嬢様」
 二人は家の中へ入り、扉を閉めた。
 トビィは、玄関脇の物陰に座りこんで、身を隠した。夜もこの時間になると、ちょっと冷えてくる。トビィは小さく、丸くなって、寒さをやり過ごそうとした。辺りはしんと静まりかえり、遠くから犬のほえる声が聞えてくる。
 じっとすることもなくただ座りこんでアンナの帰りを待つ間、トビィはこの事件について、もう一度考えていた。
 今、アンナは、何の話を聞いているのだろう。
 その話を聞けば、この事件のなぞは解けるのだろうか。
 消えてしまった犯人が、どうやら変装していたらしいということは、ハートリーも言っていた。しかし、なぜ、あの三人なのか。共通の顔見知り、ショーン・ウォルターでなかったとしたら、誰が、なぜ?
 じっとしていると、目の前に色々な光景が思い浮かぶ。死体置き場で見た、マギー・ウィルコックスの遺体。そして、この家で起きた、あの凄惨な事件現場……。
 その時。
 トビィは気が付いた。
 この間からあった、あのもやもやした感じ。
 何かを見落としているような、あの感覚。
 あのときサリーは、ジェシカを後ろから抱えて頭を膝の上に乗せ、左手で傷口を押さえていた。でも血の跡は、右手、右腕、それから肩口から腹にかけて、飛び散ったようについていた。
 起こし方によるだろうが、それでも本来なら、左側の方が血まみれになるはず。それに、トビィからグラスを受け取ったサリーの右手は、手の甲の側は血まみれでも、手のひらはあまり汚れていなかった。ブランデーをもう一杯と差し出されたグラスは、きれいなままだった。
 召使いのトビィは、食器みがきが仕事のひとつ。汚れているはずのグラスが汚れていなかったのが、無意識に引っかかっていたのだ。
 右の手のひらだけが汚れていなかったのは、なぜか。
 血を浴びた時、右手で何かを握っていたからだ!
 サリーだ!
 正面から、ジェシカの首に斬りつけて殺したのは、サリー!
 アンナが危ない!
 トビィは飛び起きて扉にかじりつき、どんどんと力任せに叩いたが、中から返事はない。ノブをガチャガチャと回したが、鍵がかかっているらしく、開かない。
 トビィは二階を見上げた。明かりのついた部屋がある。
 きっとあそこにアンナが!
 樋を伝って登れると気づき、トビィは大急ぎで飛びついた。樋はぎしぎしと音を立てたが、なんとか持ちこたえた。二階へ貼りつき、ひさしの上に立って、明かりのついた部屋をのぞきこむと。
 今まさに、連続殺人と同じ手口で、アンナが、手にかけられようとしているところだった!

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