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表現するって、その世界に入り込むことも必要と知る(恥ずかしさを乗り越えたい)

 今年公開された「グレイテストショーマン」というミュージカル映画がありましたね。
 内容は、それほど複雑なわけでもなく、深さを感じたわけでもなく、でもミュージカルのショーとして素晴らしかったと思う。大画面で観られたのは良かった。

 以前、ブロードウエイで「レ・ミゼラブル」を観たことがあった。20歳そこそこの私は、心に訴えかけてくる歌声に、心が震えて涙が出るなんてことあるんだと自分で驚いた。
 そして「グレイテストショーマン」で久しぶりにその気持ちを味わった。「This Is Me」は、その前後の場面とのつながりがあるにしても、強く心を打ち、その場面で涙が止まらなくなった。


 カラオケで歌の練習をしながら、邦楽の女性ボーカルと洋楽の女性ボーカルがどう違うのかと考えたことがある。

 邦楽の女性ボーカルにも上手な人は当然たくさんいる。感情の込め方、声の強弱、ちゃんと表現されているのに何が違うのかなと考えた。

 そして、実際に自分がボーカルレッスンを受けているうちに気がついた。洋楽を歌う練習のために、当然その曲を聴きこんでみる。すると1フレーズ、細かければ1単語ごとに、その言葉の意味を感じ取り、感情を込めている気がする。

 邦楽の場合は、声にそれほど色をつけず、強弱だけで表している。その曲を大きく分けてその歌詞全体の感情、全体の流れで歌える気がする。ちょっと自信がないので「気がする」ばかり書いているけど。でも1フレーズや1単語で感情をいちいち込めていると邦楽はクサくなってしまうこともあるから、多分それはそれで良いのだと思う。洋楽は一様の声の質を保っていない。そのために訴えかけてくるものがあり、そこを真似したいのなら、1単語や1フレーズのニュアンスを自分なりに解釈していかなければいけないことになる。

 ふと幼い頃、ニュージャージーで受けた音楽の授業でのことを思い出した。
 まだ小学一年生や二年生だった頃、音楽の授業で、おそらく先生の好みのロックやポップスなどをレコードで流してくれた。レコードを流している間は、その部屋の適当な場所で適当な方を向いて思い思いに踊り、レコードの針を上げたら動きを止める。ちょっとしたダルマさんが転んだ的な遊び。そこで誰のマネでもない自分だけの踊りに没頭する子が褒められるので、私たちは周りの世界を遮断して自分の世界に入り込んで踊ろうと、聴いている曲を表現しようと一生懸命だった。

 帰国した時、周りの環境による衝撃から、私は、声を出す時、特に朗読や演技や、その瞬間は心をこめた方が良い時にもまったく入り込めなくなった。楽器の時もそう。ピアノを母に教えてもらいながら「もっと心をこめて」と言われていたのだが、入り込もうとすると、どこか俯瞰して見る自分がいて、どうしてもできなかった。日本の小学校で運動会の練習する時もそうだった。私の頃は6年生の組体操が花形だったけど、それ以外の学年はそれぞれ踊りの披露があった。これがどうにも入り込めずに、つい動きが小さくなって度々先生に叱られた。そうやって大勢の中でも目立ってしまうほど、周りの人以上に、入り込む自分を恥ずかしがってしまっていた。


 そんなに周りの目を気にして入り込めない私が、気持ちを込めて歌えるのか?
 俯瞰して自分を見ることは必要なこともあるだろうけど、歌を歌う時くらい入り込みたい。下手でも良いじゃないか。人から見て、ちょっとくらいおかしくたっていいじゃないか。
 「表現」て、そういうところがあるのではないだろうか。多分すべての「表現」に通じるだろう。文章だって。

 「This Is Me」のメイキング映像でも、心を揺さぶられた。歌った女優キアラ・セトル自身、実際にこわごわと始めるが、でも周りの皆の入り込んでいく様子、盛り上がりにより、段々その世界に入っていく。そしてその場にいる皆が入り込んで全身でこの曲を味わい、楽しく、そして力強く歌っている様子を見て、心を動かされた。こんな風に人の心を動かせるように歌を歌えたら素晴らしい。どう見えるかとかじゃない。自分がその音楽をどのように感じているか、ということを表現する。それは彼女の周りの人たちの入り込み方からも感じた。みんな、音楽を心から楽しんで全身で表している。

 せっかく、少しは上手になりたくてボーカルレッスンに通っているのだから、曲に入り込んでもひどく聴こえないくらい歌えるようになりたい。幼少期の「なりきっていた自分」を、歌っている時くらい取り戻したい。それができるようになったら、自分でも少しは上手になったと思えるのではないか。と期待しているのだが。幸い、年齢のおかげかそういう気持ちが解放されてきたので、この機会は充分に生かしていきたく、「入り込む」ことをなるべく実行していきたいと思っている。

 だけどこの前。意識し過ぎて、カラオケの採点機能に「もう少しクールに歌ってください」と出てしまった。

 なんですって……。

 一人、まばゆいカラオケの画面を前に、恥ずかしくなり、静かに立ち尽くした。いやいや、ここを少しずつ調整していけば良い。まずは今までの分、反動で極端になったって良い。すぐに恥ずかしがって我に返るな、私! そこから始まるのだ! ……多分。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。