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noteを始めてから一年、自分がどうしたいかを知る~かわせみワールドを大事にしたい~

 「かわせみさん」「かせみさん」などと呼ばれるようになって、1年が過ぎた。

 節目になっても忘れてそー! と思っていたけど、しっかり思い出して書いている。

 新しくできた友人に、ゲーム日記のようなものや、音楽、映画のことを書いて送りつけていたら「これだけ書いたものを、もう少し多くの人にも向けては?」と伝えてくれたことがきっかけだった。

 夫が「noteって面白そうだよ」と言ってきたけれど、まさかこんな場所だと思いませんで。

 しばらくは、不安でいっぱいだった。こんなこと書いて載せたら、何この人と引かれるかも! などと毎回、怖くて。気合を入れながら投稿ボタンをクリックしていた。


 初めて「スキ」された驚きもよく覚えている。

 「スキ」……!!! 

 っていうんだ……。
 か……かわいい!!

 スキが多いと嬉しいに決まっている。
 だけど精一杯心をこめても、全然響かない時も多い。楽しく書いたところで、スキが増えるわけでもない。自己満足になっている時もあるからなのだろう。むしろ少ない。少ないけどやっぱり自己満足だから、自分で読み返して楽しい。
 段々それに気付き、もう自分が満足するように書いて、楽しかったらそれで良いやと思えるようになっていった。

 おススメに入った時も、「えっ! これが?」と驚いた。
 つたない文章なのに。と、最初は戸惑いつつ、とても嬉しかった。でもそれからしばらく「おススメに入る」のが目的になってしまい、そう簡単には入れないものだから、一生懸命書けば書くほど落ち込んだ。

 似たような内容が書かれているのを知って、その人が取り上げられていると、自分が無視されたようで悲しい気持ちになった。
 これがけっこう長引いて、「おススメに入らない」が私のストレスとなっていった。

 私のは、文章の上手下手プラス、熱意とか伝えたい思いが少ないのかもしれない。
 でも私はそんなに入り込んで書けないのだ。浸れないし、熱くなれない。そういうタイプの文章を読むのは良くても、書くのは向いていないらしい。

 ツイッターでnoteの人たちとつながって仲間に入ろうとした。でも元々グループでワイワイ賑やかにするのが苦手。それを乗り越えようと無理してしまった。最初だけわーっと一緒になってみたけど、すぐに疲れた。

 滅多に注目されないのに、珍しく褒められるようなことがあると、褒め返さないと薄情な気がして落ち着かない。他にも、「この文すごいよ!」と誰かが褒められて、皆が「そうだそうだ」となっていると、その中に加わらなければいけない気がしてしまう。

 常に誰かを気にかけていなくちゃと、noteやツイッターに振り回される自分に疲れ果ててしまった。

 私は本当に親しくしたい人と丁寧に、心をこめて付き合うのが心地良くて好き。結局そちらのアカウントは消した。ツイッターで賑やかにやっている方が読まれる気がするし、きっとリツイートとかで取り上げてもらえて嬉しいけれど、もうそれも良い。

 悲しい思いをしたり、泣きたい気持ちになったり。
 noteを楽しく続けたいだけなのに、私はライターを目指してnoteを始めたわけでもないのに、何故ネガティブな気持ちに振り回されなくてはいけないの? 悲しくてしんどい気持ちで、何気ない顔して続けるのも辛かった。

 賑やかなアカウントを消してしばらく経った最近、ようやく、そういった気持ちを超えてきた。

 段々と「スキの数」とか「おススメ」とか、ツイッター上でもリツイートとか気にならなくなった。

 文章は私にとって、どうしても趣味の範疇を超えないとも気づいた。もっと気軽に書いて、楽しみたい。書くのも読むのも、時にはしっとりと。時には真剣に。でも基本的には気楽に楽しめるものが好み。

 HSPに対してもnoteによって発見があった。最初はひっそりと自分の中に持っているHSPを、ここでは公にできて、喜び勇んでしまった。

 ところがHSPにも色々なタイプの人がいるとつくづく知る。偶然、身近にいるHSPの友人が、自分と似た部分が強いので、ほかのHSPもそのようなものだろうと思ったら、意外と人それぞれ違った。そしてHSPだから仲良くなれる、と単純なものでもないと知った。もっと言えば、HSPじゃない人でも、似た部分があって、そこが私にとって大事であれば、気が合って楽しく付き合える。

 毎日続けたわけではないけれど、note始めて一年経ち、文章や人に対する自分の気持ちや姿勢がわかってきたのはとても大きい。

 どんな文章が読みたいか。どんな絵を見たいか。どんな写真が好きか。その作品に対して自分はどんな感想を抱くのか。どんな人柄を感じて気に入るのか。

 誰かと関わり、自分も書くことで、自分がどうしたいか、何を大事に思っているかが、それまでより明らかになっていった。

 わかっているつもりだったけれど、書き続けてnoteで色々な人と関わることで自分を見つめ、ようやく自分の芯になる部分がクリアになってきた感じ。

 誰かと似たような知り合いを、誰かと同じように作るのでなくて、言われたから返すのでなくて、自分だけが作れる世界を大切に思うようになった。
 私独自のつながり方で、私の思う面白い、もっと知りたいと思う人のものを見て、読んで、楽しみたい。それが人と違っても。

 そして文章を書き続けたことで頭の整理ができたため、何が本当はしたかったかも、一年ほどかけて気が付いた。

 「日本語を外国人に教える」「特に、帰国子女を含めた、日本に暮らす外国人の子供たちの気持ちを少しでも軽くしたい」「日本の文化を知ってもらう」「教えながら日本語の面白さを何度も発見する」。
 今はまだ体力的に追いついていなくて、大人に教えているだけで、25年ほど前に勉強したものを取り返し始めている。全然取り返しきれていないから、更年期症状がもっと落ち着いたら、勉強し直したい。

 もちろん文章を書くのも面白くて仕方ないから、まだまだ続けたい。

 そんなわけで皆さん、これからもどうぞよろしくお願いしまーす!

#エッセイ #note #1年 #noteでよかったこと

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