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おとなしくて、笑うのが好きな友達

 バイト。食べ歩き。ボランティア。大笑い。ベッタリ付き合っていなかったはずの彼女とのエピソードが、いつの間にかたくさん積もっていた。

 ホリデーカードを交わす人たちの中に、ケーキ屋のバイトをしていた頃の友人がいる。

 彼女は一つ年上で、大人しいタイプ。私も自分からあまり話せる方じゃないし、話を広げるのも下手。私と親しい人はよく喋る人の方が多いのだけど、彼女といる時間もそれはそれで成り立っていた。シフトに二人で入っている時も、静かに並んでいるのは苦ではなく。ちゃんとやることやらなきゃと、テキパキ動く彼女は、どうやら笑うことも好きらしい。と気づいてからは、彼女に笑ってもらいたくて、その日の失敗談とか同じフロアで働いているおばさまの話とか、面白エピソードをするようになった。

 愚痴に対しても、「え~いややね~」とへの字口をして全面的に共感して見せてくれた後は、ダラダラとその話をすることもなく、また面白話で、二人してケタケタと笑う。
 人が混んでいない時は、二人で並び、通路側を向いて山手線ゲームをしては、ショーケースやカウンターの反対側から見えなくなるくらい身体を折って大笑いした。

 彼女は、保育士になりたかったと言っていた。
 「でもケーキ屋のパート?」と聞くと「ウン。実習で保育士してみたら、合わないなあって思ってん」と言う。なるほど、勉強してみて体験してみて「やっぱりやめよう」もアリなのかー。普段はおとなしい彼女の心の中をのぞいた気がした。

 都合があえば、当時流行り始めた「食べ歩き」を楽しんだ。25年ほど前はもちろんネットなど身近ではなかったので、「ここ行ってみよう」と雑誌で見つける。そして食べるのを目的に店に並ぶ。若いからできたなあ。
 その間、彼女と喋っていても黙っていてもあまり気にならない。
 彼女には当時、彼氏がいたのだけど、そんな話もあまりしてくれない。私は興味津々で聞きたいけど、元々言葉数少ないので、まあ言いたくないのかなあって、あまり追求し過ぎないようにしていた。

 阪神大震災が起きた直後にボランティアに出たら、彼女が「私も行きたい」って言う。一緒に荷物の仕分けをしに行ったこともあった。仕分けをしている間も、友達だからと話すこともなく、黙々と皆に混じって働く。

 ある日は、やっぱり美味しそうな店を見つけて行ってみる。高層ビルの上の方で、下りのエレベーターの中、ぎゅうぎゅうに人が多いけど、誰も喋らないでいることが不意に可笑しくなってしまった。
 こんなに互いの距離が近くて、息苦しいくらい密着しているのに、ものすごく静か。

 若いから。ちょっとしたことが可笑しくて。
 吹き出しそうなのをこらえて下を向いた。
 すると彼女も、「ぷっ」と少し吹いて下を向いた。
 ああどっちが先だったか。彼女も可笑しいって思っちゃったんだ。

 その静かなエレベーターが地獄の時間になった。
 何も話していないのに、笑いたくて仕方がない。互いの肩が揺れ始める。
 長い時間に感じた。

 1階に着いてチン! とドアが開く。

 二人で飛び出て大声で笑った。「ちょっと」とか「なんで」とか「だって」とか「苦しかった」とか途切れ途切れに言いながら笑い転げる。


 それから私たちはそれぞれに思うところあって、そのケーキ店を辞める。
 私は事務の仕事をし、彼女は大人しいけどやっぱり販売が好きなようで、タカラヅカグッズを売る専門店で働いていた。「あれ? タカラヅカ好きだっけ?」と聞くと「いや。別に」と真顔で言ってから、ケタケタ笑う。「なんとなくね」。

 でも私がニュージャージーで暮らし、結婚したと報告すると、知らないタカラヅカスターのポストカードで祝ってくれた。そのスターは不自然なほどきらびやかなコスチュームを着ていて。
 彼女は「この衣装、すごくない?」の一言を添えて。

 同じ頃、彼女も結婚した。ケーキ屋のパートをしていた頃から付き合っている彼だった。

 へえ。誠実そう。写真を見て嬉しくなった。

 その後、しばらく連絡がなく、ある時、「子供ができた」と手紙が来た。
 「ダウン症だった」と書いてあった。

 その中に、知らされた直後の気持ち、しばらく受け入れられなかった気持ち、今の覚悟、細やかに書いてくれている。ほとんど互いの気持ちとか話さない間柄だったけど、何枚もの手紙に自分の思いを綴ってくれていて。
 それまでの思い出がたくさんよみがえりながら読んだ。どんな表情なのかな。心境がよく伝わったけど、そういう話をする彼女の顔を思い浮かべられない。

 私にも子供ができて、関西に遊びに行った時、親子で会う約束をした。

 4人でレストランに入って、彼女の育児の大変さと、私の育児の大変さが、種類が違うようで似ていて、似ているようで違うのを目の当たりにしつつ、愚痴を言い合って、互いの子供の無邪気さを笑い合った。
 なんてことない時間が楽しかった。

 また会いたいな。
 と思ってからずっと会っていない。

 そう言えば会った時に、仲が良かったはずのお姉さんのことを聞くと「めったに会わへん」と、ちょっとイヤな顔をした。理由を話さないので聞かなかったけど、何かあったのかな。私の想像の及ばないところで葛藤があるのかもしれない。私も後から「あの言葉は良くなかった」と反省したことがあった。

 それでもホリデーカードで、互いの近況を毎年書き合っている。
 彼女は、子供がどんな病気を抱えているかということ。病院の診察券で、ケースがパンパンなこと。親子の会話の手段。息子クンの成長具合。学校。
 私も息子の発達がとても不安だったので、毎年、詳細を書いていた。

 ある年のカード。

ウチの子の障害、学校や施設の子たちの障害、かせみさんとこの息子クンの発達、みんな違うけど、親にとって‘子供を思う気持ち’って、似たようなもんなんだな、って思う

 軽い会話の中から彼女の思いを知る、心からの言葉。

 きっと私がその台詞を言っても、一人育てたくらいで何がわかる。って思われるかもしれない。彼女が言うことで重みが違うのは、私よりもっと多くのタイプの子供を見てきて、実感してきた言葉だからだろう。

 その言葉を私に向けてくれたこと、何度も読み返して、噛みしめる。胸が熱くなる。

 毎年、彼女の近況と、息子クンの成長を知って、穏やかな気持ちになる。着実に、大切に、でも奮闘しながら日々を暮らす彼女の様子が書かれている。

 カードだから、直接会話は交わせないけど、書かれた冗談に笑う。「ケーキ屋のリボンの結び方、忘れないよね」と書いてくるから「覚えてる。プレゼント包む時は必ずやるよ!」と書く。「老眼鏡がないと困る」と私が書くと、「私も!」と返ってくる。一年ほど前に書いて送った冗談を、掘り起こしてそのカードに書いてくる時もあるから、笑ってしまう。

 すくすく育って自立に向かっている息子クンは、独立したのかな。コロナ禍で大丈夫かな。

 関西に行ったら、次回こそ声をかけよう。きっと相変わらず彼女は笑うのが好きだろう。


#エッセイ #友達 #ホリデーカード #笑う #子供の話 #会いたい

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。