人の親だもの、サノスに同情なんかしない~マーベル作品にハマっていくさま(3)~

 ああ大変だ! 「アベンジャーズ インフィニティーウォー」のことが、頭から離れてくれなくなった。

 ……どうしよう……。

 内容はだいぶ違うことになるはずなので、前の二回とタイトルを変えてみたけど、まだこのことについて書く。もしかしたら、インフィニティーストーンて、そういう意味もあるんじゃない? 私はそれに支配されて、もうこのことしか考えられない体になってしまったのでは!!
 

 ……。
 

 そんなことはないので、続きを書きます。

 夫や息子は流れに身を任せており、今の気分を楽しんでいる。私など、ミステリー小説や冒険モノなど、さっさと最後を読んでしまうような、つまらない人間だ。母もそうだった。母のそういうところを見て「そんなの面白くなくなるじゃない!」と心底呆れたものだったが、あの頃の母と同じくらいの年頃になってくるとどうだろう、耐えきれなくなってきた。このしんどさに。早く先を知りたい誘惑に全然勝てない。すぐにその誘惑にひれ伏している。

 今回はサノスについての私の考え方だ。あっまた大変なネタバレあるので、ネタバレ読みたくない人は、ここから先は読まないで下さい。


 この映画は、最強になってしまった冷徹、残酷、無慈悲なサノスが、軸になっている。それは誰もがわかったことだ。しかし。「サノスにも背景や感情があり、憎み切れないところがある」という内容や紹介には引っかかる。もしそれが製作者側の狙いだとしても。

 どのような犯罪者にも、そうなった背景、経緯があって、その人一人がすべて悪いわけではないだろう。犯罪自体はその人たち自身がすべて悪いのだけど、そうなったことにはそれまでのあらゆることに原因がある。気質一つですべてが決まるわけではなく、家庭環境、社会環境もその原因の一つだろう。人の親として、やはり防げるものだったのではないかと思いを馳せ、自分の子供は「絶対に」そうはならないと言えるのだろうかという不安もある。でもすべての人に色々な面があって当たり前で、例えば礼儀正しいとか穏やかだとか優しいとか、どんな人にだって色々な部分はあるのが当たり前だ。だけど、だからと言って、じゃあその人の犯行は許されるものか? 犯罪内容の程度、中身によって、すべてを一括りにはできないけれど、それまでの生育環境、社会環境に悲しみを感じることはあれど、人の命や心の病がかかわるような重大な犯罪に対し、気持ちとして許すことができないと思うことが、特別な例を除いてほとんどだ。

 サノスに関して話を戻そう。
 サノスは、愛している人を生贄としなければ、インフィニティーストーンの一つが手に入らなかった。ストーンは6つすべて揃えなければ意味がない。しかしだ。「生贄としなければ」手に入らなかったのなら、生贄にしなければ良いではないか。それじゃあそこで映画が終わってしまうじゃないか。

 ……。

 いや、愛する者が一人もいなかった者は、そのストーンを手に入れることができないわけだが、サノスにはたった一人いたからストーンを手に入れることができたのだ。彼は涙を流し、生贄を差し出した。その愛が嘘ではない、という証拠に、ストーンを手に入れることができた。その苦渋の選択のシーンに、サノスにも「愛」という感情があり、涙を流す感情の動きがある。とも受け取れる。だけどだ。子供を持つ私に言わせたら「その涙にはだまされないぞ」である。本気の涙だったとしてもそれは感傷だ。その愛する人を手放さず、ストーンを手に入れない、で良いではないか。それじゃあそこで映画が終わってしまうじゃないか。


 ……。

 いや、それほどストーンが欲しかったとしても、愛する人を生贄とするくらいならストーンなんかいらないわい!と私なら思う。だから私はその涙にも、愛情にも軽さを感じる。本当に愛があるなら、苦渋の選択であっても子供を選ぶ。

 このシーン、ちょっと杜子春を思い出す。「おかあさん」と呼びかけてしまう息子。親子って愛情あるが故に自分の思い描くものになれないということはある。特に親の側からすれば。できれば子供は、親の意志などお構いなしに子供の思う道に進むことがあってほしいし、親も両方手に入れることができる状況であれば良いけれど、それは思い描くものに「自分が」なれるかという話。自分のこと、気持ちや欲求は大事だけど、とりあえず子供を生贄なんて、私にはあり得ない。私は家族を愛している。その愛情が、自分の欲のためだけに犠牲になることを許せない。サノスに同情なんかしない。

 さらにサノスは、それぞれストーンを奪う時ごとに、その場面でそれぞれ皆に愛情の葛藤があることを楽しんでいるように私には見えた。彼はやはり残酷だ。過去の自分に何があったにせよ、彼は自分を乗り越えられていない。自分の思う正義のために、目の前で激しく葛藤する皆の愛情や心、その姿を軽く見ている。眺めて楽しんでいる。
 だから私は怒りを覚える。

 と、ここまで来てサノスの悪口を書いたようで、それもそれでまた気分が悪くなった。

 どないやねん。


 いずれにせよ、次の「アベンジャーズ」で、何らかの形で皆の姿をまた目にすることができたとしても、サノスが倒れる(かどうかもわからない)としても、多くのヒーローたちが犠牲になる(或いは犠牲になり「直す」)ことは避けられないだろう。

 ああこうやってグルグル考えているうちに、私のスマートフォンには、すっかりマーベルファンだと思われてしまい、こまめに最新情報をくれる。おかげで私はマーベル作品から離れられないままだ。「アントマン(1)」のブルーレイも届いた。

 今、手元にあって見下ろしている。

 どうしよう。

 すごく楽しみだ。



#映画 #MCU #アベンジャーズ  インフィニティーウォー #サノス #親子 #親の思い

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。