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子供と興味の対象が違っても

 自分の子供と話が合わない。と気づいたのは、息子が小学校低学年の頃だ。
 元々私と興味の対象が違うという気はしていた。
 自分たちが幼少期に放映されていたアニメが好きだった夫や私と違って、息子はアニメを観てくれなかった。ちょっとは観て時間を過ごしてほしいと望んでしまうくらいに観てくれなかった。
 テレビも同じく。テレビ好きな夫や私と違い、テレビを観てくれない。興味ないわけではなかったけど、10分くらいがせいぜいで。日中、特にこの田舎に引っ越してからは一対一で向き合っていたので、少しも家事が進まないことが大変なストレスとなった。

 しかも息子は一日二度以上、一回30分以上、号泣した。理由は何でも良かったようで、私には理解できない様々なことを見つけ出しては泣き喚いた。小学3年生半ばまで続いた。「一緒に遊んでほしい」のも5年生いっぱいくらいまで続いた。友達と遊ぶのはあまり好んでくれなかった。友達との行き来に少し憧れたけど、自分自身も子供の頃、家の行き来はあまりなかったなあと思い返して、本人がそれで心地良いならまあ良いのかと思うようにはなった。

 息子のことで追い詰められそうになる私を、何とか夫が支えてくれていた。早めに帰ってきて、出張を減らし、愚痴も根気よく聞いてくれた。たくさん話し合った。

 大変手のかかる子だったが、色々興味を持つ内容が私と違うので、その点は面白いなーと思い、その好奇心がどこまでなのかと探るべくあれこれ差し出していったら、どんどんハマっていく。底なしのよう。夫の興味持っていることと近いようだと幼いうちからわかったので、すぐに夫に聞いて頼った。そのうちそういった話は夫にお任せになってしまい、気がついたら私は会話から取り残されていた。

 なんの話? どういう意味? なんか習ったことあるけど苦手な分野だったし忘れた。

 今は高校生の息子が、小学3年生の頃、化学の記号に興味を持ったのは地震での原発事故による影響が大きいだろう。でもきっかけはそうだとしても、そのまま元素だの鉱石だのに夢中になっていった。私が最も苦手な類である。
 そういったことに興味が持てない私は、息子のそんな話がチンプンカンプンなのである。

 「チンプンカンプン」

 言葉の音がまたアホさ加減を増長させている。
 平仮名だともっと強調されるかしら。

 「ちんぷんかんぷん」

 ……へえ。調べてみたら、教養のなかった人たちによってつくられた言葉なんだ。いかにもそうだなあ。
 「ちんぷんかんぷん」についてはひとまず良いとしよう。

 夫は息子の話に乗っていける。むしろ二人とも楽しそうだ。充実感があふれ出ている。最初の数年は、そんな話をされると、すごく寂しく感じていた。二人は全然そんなつもりはないだろうが、会話に入れないことによっての疎外感。理解しようと頑張ってしまい、それでもやっぱり理解できないから寂しくて。

 そのうち私の苦手な分野で話が始まると、別の世界へ逃避する癖もできてしまった。あっという間に妄想、想像、考え事の世界へ。今は全然平気になってしまった。何が寂しいの? とすら、当時の気持ちを振り返る。慣れって怖い。時々夫が話の途中で急に私に振ってくるので、聞いていなかったとギョッとする。でも基本的に、話に加われないとか加われるとかを気にしないでいてくれるのは、私にとっては気楽だ。

 以前、息子と話が合うと実感するのは、お笑いの話くらいだったので、他に分かち合える話題はないかと探したものだった。興味のあるゲーム、漫画、映画。私だって息子と少しは楽しく話したいから、息子の興味持ったもので私のどうしても理解できない、苦手分野でなければ、一緒に楽しもうとけっこう努力もする。苦手だったマーベル作品も頑張って観て話に加わることができた。気が付いたら私の方が夢中だけど。

 そんなものだから、私は普段の会話には、できるだけ相手するようにしている。息子は友達の話や自分の気持ちの葛藤に関しては私にも話してくれるし、お笑い番組を観ながら二人で真似してフザけてハシャぐ。さすがに私は息子みたいに、アキラ100%のマネはできなかったけど、どちらの方が、モノマネが近いかを争い、笑い転げている時もある。

 「にらめっこ」なんて原始的な遊びも、息子が中学生いっぱいくらいまで楽しんだ。手を使って良いのであれば、二人でもっとも笑える顔を発見した。眉間のちょっと上に頭の上の方から(手が顔の邪魔をしないために)指を置き、ほんの少しだけで良いので上によせると、ものすごく情けない顔になります。これは二人の間で、数年前の鉄板であった。機嫌悪いと全然話してくれない時期でもあったけど、そんな瞬間もあった。

 それぞれ息子の気持ちを満たす部分が違うのだと気が付いてから、寂しくなくなった。 
 そして実はもう一つ利点がある。私には訳のわからない話を息子がする時。相手は自分の子供だから、「なんで?」とか「どうやったらそうなるの?」などと、自分が中学高校時代には聞けなかったアホみたいな根本的な質問を、堂々とできる。
 これによって、息子は「わからない人」に対し、思いやりをもしかしたら持てるようになったのでは。と信じている。又、息子はバカにすることなく、「わからない人に、わかるように説明をする」という訓練が、いつの間にかできている気もしている。
 子供が幼い頃から親と話が合わない、元々の興味が違うのは、きっと悪いことばかりではない。


#エッセイ #子供 #会話  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。