年齢による「精神的経験」って人それぞれのはず
先日書いた記事の中で、書いて載せた後、ちょっと気になっている一文がある。
読み返しているうちに、「ちょっと誤解を招くかもなあ」って気が付いちゃったら、その考えは頭に貼りついて、なかなか離れてくれない。
「若い人はどうしても精神的経験が及ばない瞬間が出るだろう」
この部分。
私が若かったら「そうかもなあ」って思うだろう。
でも過酷な環境で暮らしてきた人ならどうだろう? もし私と似た環境だったとしても、吸収するもの、得るものがすごく多かったら?
「そういうのって、比べられない」って思われそう。
実体験が多い人。あと、精神的に成熟していて、感じ、得たものを身につけている人。辛い思いをしたんだ、それを乗り越えてきたんだ、って人もたくさんいるだろう。
こんな能天気でフザけるのが好きな私だって、別にずっと能天気でフザけて生きてきたわけではないのだけど。まあ相対的に見たらやっぱり能天気な人生なのだ。
そう思われたって全然かまわない。
さて。全部踏まえた上で。
私が言いたかったのは、そういうことじゃあないのだ。
多分、年齢を重ねれば重ねるほどわかるだろう。
この前、母に言われた。
「大丈夫よ。かせみの、心配する気持ちもわかるけど、大丈夫なのになあって思ってるよ。それはかせみの歳で今、わかることじゃないよね。たとえばかせみは、若い人たちにそう思ってるでしょ? おんなじなのよ」
そうか。70代の母にとって、50になろうとする娘の不安は、手に取るようにわかるらしい。最近はそれを否定もしなければ、直接的なアドバイスしようともしないで見守ってくれている。
で、冒頭の、私の言葉に関して。
実際に年齢を重ねないとわからないものなのだ。
男女問わず経験があるだろう。
10代の思春期は、何だか心がすごく繊細で成長途中だった。
20代は、揺れに揺れた。挑戦の年代。
30代に自分が固まってくる。強くなった気がする。
のに。
アラフォーで「あれっ。残りの人生……」ってすっごい実感する。迷う。
40って不惑になるんじゃなかったの? って第二の思春期みたいのが来る。
それが落ち着いたと思ったら、更年期が来る。更年期来ない人でも、高齢者と若い人の真ん中の考えにいると実感し、揺れる。
40代半ば以降、ホルモンによるものもあるのかもしれないけど、もう身も心もぐらんぐらん。
いや、個人によって違うのはわかっているけれど、それでも同じ年代の人同士(前後5歳ずつくらいかしら)にしかわからないものがある。
何故だろう。身体の状態も心の状態も環境も立場も人それぞれなのに、共有できる気持ちがある。
親のことだって、人それぞれなのに。親との関係性。高齢の親の状態。元気な親でも、親が亡くなっている人も、介護中の人も、認知症で施設に預けている人も、このご時世、なかなか会えない人も、様々。
子供の有無もそれぞれで、いる人同士でも子供の年齢がそれぞれ。子供の気質、性格、家庭の状況も人それぞれ。
なのに。
同年代の人同士にしかわかない感覚ってある。きっとこの先も。見て来た物。共有してきた社会の出来事。流れ。それぞれの年齢になって、ようやく見えてくる景色があるのだろう。
多分、身近な人や親しい人から直接聞く情報量が、若い頃より圧倒的に多いからなんじゃないかなあと思っている。「多い」と自覚していなくても、自然と多くなっちゃう。
それを精神的体験かと聞かれたら。
やっぱり、そうなんじゃないかな。と思う。
それは抗えない年齢によるもので。
でもちょっと言葉は適切じゃないのかな。
「加齢によって知る気持ちの経験」とした方が正確だったかもしれない。それは自分だけじゃなく、人と関わってきて、見聞きするものも増えて、の意味でもある。私たちより年齢が上の人たちの言葉や考えを知って。あらゆる体験をし、しなくても見聞きし。知らぬ間に少しずつ自分の中に組み込まれていく。
その上で、若い方たちの感覚。これまでの経験も、今の生き方も、将来への思いも、不安含めて私は大切にしたい。
特に最近は、世間で騒がせている、偏見や差別、ハラスメントに関して、若い人は敏感。それに関してもいつか書いてみたいけど、私は、私たち世代の感覚をベストだなんて全然思っていない。至らなかったと悔いている言動もたくさんある。若い人たちに同じ思いをしてほしくないことだってたくさん。
私自身には、楽しく率直に言葉を交わせるようになった若い方たちがいる。彼ら彼女らの感性には、それこそ経験による実感もあるし、想像力も豊かで、自分が年下なんじゃないかと思う瞬間すらある。言葉を交わさない方でも。楽しんで読む。
最近noteに来なくなった人たちも。どうしているのかなあ。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。